陽出る処の書紀

忘れないこの気持ち、綴りたいあの感動──そんな想いをかたちに。葉を見て森を見ないひとの思想録。

キッチュなる日本画家・加山又造

2009-02-23 | 芸術・文化・科学・歴史
二月二十二日の新日曜美術館の特集は、日本画家の故、加山又造。
失礼ながら、そのご芳名を存じているのみで、じっくりと作品と向き合った覚えがありません。たぶん、一度くらいはどこかの美術館で見ているはずです。でも、印象がなかった。おそらく、私はその頃、日本画というジャンルに興味がなかったのでしょう。しっかりと、その作を見た現代日本画家といえば、堂本印象ぐらいしか、思い当たりません。それも美術史のレポートのためにむりやり見たというぐらいで。

しかし、この日本画というもの。いや、明治期にできたそのジャンル名で呼びならわすものを超えまして、日本の絵画すべてにおいていえること。それはやはり、実物で見たほうがよろしい。といいますのも、やはり障壁画や屏風絵の場合の、スケールや立体感が違ってきますね。もちろん西洋の絵画でもそうなのですけれども。

梅原龍三郎などのバタ臭いギラついた画面には、瞼に油を塗られたように見るのが重くなってしまうのですけれど。この画家の画面には、そんな重さはなく、清涼感がありますね。とても洗練された構成です。
たぶん、着物の図案家の家に育ったことが影響しているのでしょう。

この加山又造の作でおそらく目に慣れていましたのが、いまゆる琳派ふうの作品でありましょうか。
しかし、番組で紹介されていた初期作に度肝をぬかれました。七六年作の「黒い薔薇の裸婦」は、まるでモード雑誌の挿絵のよう。じっさい、着物や陶器の意匠、はてはジャンボ機の室内装飾など、デザイナーとしての一面もあったようです。

この画家は、伝統の様式美と、革新的な技法とをくみあわせて、日本画の新境地を開いたとされており。
番組内では、エアスプレーや歯医者でつかうレンズなど、日本画の常識から逸脱した手法をえらんでいたようで。たとえば、手法の多様化、絵画からの逸脱という意味では、それまさしく、モダンペインティングの系譜なのですけれども。加山の場合、奇抜な手法をとっても、描いたものは日本人の情緒にしみいるように訴えるもの。そこが、乱暴に殴り書きして画面の調和を乱しただけで由としたモダニズム絵画とは一線を画すわけです。

ちなみに私は様式が確立する前の模索期、五〇年代のシュルレアリスム風がとくに好きですね。それは、彼の画業をとおして西洋絵画史にアクセスする試みに他ならないわけで、そこに独自性がないといえばそれまでですけれど。

それから、なんといっても、すごいのが水墨画。八九年の「倣北宋水墨山水雪景」は、いわゆる朦朧体のような甘い紙の白さがなく(加山は紙の白さを残すというン本画の常識をくつがえし、白い絵の具を塗って地をつくったので、画面の白に異様な輝きがある)、どの線にも先まで耐えることのない力を感じます。手前のものが色濃く、遠くに行くほど薄く淡くという遠近法をくつがえし、前景が真白にかがやき放ち、遠景にうつるほど闇に染まっていくという、恐るべき三遠法。

おどろくべきことに、画家はまだCGがさほど流通していない十年ほどまえに、すでにコンピュターで絵を描いていたそうで。今回の番組で本邦初公開されておろました。どんな道具をつかっても、やはりセンスのある人が描いたものは、違いますよね。当時、七〇歳を超えていたといいますからなおさら驚きです。彼の画業のなかには、ラスコーの洞窟壁画からはじまって、最新のイメージ表現にいたる絵画の歴史がたちああらわれてくるのです。

番組では横山操という同好の士との交友も紹介されていました。
私は荒削りなところのある横山氏よりも加山氏の作風のほうが好きではありますね。五〇代にして病に倒れた横山氏、あと二十年生きていればどんな画風を見せてくれたのか。

人まねをしないことを信条としつつ、古典に倣うことは熱心だったという画家。なによりすごいのは、彼自身が彼をコピーしないことだったのではないでしょうか。ほんとうにバラエティに富む画業ですね。

【関連サイト】
加山又造展公式サイト


【画像】
加山又造「倣北宋水墨山水雪景」 (部分) 一九八九年、多摩美術大学美術館蔵 



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