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陽出る処の書紀

忘れないこの気持ち、綴りたいあの感動──そんな想いをかたちに。葉を見て森を見ないひとの思想録。

読書好きは本の愛着が深すぎて困ります

2025-04-23 | 読書論・出版・本と雑誌の感想

拙ブログでは定期的に断捨離のお話をしています。
これは、私が気を抜いてしまうと片付けられなくなってしまう性質だからです。物の整理ができない人は、そもそも学業も仕事もうまく行きません。頭の中身やこころの状態は、部屋の模様と一致しているからです。部屋にものを置きっぱなしの人は常に何かに苛立っています。私がいつもそうでしたから。

現住まいおよび空き家で、私が片付けられない原因は、むやみに本を買い集めてしまうこと。
ブックオフのセール日があるとオトナ買い。アマゾンで大値引き本があるとまとめ買い。ある日、経費帳をみてびっくりしました。まだ3月なのに、昨年度の図書新聞費分の累計額に近づいています。

本を買いすぎたなら買わないようにしよう。
なので、今ある本は後生大事にしよう。これもまた間違っています。古くなりすぎた本はどんなに置いておいても読まないもの。ですから、いっそ手放して、新しい本を迎えたほうがよいのです。安くて内容の重複している本を何冊もではなく、厳選した良書だけを買う。あとは借りるか、買っても読み終わったら保管したくないならすぐ処分する。こうしたことを徹底していくようにしたいです。無駄に本棚を増設しなくてもいいですし。

さて、このたび、処分したのは大学時代の研究資料。
現住まいの押し入れ、および空き家に保管してあった十数冊の美術・美学の洋書。一部は研究費で買ったものもあり、個人のものもあります。これらを母校の大学の付属図書館に返却および寄附することにしました。附属図書館付けにしたのは、当時の指導教官が退職し組織改編されてもはや研究室が存在しないこと、図書館の書庫に入れた方が他学の研究者も利用しやすいからです。

実は数年前にも、借りたままの資料を附属図書館に戻したことがあります。
失礼な話なのですが、当時、大学院の先輩から研究費として買われた資料は、院生ならば私物化してよいと教わっていました。しかし、よくよく見たら、研究書にはしっかりラベルがありますし、図書館のデータベースにも登録されているはずです。学生さんもそうですが、大学所属の研究者・教員たちも科研費で購入した共有資料を自宅へ持ち帰ったままになっているのでは、とも感じます。

私が本を保管しすぎていたのは、いつか、その研究資料を読み返してブログに発表したいと思ていたからでもありました。しかし、もういい年の自分には、そんな時間の余裕は残されていないでしょう。個人事業上も解決せねばならない課題がありますし、身につけねばならないこともたくさんあります。のんびり美術書ばかり読んでいる暇はねーや、ということで。思い切って払い出し(というか、あるべき場所に戻すんですけどね)することにしました。

ほんとうは、母校を訪れてきちんと挨拶してお返ししたかったのですが。
なにぶん、コロナ禍ですし、みだりに県境を越えるのもはばかられます。担当司書さんに事前連絡の上、丁重な手紙を添えて送り出すことにしました。

ついでに、私は机まわりや本棚に陳列してあった資格テキストや学習ノートも参考にならないものは処分しました。受験をあきらめたのに、士業資格テキストだけ飾っているのは何とも未練たらしい。合格したテキストも使えるものだけを保管することに。法律の中身は年々改正があるので、学習テキストは一年もたてば時代遅れになります。

若き日の夢を手放すのは口惜しいですが、また新しい目標があるなれば、それもまたよし。
読書好きは本の愛着が深すぎて困りますが、新しい分野を学ぶときには、古い分野の本を捨てていかないといけないこともあるのです。

(2022/04/17)

読書の秋だからといって、本が好きだと思うなよ(目次)
本が売れないという叫びがある。しかし、本は買いたくないという抵抗勢力もある。
読者と著者とは、いつも平行線です。悲しいですね。

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