陽出る処の書紀

忘れないこの気持ち、綴りたいあの感動──そんな想いをかたちに。葉を見て森を見ないひとの思想録。

日本の8分の1への責任

2014-09-17 | 仕事・雇用・会社・労働衛生


日本の統計では、秋と冬に人口のとある世代分布を発表しております。
総務省が今年五月に発表したデータによりますと、全国各地の子ども(平成26年4月1日時点での15歳未満人口)の数は1633万人、割合にして12.8パーセント。8人に1人が統計上の子どもとされています。

いっぽう、本日敬老の日に寄せて発表されるのは高齢者の数。
65歳以上の高齢者は、昨年よりもさらに増えて、3296万人。総人口の25.9パーセントを占め、あいかわらず4人に1人は高齢者。さらに75歳以上に限っていいますと、1590万人、割合にして12.5パーセント。すなわち15歳未満の人口と75歳以上の人口とが、ほぼ同じ割合なのですね。

この超高齢化社会はもちろん先進各国でも進んでいる現象ですが、日本はとみにこの高齢化の伸び率が高いとされています。第二次大戦直後に日本では復員した男性と戦中の焦土を生き延びた女性によって、出産率が高まります。その戦後世代、とくに団塊の世代といわれるベビーブーマー層が、ここ数年でのきなみ高齢化を迎えているからです。

高齢化になりますと困るのは介護、医療、そして社会保障ですよね。
20年ほど前まではこれから介護ブームがくるとやらで介護士の資格取得者が多かったのですが、労働環境が厳しく離職が後を立たないとされています(正確に言うと、ほんとうに人の世話が好きな人と単にブームだからで就職した人のやる気の違いだと思うが…)。医療では以前は高齢者の診療は無料だったけれど、いまは75歳以上は後期医療保険制度に加入し1割負担(高収入者は3割負担)となりました。とくに大して病気でもないけれど、話し相手欲しさに街の診療所に寄り集まってくるお年寄りが増えたという報告もあります。朝、公園を歩いていますと、元気なお年寄りが多いですよね。

ここ最近、敬老という感覚が薄れてきたのは、ひとつにはマスコミやマーケットがやたらと煽りがちなアンチエイジング志向であり、そして年金による世代間の不公平感です。現役世代の年収に占める社会保険料の割合は年々上昇しています。わずかながら年金の支給額が削減されはじめましたが、それでも現役世代の負担増は避けられません。年金とは「孫のキャッシュカードからかってに祖父母がお金を引き出すしくみ」などとも揶揄されています。でも、ほんとうにそうなのか?

いわゆる年金受給世代、とくに団塊の世代への不満が根強いのは、現在の20代後半から30代後半でしょう。とりわけ30代の就職氷河期世代は、団塊の世代の大量退職にちなむ採用増の恩恵に授からずに、新卒時に就職先の間口を不当に狭められた世代ですから、なおいっそう不満が根強いものです。戦争をして社会の階層をいちどめちゃくちゃに壊してしまえば、俺たちも這い上がれるという、戦国時代や幕末期のような革命幻想が根っこにあり、俗に言うネトウヨ思想が強いのも30代(というか40代前後)らしい。

しかし、ほんとうに怖いのは世代間の格差や対立ではなく、実は同世代間における格差と対立の問題です。年金についても、同じ高齢者であっても現役時代に資産を形成できていた人、リタイア後も収入源や仕事がある人とそうでない人の老後には、実に大きな差があります。生活保護でも、年金だけでは足りない、もしくは年金の受給権がない高齢者が多く含まれていたりする。いっぽうで、趣味にお金をかけたり、派手に旅行したり、高額の老人ホームに入居して悠々自適の生活を送る高齢者もいる。

この格差の構図はいずれさらに拡大されるでしょう。
皮肉なことに、他ならぬ高齢化を忌避してやまない30代によって。なぜならば、日本の人口上、団塊の世代に次ぐ大きなクラスタであるところの第二次ベビーブーマー世代は、忌み嫌っている親世代以上に悲惨だからです。定職に就けなかった、高学歴(だと本人は思っているが、実際は高卒以下の学力の名ばかり大卒が多い)なのに相応しい地位が与えられない、フリーター生活から抜けだせなくなった、だから未婚であったり子どももいない。そんな30代下手すると40代までもが現在日本の4分の1を占める上世代を恨み、妬ましいと感じている。私にもそのようなやましい気持ちがないかと言えば、嘘になります。







しかし、そんないつまでも若い気持ちでいるままの30代が高齢者になったとき、お粗末扱いされてしまうのは、いまの日本の8分の1を占める子ども世代からでしょう。いまの30代が子どもの頃に感じていた景気の良さや豊かさを、現在の10代以下の子たちは知りません。あと30年もすれば、現在の8分の1を占める後期高齢者層はほとんど存命していない。わたしたちが憎いと思っている上の存在はいずれ消えてなくなりますが、今度は自分たちが年下の日本の8分の1から恨まれ、疎まれ、けなされていく存在になっていくでしょう。30代こそが日本史上類を見ないお荷物世代だと見なされてしまうのです。いつまでも高齢者への不満ばかり語っていてよいのでしょうか。

いまの30代以下は進学率が高く、院卒も多い。
そのためにモラトリアム期間が長くなり、その分、社会に育ててもらった期間が長かったといえます。いま、年金世代の人はじゅうぶんな教育も受けられず、また、現代のような安価なレジャーもなかった世代。結婚相手ですら親の意向が先で、好きな人を選ぶこともできませんでした。それに比べたら、今の方がずいぶんと選択肢が広がっていますし、自由度も高い。昔は食べられなかったお菓子や果物がふんだんにある。物質的にはかなり恵まれています。でも、いつまでも子どもの時分のような自由を謳歌しているうちに、浪費した時間はもう戻ってきません。

すでに手に入らなくなってしまった若さやみずみずしさを掛け値無しに喜んでしまううちに、いつのまにか、自分がどれほど老いらくへの道を進んでいるかを忘れてしまうことがあります。70歳を越えて文学賞を受賞したり、エベレストに登頂したり、という記録更新を聞くにつけ、自分もまだまだやれると勘違いしてしまう。そのいっぽうでスポーツでもゆとり世代と虚仮にされていた若い20代が目を見はる活躍を見せています。要するに、ほんとうに深刻なのは、世代間ではなく、個々人の格差なのです。誰もがそこそこ学力があれば大卒になれた時代が続いたために、自分の実力を勘違いしてしまっている。ですから、新卒で自分のレベルでは入れなかったはずの派手な業界や大企業に期限付きの派遣で就職して、自分は大企業で専門職なのよ、と見栄を張っている方も多いです。(こういう人は、中小企業で正社員で揉まれてきた人をものすごく馬鹿にしますけどね…)

もう若くもないが、まだ老いてもいない中途半端な世代に生きる私が、この敬老の日に思うことは、いかにして日々つつがなく生きるかを、リタイア現世代に学ぶことでしょう。自分がもう老い先短い、残された時間が少ない、となれば人はどうしたって傲慢になります。感覚も不自由になり、判断力も衰え、どうしたって犯罪に巻き込まれやすくなります。子どもを持たないから手がかからなくて自分だけの楽しみに生きてきた人が、ある日、親の介護に直面し、自分ではどうにもままならない問題がつぎつぎに起こってくるのも、無邪気に夢を追えなくなってくるのも、のきなみ30代からです。世代でひとくくりにしたところで、実に多様な生き方があるのです。

おそらく、いまの現役世代の老後は想像しているよりも厳しくなるでしょう。
いまの収入や仕事がいつまで続くか判然としない、漠然とした不安がありましょう。だからこそ、わたしたちの後ろにいる若き8分の1世代に、自分たちの犯している怠慢や無能さや驕慢を残してはいけない、と感じるのです。もはや敬うべき年寄りが身近にいないのならば、敬老の日とは、そういった老境の覚悟をしていく日となるはずです。

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