陽出る処の書紀

忘れないこの気持ち、綴りたいあの感動──そんな想いをかたちに。葉を見て森を見ないひとの思想録。

ネットカンニングを振り返る(三)

2012-01-13 | 教育・資格・学問・子ども
ひとつ、事後で気になったことは、試験問題を流出した側は処罰されるが、ではその問題を解いて答えをあたえた側は処罰されないのか、ということです。犯人が検挙されるまでは、裏で手引きする人間がいる組織犯罪の可能性も指摘されるほどでした。しかし、もちろん自分で解いて答えを与えた人は、カンニングだとは気づきはしなかったのですから罪に問われるわけはありません。おそらく、参考書の過去問に難渋している受験生の苦労が目に浮かび、親切心で教えてあげていたのでしょう。

今回の一件で、今後どこかの受験生が質問しても警戒して答えようとしない人もいるかもしれません。私はむしろ、そうした風潮をつくりだすようにしてほしいと願っています。そもそも回答者は一から十まで解き明かして、清書してみせる必要はなかったのです。ヒントを与え、投稿者本人に自力で解かせるように促すのが筋であるからです。試験というのは、点数付けをするのではなく頭の訓練をさせるものです。考えさせず、答えだけを与えることを教育とは呼ばず、理解させず指導者の学力を見せつけることも教育ではありません。私はここでは、理数の問題を想定して述べたのですが、英訳の場合なら、試験問題と気づかずにうっかり答えをそのまま渡してしまうこともあるでしょう。
しかし、今回のように、大学入試の英訳ですら人に頼るような人は、その大学に入ってはいけません。学術の誉れ高く歴史ある高等教育機関は、論文を自分で英訳できないような基礎学力もない人を必要とはしないからです。

ある犯罪が生じると、世間の人びとの批判はその犯人に向かうことは必然です。
そしてその加害者の立場に近い人びとは同情し、肩入れをし、そこまで罰することはないのにと言う。私はなるべくなら、個人を断罪するだけに終わらないように、この問題について考えてみたかったのです。その人だけが悪い、のではなく、なぜ、そのような状況が用意されたのか。どうすれば、そうしないようにできるのか。

なぜ、起きたのかといえば、それは行き過ぎたIT教育のせいです。IT教育は、自力で考えるちからを身につけさせません。それが強いることは、紙の辞書や重い参考書よりも便利なツールで答えを探してこいというだけ。つまり、文部科学省が訴えていた教育方針や方向性を、その方法においてぶち壊していたといわざるをえません。そして、教科書や参考書の解法を丸暗記にすれば乗り切れるかつての受験となんら変わりはなかったのです。ネットのどこかに答えが転がっていると思えば、人はそれをいつまでもある豊かな貯金のようなものだと思って、自分で摂取しようとしない。

どうすれば、そうしないようにできるのか。
携帯電話や端末をあらかじめ預かったり、受信妨害をしたり、そんな物理的な対策以前にも、やることがあります。そしてそれは大学など受験会場だけですむことではない。先述したとおり、ネットカンニングはそもそも大学受験だけで起こりうる問題ではありませんでした。むしろ、いろいろな試験で起こりうる危険性があったのに、たまたま、最初にその裂け目が見えたのが大学受験だったと言ったほうがいい。だから、ネットで誰かがそれらしき質問をしてきたらすぐには請け合わないこと、もしくは、なるべく時間を置いて、ヒントを小出しにして最後は自分で解けるように導くのみにとどめることです。ヤフーの質問掲示板はベストアンサーに高ポイントを課すしくみになっているため、つい,親切にすべて答えを与えてしまいたくなるようなシステムですので、利用者の自制が必要となるでしょう。

そして、いま、受験で苦しんでいる人、楽してでも受かりたいとふと逃げたくなるような人に言いたい。

もし、あなたがどうしても解けない問題があったら、学校の先生、塾・予備校の講師、知り合いの大学生や受験経験者の両親など、誰でもいい、とにかく身近な人に面とむかって質問して、しっかりとわかるまで教えてもらうようにしましょう。ネットで顔も知らない大人(ただしe-ラーニングを開設している信頼のおける団体はのぞく)に聞けばいいや、めんどくさくなくていいし、なんて思うのは絶対にやめましょう。できれば、問題の解き方を教えてくれるだけでなく、あなたの悩みやストレスも受けとめてもらえるような、仲の良い信頼できる大人の味方をつくっておきましょう。人生を励ましてもらえる相手は現実につくりましょう。

私は今回の件に関して思ったのは、この当事者が親元を離れた予備校に通い、いちから新しい環境で勉強に勤しむにあたり、理解を支え深めてくれるような大人(もしくは勉強を教えあえるようないい意味でのライバル)が周囲にいなかったのではないか、ということです。だからこそ、インターネットに頼ろうとした。ネットには自分の発言を多数の人が平等に指示してくれるはずだと信じさせるようなまやかしがあります。IT端末に頼る教育は、ほんらいならば指導者と生徒の交流で成立するはずの教育を壊しているのです。そしてIT化がいちばんに貶めているのは、生徒の学力以前に教師たちの指導力なのです。端末のあつかいには長けていても人間味のない先生よりも、手書きのプリントを自作したり、教科書にはないことをおもしろおかしく喋り交ぜながら教えてくれる先生の授業のほうが、はるかにおもしろいのです。

いずれにせよ、今後はぜったいに起こってほしくはないことですね。
苦労して掴んだキャンパスライフはなにものにも代え難いもので、人生の財産になります。大学名がというより、そのとき頑張ったという体験が。そして、大学の入試というのはその大学の講義についてこれるだけの高校卒業程度かそれ以上の学力があるかを測っているものです。受験時代は苦痛で無意味と思って学んだことが、のちのち活かされることもあります。さらにいえば、進学するということは出会いの範囲をひろげることです。正当に戦ってきた勇者に会って影響を受けたいのなら、まず、自分が正当に戦う勇者になったほうがかっこいいのです。

ただ過剰な受験戦争のストレスで心身のバランスを崩すことも同情できます。けっきょく、ネットカンニングで論争を呼んだ受験の在り方についての改案はなされませんでしたが、もし打開策があるとすれば、税理士受験のように、不合格者でも高得点を取った科目を翌年もリークできる、あるいは入試を年度の前後半の二回(現状の二、三月と、夏と秋の試験休み)に分けるという制度ならば、まだしも受験生が救われるのではないでしょうか。

【関連記事】
ネットカンニングを振り返る(一)
ネットカンニングを振り返る(二)

この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« ネットカンニングを振り返る... | TOP | アニメ「輪るピングドラム」... »
最新の画像もっと見る

Recent Entries | 教育・資格・学問・子ども