陽出る処の書紀

忘れないこの気持ち、綴りたいあの感動──そんな想いをかたちに。葉を見て森を見ないひとの思想録。

堀内孝雄の名曲「愛しき日々」

2011-10-16 | 芸術・文化・科学・歴史
最近はラジオを聞くことのほうがとみに多くなりました。
わりあい、懐かしめの曲や映画音楽がかかっていたりして嬉しくなりますね。ある日、ふと何げなく聞こえてきたのが、堀内孝雄さんの名曲「愛しき日々」。氏のファンじゃないけれど、この歌だけは好き。
視聴はこちらから

この曲は、その昔、年末時代劇スペシャルドラマ「白虎隊」の主題歌ですね。
幕末、戊辰戦争時、会津藩で組織された少年兵たちのたどる悲劇を描いたもので、子供ながらに衝撃的でした。ドラマの細部を覚えてはいないので、今の自分が見たら、おもしろくないのかもしれません。演出が、とか、脚本が、とかいろいろケチつけてそうで。

今となってみれば、失礼ながら、若さゆえのそそっかしさへの悲哀というか、時代に翻弄されて若者が犠牲になることへの理不尽さというか、いろいろなものを感じてやまないのですが、人生の奥行きなんて見えないその当時は純粋に、可哀想のひとことで涙を流していたような気がします。自分より少し上のお兄ちゃん世代が絶望せねばならないなんて、世の中、なんて酷いのだとか、なんだとか。理由のない雲の上へ向けるような怒りといおうか。


──かたくなまでの ひとすじの道
愚か者だと 笑いますか
もう少し時が ゆるやかであったなら──



このサビのフレーズを耳にする度に、ほろ苦い想いがこみあげてきます。
白虎隊の少年たちの悲劇は、戦局において情報が途絶えたゆえの悲劇、あるいは生き恥をさらすまいという高潔な覚悟の思想に洗脳されたがゆえの悲劇、といえます。目の前にあることを,一途に愚直にやり遂げること、それはすばらしいことでもあると思うだけれど、時には自分の向かっている先が正しいのかどうか見極めることも必要で…などと現代的な思考で言いましても、当時は集団の圧力が強かった時代でありますから詮無いことです。死を厭わないことは誇りであったのか。おそらく、歴戦を重ねた老兵の集団だったりしたら、引き際を分かっていたのだと思うのだけれど。


──気真面目すぎた まっすぐな愛
不器用者だと 笑いますか
もう少し時が たおやかに過ぎたなら──



儒教的な道徳観も緩やかになっていて、現代の子供たちはある程度、大人に都合よく恭順することに疑問を感じることができるでしょう。というか、疑ってはいても、あえて賢く演じているんですよね。そうした方が得だから。しかし、急速な時代の変化において、若い世代、弱い世代に強いる負担はかつての幕末、あるいは戦時中の特攻隊に近いもの、あるいはそれ以上があるようにも思えます。国のために命を投げ出せ、ではなく、なるたけ長く生きながらえて重荷を背負いつづけろ、というのもそれはそれで酷い世の中のように感じます。可能性がまだ見える時分に自分を活かしきれていない世の中に存在しつづけることは、辛く苦しいかもしれませんが、なぜだかある年齢を過ぎてしまうと、どうでもいいことのように思えてしまうのですね。楽に生きるってこういうことなのかもしれません。つまり、過去の自分を笑い飛ばせるようになるということ。ただし、あくまで自分がであって、その生き方によって直接利害を生じてもいない赤の他人が、であって欲しくはないのですが…。娯楽があふれていて夢を商売にする人がとことん多くなったのに、不幸感がいや増しているのは、映像や音楽や物語が悩み多き人生を抱きとめてしまえるほどのパワーを失っているからなのでしょうか。パワーを失っているというより、現実の重さのために夢を見れなくなってしまったような。



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