陽出る処の書紀

忘れないこの気持ち、綴りたいあの感動──そんな想いをかたちに。葉を見て森を見ないひとの思想録。

ネットカンニングを振り返る(一)

2012-01-11 | 教育・資格・学問・子ども
大学入試センター試験が近づいてきました。
二年まえにはインフルエンザの大流行があった(インフルエンザと受験生)ものですが、今年はなりを潜めているせいか、あまり影響はない模様。

昨年、なんとなく記事にしそびれた一件に、京大入試におけるネットカンニング事件があります。仙台市内の当時十九歳の予備校生が、ヤフーの質問掲示板に試験中に携帯電話を経由して問題を投稿し、解答を得たものです。偽計業務妨害で逮捕・送検された予備校生は不起訴とされました。

三月に東日本大震災が起こるまで、連日、国内を大いににぎわした事件でした。
とくにテレビや新聞などマスコミは、犯人のプロファイリングや犯行の再現に必死。まさか、ただの素人のいち学生が特別な装置もなくしでかしたことだとは,思いもよらなかったことでしょう。さらに、犯人のIDを騙ってツイッターなどで発言する愉快犯も現れて、なおさら事件の報道に拍車をかけました。なぜ、大マスコミがそれだけ注目したのかと言えば答えは言わずもがな。こうした業界には受験エリートが多いからであって、自分たちが心血注いで乗り越えてきた受験戦争を、モラルのない若者が切り抜けようとしたことが、まったく許せないからなのです。そして、これの怒りの声をあげた人びともおなじ思いであったでしょう。

とはいえ、マスコミの報道においても同情意見も多々ありました。
その一部は、現況の制限時間内に知識偏重と暗記に頼る受験勉強をみなおし、いっそのことネットを使った調べもの学習の成果として受験をおこなってもいいのではないかということ。たかだかカンニングに、重罪犯罪者あつかいをしたのはおかしいというネット上での反論に譲歩したものでありましょう(その批判の急先鋒になったのが、脳科学者の茂木健一郎)

しかし、あのネットカンニングの青年は、ややマスコミが騒ぎすぎた感はありますが、社会的制裁は受けてしかるべきでした。率直に言わせてもらえば、家族に不幸があって金銭的にも精神的にも苦しい受験時代を通過した身としては、まったく苛立たしい。あのような方法で名門大学に合格したことは許されてよいわけはないのです。これは私だけではなく、多くの生真面目な受験生がそう思っていることでしょう。自分が三年間努力してきたのに、たった数分のカンニングでずるをして合格した人とおなじキャンバスにいる、もしくはその一名のせいで自分が不合格にされていたとしたら。憤懣やる方なしですよね。しかも、犯人は模試で常習的に繰り返していたというわけですから、受験末期に追いこまれて魔が差した過ちともいいきれない。
そして、現在の受験内容を改革せよというのもおかしな話です。もし、それが実現したとしても、いまの若者はネットで調べたらなんでも分かると思っていて、業務に必要なことをしっかり覚えようとしない、メモすら取ろうとしない、という上司のぼやきが増えつづけるだけです。そして、この一件で断罪されるべきは、犯人もそうですが、このような犯人を生み出してしまった教育のIT化政策にあったと言わざるをえません。

教育のIT化の過剰な推進の弊害についてはいずれあらためて述べることにしますが、ネットで調べさえすればなんでも知ることができるという状況は、便利ではありますが、人を賢くはしません。情報を多く知っているのと、考える、感じる作業は別のものです。アナログ人間のたわ言と思われるかもしまれませんが、手を使って勉強しない学習は脳をかなり退化させてしまいます。現にPCで文章を書くことが多くなった私は、中学生でも書けるはずの漢字がまったく思い出せないことがあり、変換ミスの語句ですら気づかないこともざらにあります。民主党が検定教科書やらを廃止して、ネットでPDFで配布すればよいと言ったときには呆れたものです。

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