陽出る処の書紀

忘れないこの気持ち、綴りたいあの感動──そんな想いをかたちに。葉を見て森を見ないひとの思想録。

神無月の巫女 2014→2004

2014-09-16 | 感想・二次創作──神無月の巫女・京四郎と永遠の空・姫神の巫女


『神無月の巫女』は、説明するまでもないというか、説明するのが難しいというか、きわめて視聴者が厳選されてしまう作品。少年の雄叫びすさまじいロボットアニメなのに、なぜか超絶百合百合しいという、ふしぎなバランスのもとになりたつ、奇蹟の純愛アニメ。おそらく内容は知らないけれど、某動画サイトで大量にパロディにされたあのEDだけは知っているという方が多いはず。

この作品はね、もう伝説の域ですね。
いい意味でも悪い意味でも。後続する作品群に善かれ悪しかれ、いろいろな影響を与えまくっておるに違いない(?)。そして、ひたすら誤解も曲解も与えているに違いない。影響を受けているには違いないが、あまりに内容が内容だけに、おおっぴらに喧伝すまいというのが実情ではなかろうかと思われます。


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2004年5月に原作漫画が『月刊少年エース』誌上にて連載開始され、アニメは同年10月から12月まで放映。他の百合作品に比べると知名度では劣るものの、カルト的な人気が根強い。原作漫画家さんがホームページで番外編を発表したり、コミケで同人誌を発売したりの熱の入れようだったと記憶してます。

2007年には『京四郎と永遠の空』に主演ヒロイン(もどき)が脇役で登場。
さらに、2009年には漫画『絶対少女聖域アムネシアン』で、姫子と千歌音をめぐる因果をアレンジして描くという離れ業で決着。いっぽう、同時期にアニメ版の脚本家、監督を交えたWebノベル「姫神の巫女」は2012年で更新が止まっているものの、物語が佳境を迎えた感があり見逃せない。この漫画かウェブノベルどちらか、またはいずれか、がアニメ化するのでは、という期待がありましたが、現在、進展なし。

原作者の介錯先生は、その後、『残念くのいち伝』というウェブ漫画を手がけたり、『虹野さんちのホワイトスワン』などの雑誌掲載があり、現在はあらたなウェブコミック連載がスタートしているようです。すべて追いかけたわけではないのですが、絵の切れ味が鋭くなった、話にエゲつなさ、エロさ、グロさ、が加味されていくのが特徴です(いちおう、褒め言葉)。商品のパッケージイラストも描かれてます。

ちなみに、この「神無月の巫女」の主人公格の姫子、千歌音、そしてソウマは原作者の過去作『十字架トライアングル』という短編作品を下地にしているとの説がありますが、さらに姫子と千歌音の原型にいたっては、商業誌デビュー作『超絶対無敵美少女天使エンゼルハート』に見られると言われています(うろ覚えなので間違っていたらスミマセン)。この人の出世作である『円盤皇女ワるきゅーレ』の外伝ぽい話にも、前世の姫子と千歌音みたいなのが登場していましたよね。いわゆるスターシステムらしいのですが、たいへん、使い回し比率が高いコンビとなっております。

アニメ神無月と京四郎を手がけた製作会社TNKの監督柳沢テツヤ氏は、昨年、ウェブコミックで人気の『蒼い世界の中心で』を担当。他にライトノベル原作のアニメもありますが、今年は毛色の変わったロボットアニメ「健全ロボ ダイミダラー」が放送されています。昭和っぽいデザインと、無駄に熱い、ギャグとお色気路線。かなり笑えます。アニメの京四郎でのおふざけ演出の理由がわかったような気が…。私、この作品について申し述べたいことがあるので、いつか機会があればブログの片隅に載ってるでしょう。

脚本家の植竹氏は、2013年にかつて原作を担当した漫画のリメイクや、田中芳樹原作の探偵ものコミックのサイドストーリーを手がけているようですね。2012年にはテレビアニメのシリーズ構成も担当していたようです。最近は前述の「ダイミダラー」でクレジットされてるのを見かけたのですが、キャラクターが番組が変わったみたいに素敵ポエムしてて笑いました。

繰り返しますが、この「神無月の巫女」は、百合作品の金字塔として評価がめくらめっぽう高い。
ただ、このアニメはあまりにエキセントリックな演出のせいで、人目を引く一方、誤解を招く怖れもあるのではないか、というのが私の本音。ですので、名作だと訴えているのですが、あくまで括弧つきであることをご理解いただきたいものです。

この作品は、戦って勝利を得ていくというマッチョな英雄主義と、運命の相手に選ばれる幸せという恋愛主義とが、ふしぎにかちあわず、見事なバランスによって同居しています。前者は大神ソウマという存在によって担われており、また後者は姫宮千歌音の悲恋によって充実しています。男は勝利によって栄誉も女も得るのだ、ということが自明な旧世代的な感覚では、ソウマはむくわれない人になりますが、「人として為すべきことをした」「他人のために命を張った」という男の本分に注目し評価すれば、彼はまったく可哀想でもなんでもありません。「女に選ばれないから」という恋愛主義としての見方は、あくまでも女性的なメンタリティであります。男性の価値とは、基本的に仕事ができること、人間として成熟していることであり、伴侶がいようといまいと評価されやすい。(男性だけではなく、それは女性にも求められてしかるべきだが)。好きな女に選ばれなかったからといって、彼が負けたわけでも、劣っているわけでもないことを重々承知しておくと、この作品のロボットパートもずいぶん楽しく観れます(笑)。

この作品は構造が複雑で、男として、女としての精神構造の二本立てで観賞したほうがよいのではないか、さもないとあらぬ誤解を生みかねないのではないかと思うのです。百合ジャンルといってもちょっと毛色の変わった作品ですよね。


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