陽出る処の書紀

忘れないこの気持ち、綴りたいあの感動──そんな想いをかたちに。葉を見て森を見ないひとの思想録。

「太陽と稲穂の或る風景」(参)

2008-07-24 | 感想・二次創作──神無月の巫女・京四郎と永遠の空・姫神の巫女
「そうね。野山の自然になった果実や草花や河川の水や魚や貝、それらは意思を持っていないけど、自分で餌を捕ったり、光を浴びたり水分や養分を取ることを、生まれながらに知っているのよね。私もちかねも、その恩恵に預かって生きている。だからどんな小さな命にも感謝しないといけないわ」

姫子の教え諭すような物言いに、ちかねは瞳を伏せて口をすぼめた。

「…ときどき思うの。その他の命を犠牲にしなきゃ成り立たない自分の身体なんて、なくなってしまえばいいんじゃないかって…」
「…な、何を言うの、ちかね?!」

姫子は驚いて、空いたほうの手でちかねの片腕をきつく掴む。ちかねはそれでも動じずに、悲しげに見下ろす太陽の瞳をじっと見据えて、続ける。

「私はどこから来たのかも分からないし…いつも、一人で生きてきた。空腹で市場の品に手をつけて商人に追いかけられて。孤児でみっともない恰好だったから、誰にも相手にされなかったの……」

──でも、或る日突然こんな私に差し伸べられた優しく温かい手、それは……。

握った手を姫子の手の甲を上にして、愛でるように眺めて、少し掲げる。
姫子が、ちかねとの握り手に力を篭めつつも、その頑な心を解きほぐすように、慰めの言葉をかける。

「どんな小さな生命だって、いらない生命なんてないの。きっと何かのために存在していて、誰かのために生きているの。私はちかねの生命が無駄だなんて思いたくない。貴女はわたしの一番のたいせつだから」
「…姫子…」
「…だから、ちかねはわたしより先に死んじゃ駄目。絶対、わたしより長生きしてもらうの。貴女はきっとあの子の…月の巫女の生まれ変わりなんだわ。私が待っていたひとなの。生きる糧を与えてくれるために出雲の神様のご加護で、私に授かった大切な生命…きっと、そう」
「私があのひとの生まれ変わり……」

本当にそうなのだろうか、…とちかねの疑問はつきないけれど、姫子は傍らの少女とは異なる着眼点で話を進める。少し眉をひそめて、そして間をおいて言葉を紡ぐときには、次第に瞳を大きく見開いて。

「神から必然に授かる生命もあれば、突然に奪われる生命もあるけれど…」

今年はたわわに実った稲穂の苗が、来年の収穫を必ず約束してくれるとはいえない。それは自身の繁殖能力にもよるのだろうが。地震、雷、大洪水、干ばつ、日照不足、害虫の到来、雀や烏の啄ばみ、世話人の怠惰…この世には自分ではどうにもならぬ、外的な要因によってどのような生き物でさえ、その儚い生命を削り取られてゆく。

「それでも、形や状態を変えて生命は連鎖してゆく…そのためにはじめから、稲穂もちかねも私も、完全な状態では生まれてこないの。でも不完全だから育とうとするの、必死に生きようと足掻いてもがいて、実をつけて、しおれて…それが苦しくて痛くても、美しいといえるのよ」
「苦しくて痛いのなら、いっそいなくなっちゃえばいいのに…私は辛いのは嫌。姫子が辛いのも、もっと嫌」

瞳を潤ませて訴える月の少女。
その心証を害さぬように、姫子は優しく諭す口調で語りかける。

「ひとの魂は西方の極楽浄土へ連れられていく。それは仏の教え。けれど、本当はね、この稲穂も私たちの身体もこの大地に還ってゆくの。私たちはどこにも行ったりなんかしない……消えたりなんかしない…ずっと、ここ、にいるの…」



【目次】神無月の巫女二次創作小説「太陽と稲穂の或る風景」







この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 「太陽と稲穂の或る風景」(四) | TOP | 「太陽と稲穂の或る風景」(弐) »
最新の画像もっと見る

Recent Entries | 感想・二次創作──神無月の巫女・京四郎と永遠の空・姫神の巫女