陽出る処の書紀

忘れないこの気持ち、綴りたいあの感動──そんな想いをかたちに。葉を見て森を見ないひとの思想録。

圓通寺の想い出から

2022-08-14 | 芸術・文化・科学・歴史

旅に出かけた時期が多かったのは学生時代。
何せ、あの頃は時間に余裕もあり。バイトで稼いだお金は自分が自由に使えたからです。気ままな独り暮らし、安い学生寮で過ごしていた私は、お金に糸目つけずに研究資料となる古書を買いあさり、週末には教養を高めるためと称してミュージアムや寺社仏閣に通い、毎日を謳歌していました。今となってはもうあり得ない日々です。

断捨離をしていたら。
そんな若き日の想い出の記録が出てくることがあります。

今回のこの画像、京都の圓通寺のパンフレットからの記載。
大学院生のころ、ひと足先に社会人になった親友と出かけた場所でした。過去の日記にも書きましたが、私は京都よりは奈良や大和地方が好きで、あまりきらびやかな貴族文化は好みませんでした。くわえて、京都は修学旅行で訪れた場所で観光の名所でもあり、人が多すぎて避けたいと思っている場所。大阪の梅田から電車を複数乗り換えられないと出られないことや、碁盤の目のような路地で迷いやすく疲れてしまう街という印象がどうしてもありました。

ですので、友人から誘われない限りは京都や神戸などは率先して出かけたりはしませんでした。
このお寺も、連れていかれるまでは知りえなかった場所です。





パンフの山門は銀雪で白化粧された美しいものですが、訪れたのは初夏だった覚えがあります。
駅からかなり歩いたものでした。行き先を告げられていなかったので、うっかり歩きにくい靴を履いてしまっていたのです。




いわれを見ますと、このお寺、後水尾天皇が建てた離宮とのこと。
どうりであまりお寺っぽくなかったなという印象。人工的な美しさできれいな箱庭なんだけども、どこか不自然すぎて不気味。紅葉の時期ではなかったのですが、実際の庭園は静かな美しさがあったはずです。でも、当時の私は歩き疲れていまして、景色を楽しむ余裕もないほどに。




広島の縮景園やら岡山の後楽園、高松の栗林公園。そして水戸の梅が見事に咲き誇る偕楽園。日本有数の巨大な豪快な庭園を見たことのある私には、このあまりに簡素な庭園は若い頃の私を刺激するものでもありませんでした。後水尾天皇は江戸時代の人物。当時の大名が豪華な庭園をしつらえられたのに比べたら、実にこじんまりした庭園です。そこになにか鬱屈したものを、私は感じてしまいます。きれいだけど狭い小庭の小宇宙を眺めながら、国の中枢で世を動かすこともできなかった天皇はなにをお考えだったのでしょうか。足利義政の銀閣寺もしかりで、どこか隠遁者めいたこうした文化の地には、言うに言われぬ気配が感じられることがあるのです。

 
当時、印刷会社で正社員のデザイナーとして多忙を極めていた親友は、なぜ、私をここへ誘ったのでしょうか。
今となっては本人と交流がなく、所在も知らないために知る由もありません。友人はその後、東京へ転職し、ソフトバンクグループで編集職としてキャリアを積んだあと、ウェブデザインとマーケティングツールを開発した会社を立ち上げて経営者になるものの、会社を畳んでIT企業のマネージャー職へ迎えられたことを後で知りました。ネット上でも彼女の企画講座やITサイトでのコラムが見られますので、その活躍ぶりがわかります。

このお寺はなんと臨済宗妙心寺派。
のちに私が親族の家を継いで家長になったときに、檀家になった宗派でした。禅宗はのお寺はお金にがめつくないので、お寺の会費もしつこく要求してきませんし、環境も質素でいつもきれいに掃き清められています。親族が亡くなった後の新仏供養で訪れた妙心寺総本山は、とても大きな寺で活気づいており、けっしてこんな閑散とした山奥にありがちな寺ではなかったのです。

過去帳をみるに元禄時代から十数代はつづく我が家のその菩提寺で。
私は6年ほど前にお墓のリフォームを手掛けました。古い空き家の納屋の解体もし、大量の荷物を片付け、空き家の維持にかかる光熱費やら税金やらの負担のために苦しみ、時に近隣のトラブルにも巻き込まれながら、過ごしてきました。

この京都旅をした親友は、私に「自分の夢があるなら身内や田舎は捨ててもいい」と語ったものでした。
実際、私も30代前半で関西を離れる決意をするまでは、都会で人生咲かせるぞと息巻いていたものでした。けれども、そうはならなかったのです。

実際、30代までは上京した友人たちが羨ましく、田舎の片隅で転職をくりかえし、しがない個人事業主の稼ぎで生計を立てる自分の人生はとても不遇だと思っていました。華々しい文化の足跡がある場所とも無縁の、草と樹と土だらけの場所です。

けれども、そんな生活をもう十年以上初めて思ったことは。
どんなにきれいに整えられたお寺や神社があったとしても。自分の祖先がまもってきた霊的な場所のほうが守るに値するものであり、どんなに荒れ放題で管理に手間がかろうとも、数百円程度でたまにその美しさを愛でるだけのスポットよりも、はるかにこの片田舎の慣れ親しんだ土地のほうが愛おしいということです。

このお寺に植生している椿、つつじ、さつき、もみじ、南天の木は。
私が管理する空き家の庭にすべて揃ってあります。いずれ実が成る果樹も植え、金と銀の大ぶりの木蓮が咲き誇り、けっして見栄えがよくはない空き畑に好き放題にのびた野草は、私たち家族の栄養源です。毎日丁寧に刈りこめないので雑草だらけだけども、その草地はかつては甲子園球児の遊び場にもなり、小学生男児の泥遊びの場所にもなっていました。

お金をかけて、旅として出かけなくとも、自然豊かな場所はたくさんあります。
こうしたお仕着せの自然庭園やら寺社仏閣にやたら出かけるひとは、ご実家が寺社の氏子や檀家でお世話をしなくてもいい都会の小さなマイホーム住まいの方が多く、わざわざこうした観光地として整備された場所へ行かないと神聖な気分を楽しめないのでしょう。いつもアスファルトやコンクリートのビル群に囲まれた暮らしをしてるから。上京した親友の住まいのあまりの狭さや満員電車のぎゅう詰めに絶句した私は、絶対に東京なんかで働くものかと思ったものでした。上京した親友はとげとげしくなっていて、私はその後、二度と会うこともありませんでした。その後、ネットで動向を検索しましたが現在がわからなくなっています。不安定雇用をくりかえした氷河期世代にはよくあることです。

観光客の皆さんは気づかないでしょうが。
どんなお寺もきれいに保たれているのは、そのお寺の住職さんをはじめ、檀家さんや地元の方々がボランティアで清掃しているからです。寺社の跡継ぎがいないので、神職や僧職者が複数のかけもちになり、普段は滞在していないのにきれいな場所はとくに、近隣の人、農家さんや小商いをされている方ががかなり時間をかけて手入れしています。私もその菩提寺の維持のために管理費を払っているのです。東日本大震災ときは寄付金のお願いがあり、わずかですが喜捨させていただきました。それを惜しいとも思いません。

普通のお寺には、貴族の好みで造営した別荘地のような趣はありません。
かならず墓所があり、人の出入りが激しく、どこか生活の匂いが残っているものです。夏場に墓参りにこられないお墓は供花が荒れてしまい、それだけでその家の生活ぶりがうかがえてしまう。聞けばもう老人ホームにはってしまい、後継ぎが東京に出ていないので、誰も管理できないという。そんなおうちが田舎には増えています。

忙しさにかまけてご先祖様に手を合わせられないのに、家の中に仏壇も神棚もなく祈ることが日常ではない。なのになぜ、まれに思いつき程度の好奇心で霊的スポットをありがたがって巡回するのか。はたして、それで神様仏様は運気をあげてくださるものなのでしょうか。そんな疑問も浮かんでしまいます。

自分の先祖に、信仰した土地神を拝み続け願事(ねぎごと)を繰り返した私は、この十年でやっと自分のやりたかったことを取り戻したという境地に至れたのでした。

コロナ禍のさなか、遠出もできずじまいで旅の美しい想い出に浸ろうととりだしたパンフでしたが。
うっかりお説教がましいことを書き出してしまいました。そして、私はもうこんな境涯にひたるのをやめるために、このパンフを捨てることにしました。もはや通えない場所に未練などないからです。そして他人にはその人なりの信仰や生き方があるのを、自分規準で糺してもどうしようもないからです。こんな曇った眼で景色を見ては、どんな美しいものも見えてはこないのでしょう。

(2022/08/13)






この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« あれからの神無月の巫女、こ... | TOP | 大岡昇平の小説『野火』 »
最新の画像もっと見る

Recent Entries | 芸術・文化・科学・歴史