
私は何度か本の断捨離をしていますが、手元に残す本の規準は再読する可能性があるから。
ふたたび手に取るのは、初読時は書けなかったであろうレビューをする予定を見積もっているから。ブログなんぞを運営すると、記事のためにイベント参加したり、作品をコレクションをしたりということがあります。かつて、映画記事を量産していた時代の私がそうでした。
ところで、私がつねづね読書家風情を名乗りながらも反省すべきなのは。
読んだ本のレビューをすぐには書いてこなかったことです。なぜ、すぐに書けなかったのでしょうか。
連載ものや新刊は周回遅れになるとニュースバリューが落ちるので、もういいや、となりがち。また他のレヴュアーの記事やつぶやきを読んで満足してしまい、自作しなくてもという遠慮もあったりします。
期待して買った本なのに、イマイチ何かが足りなかった。
かつての私ならば★3つなどとして酷評していましたが、現在は時間が余っていません。もし再び手に取る機会があるのならば、といったんこうした微妙な本は、空き家の保管庫へ移しています。
時間があるときに一気読みした、じつに面白かった、感想は述べたい。
――けれども、あまりにシリーズが長大でコンパクトにまとまりきらないので、断念したというコミックも多々あります。鋼の錬金術師のコミックは実は初版時は途中で飽きて売り払い、再アニメ化のあとで原作を大人買いしなおしてハマったのですけれども、いまだにレビューをしたくても一歩踏み出せずじまい。有名作ほどこの傾向はあります。なにも後発組の私がいまさら書かなくとも、という気後れがあったりもして。
レビューを遮る要素のひとつが、一度に複数の本を同時読みしてしまうので、終わった途端に別のものに目移りしてしまうことです。これはよくありませんね。現在、私はマリみて再読チャレンジで全巻をランダム読破をもくろんでいますが、なるべく一巻づつ読んでレビューを書いてから次を手にするようにしています。そのため、図書館などに立ち寄ってふらっと新しい小説なんぞを持ち帰らぬようにセーブしています。
以前は、本の感想なんて早けりゃいいもんでもなし。
気まぐれに好きな時に、気分が乗った分量だけ書けばいいと思っていました。けれども、年年歳歳思うのは、好きな著作者が鬼籍に入られたりして、自分の感想を届けることがきなくなるのではなかしら、という後悔です。
とくにこれは、マイナー作ほどそうで。
普段からあまり反響がないようなニッチなジャンルは、たとえ、小さな拙い褒め言葉であっても、創作者の栄養分になりやすいものです。出版社が目にとめれば、次に仕事に結びついたり、創作意欲の維持につながるのかもしれません。
そう思った私は、今年に入って、すでに数年来放り放しだった感想を次々に仕上げていくことにしました。もう少し気の利いたことを書いて面白くしてやろう。そう油断して寝かせてしまったばかりにお蔵入りになったり、忘れたり、うっかりデータが消えた。そもそも感動したことを忘れていて、うっかり手放してしまったなんてこともあったかもしれません。
そうならないうちに、やはりレビューは心の熱いうちに書くのが一番。
若い時は拙くても、もういちど読んだときにしっかりしたものを書き直せばいいじゃないか。そう開き直るようにしています。
実際、私は拙ブログ開始の時のあほくさいノリで書き綴ったビギナー丸出しの記事が発掘されて頭を抱えたくなりますが、だからこそ、落ち着いた今ならもっと違った切り口で語れるのではないだろうかと模索して修正することもあります。現象学的なものいいかもしれませんが、同じ本を読んでも、あの時の自分と今の自分は違う。そういったことってあるわけですよね。再びページを開くまでに重ねてきた経験値によって理解度や感覚がずれてしまうから。
本や作品と向き合ったときの語りを通じて、自分の人生の価値観を再発見することがあります。読者の意識は変わるもの、前は面白かったのに、つまらないと思っていたが、などなど自分の意識の違いを発見するのも読書家ライフの醍醐味なのです。
こんなクダを巻きながらも、その時間で一冊サクッと呼んですぐ感想を書けばいいのにと反省してしまう葉っぱなのでした。
実際、中途半端に面白い本は感想書いたら捨ててしまいたいものですが、すぐ書かないせいで、また再読することになってしまい時間が二重になってしまうこともあるんですよね。再読してなおさら面白いになれば儲けものなのですが、そういった化学反応が起きないこともあるわけです。でも、つまらないとすぐ一刀両断するのではなく、なるべく良さを発見できるような自分のメンタルがいい状態を待つこともまた善き読書家の務めではなかろうかとも思うのです。
(2023/06/18)
読書の秋だからといって、本が好きだと思うなよ(目次)
本が売れないという叫びがある。しかし、本は買いたくないという抵抗勢力もある。
読者と著者とは、いつも平行線です。悲しいですね。