陽出る処の書紀

忘れないこの気持ち、綴りたいあの感動──そんな想いをかたちに。葉を見て森を見ないひとの思想録。

明智光秀の功績

2014-09-12 | 芸術・文化・科学・歴史


近年の大河ドラマときたら、やたらめったら、戦国時代ばっかり。
戦国の初期ならばいいのだけれど、織豊政権の安土桃山時代ばかり。しかも、周辺的な人物をあえて主人公にすることで、なんどもなんどもドラマ化されます。視聴者としましては、すでに知っている歴史の流れを追うわけで理解しやすいのですが、いささか新鮮味に欠けますよね。

さて、今年はそれなりに大好評中の大河ドラマ「軍師官兵衛」。
ちょっと前に、とうとう本能寺の変を迎えました。今回の信長演ずるは江口洋介、そして明智光秀役は落語家の春風亭小朝。従来の(といっても、私が記憶するのは1992年の「信長」のマイケル富岡ぐらいからなのだが)光秀は、有能で見た目もスマートなのだけれど、信長に不当に酷い扱いを受けるという俳優陣が目立ちました。私の周囲では、今回の光秀のキャスティング、不評が多かったのですが、私はあれでいいのではないか、と思います。どっちかといいますと保守的で、信長の革新的なセンスにはついていけなかったタイプ、そんな腰の重さがよく表れているように感じました。

本能寺の変の真相というのは、日本史上最大のミステリーのひとつ。
私がよく覚えているのは、過去のドラマでそう描かれたのだと思いますが、人質にした実の母親を信長がむざむざ見殺しにしたので逆恨みした、という説。信長は実の弟ですら暗殺してしまう人ですからやりかねない。武家の女にも覚悟がいる、戦国の世のならいだよ、と言われましても、信長は自分の妹と姪たちの命は助けているわけですから、理不尽だと思えなくもないですね。

今回の「軍師官兵衛」における光秀の謀反の理由は、信長が天皇制を否定したことでした。光秀は朝廷を重んじ、そもそもは足利将軍の重臣だったわけですから、筋金入りの保守派。つまりいまで例えるならばネトウヨですね。なぜ、NHKがこういう演出にしたかといいますと、二年前の「平清盛」にて、朝廷を「王家」という貴族と並ぶただの一権力者の家庭に過ぎないという評価にしたがために、視聴者の反発を喰らったからなのでしょうね。皇室を軽んずべからず、というわけです。

光秀は本能寺の変の直前、信長に所領を召し上げられ、毛利討伐に成功したらそこを与えるとけしかけられていました。明日から給料払わないよ、社宅からも追い出すよ、欲しかったら新規に契約とってきな、というわけです。こんなこと言われたら、どんなに忍従のあるサラリーマンだって、そりゃ社長を殴りたくなるでしょう。ブラック企業もいいところです。光秀が接待をしても、信長はイチャモンをつける。暴力をふるう。光秀のリサーチが足りなかったのかもしれないけれど、信長のことだから気が変わって正反対のことを申しつけていたのかもしれません。

本能寺の変がドラマでなんどもなんども再演される裏には、日本のしがないサラリーマンたちの悲哀があります。カリスマ性はあるが強引な独裁者への批判があります。光秀は信長を倒し権力を乗っ取ろうとするのですが、根回しが浅く、他の大名の尽力を得られませんでした。娘婿である細川忠興にすら裏切られます。そして、秀吉軍が大挙して押し寄せてきて敗北、残党狩りの農民に討ち取られるという無残な最期を遂げます。そして、夫の不貞を嘆いてキリシタンになった細川ガラシャの悲劇も、それに端を発しているに違いない。

光秀の敗因は皮肉なことに、その右翼思想であったとも言えます。
明智光秀の先例となるような武将は、いくらでも歴史に見出すことができます。たとえば源義経、後白河法皇に癒着しすぎたために兄の樹立する武家政権と対立してしまう。楠木正成も後醍醐天皇擁する南朝派であったので滅ばされます。世間の大半は武士が支配する世の中を望んでいたのに、旧態依然とした王朝支配への回帰を望んでしまった。王政復古の明治維新が到来するまで、明智光秀は評価されえなかったでしょう。

悪く言えば、計画性のない革命を起こしてしまった愚策の人物。よく言えば、こんな恐怖政治のリーダーはおかしいよ、と命を賭して異議申し立てをした人物。しかし、光秀なかりせば、秀吉の天下統一も、さらにはその後の家康の江戸幕府政権樹立もありえなかったでしょう。江戸幕府は二百数十年もつづき、身分制度の固定はありましたが、幕末まではさほど大きな戦争はなく、海外からの脅威もなく、豊かな文化が花開いていた時代です。光秀はそんな安定した時代への道を切り開いた人だとも言えます。もし彼が仕えていたのが、家康だったならば、それなりの大名になっていたかもしれません。事実、光秀の重臣である斎藤氏の娘が、あの家光の乳母の春日局なのですから。

信長に寵愛された宣教師ルイス・フロイスの書簡によれば、光秀は狡猾で油断ならない男だったと評されています。しかし、歴史上の人の評価なんてわからないものです。利権におもねる人物からすれば主君の仇は悪く書かれてあたりまえ。敗軍の将は惨めに演出されるものです。

しかし本能寺の変からすでに五百年も経つ今、我々の前に視覚化されるドラマの光秀は、やや臆病さのある面も描かれていますが、上司の命令に卑屈に耐えている寡黙な部下という印象です。年貢の取り立てには寛容で領民には慕われていたとの指摘もあります。光秀を偲ぶまつりや遺跡も多い。名のある書き手が残した伝記よりも、口頭で伝えられている善政こそが、その人の本質を語っているのではないかと思われるのです。

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そういえば、信長公の某子孫フィギュアスケーターがオリンピックで靴ひも解けたときも、先祖の報いじゃないかって噂されていましたよね。大事なところで詰めが甘い人って直情型で、結果よりもそれを追い求めていくプロセスに燃えるんだと思います。ですので、信長が日本統一しても、しょっちゅうスリルを求めて戦争していたのかも。


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