陽出る処の書紀

忘れないこの気持ち、綴りたいあの感動──そんな想いをかたちに。葉を見て森を見ないひとの思想録。

「夜の逸(はしり)」(三十三)

2009-09-28 | 感想・二次創作──神無月の巫女・京四郎と永遠の空・姫神の巫女

千歌音が新しい生活の目標に目覚めはじめた、ちょうどその頃。
大神家の主こと大神壱之新から、聞き捨てならないことを耳にした。大神老人は姫子が災難に遭っていたあの昨冬、よその村の崇敬会の面々ともども、湯治の旅に出ていたのであった。雪のせいで足留めをくらい、帰る予定が大幅に遅れていたのだという。平素あまり村を出ない老神官にとっては僥倖だったはずのこの旅路で、彼は思わぬ知らせを村人たちから受け取ることになる。

村にあったいくつかの祠が破壊されているというのだ。
その周囲には、巨大な窪みが残されているのだという。人力車がすっぽり入ってしまうぐらいの大きさだった。神木が薙ぎ倒され、泉や池が干上がり、ほふり殺された家畜の残骸があちこちに散らばっていた。どう考えても、一夜の嵐のせい、では片づけられない事態だった。

だが、そも不思議なことは、この火急の事態を国の中心が全く把握していないことだった。
遅れた米騒動がこの地方にも広がり、暴動が起こった時には、政府から派遣された憲兵が目を光らせていたはずだった。米騒動の余波と日露戦役後の大衆の不満は深刻で、鈴木商店がいい例だが、各地の豪商たちが貧民たちの反感を買って狙われていた。政府の要人たちと懇ろになっている姫宮家ならば、その類の掃討など造作もないことだ。なのに、いまだに人的な被害に乏しいとは言いながら、異常なこの事件に、中央が関与しようとしない。また、あの姫宮は都合の悪いことがあると隠蔽しようとしているらしい。

養生と訓練をかねて、たまたま姫子とともに山に分け入った千歌音が目にしたものは、なんとも驚くべきものだった。
ずううん、ずううん、と地鳴りがしたかと思うと、大地が震え、草花が踏みつぶされていく。整然と植えられているはずの神木があっけなく倒れていく。青い梢を高く並べた神聖で良質な山杉が、砂上に立てた棒切れのようになだれていった。巨大な黒い塊がず、ず、ず、とからだをひきずって進んでいるのだ。そのすぐ側を通ったものだから、千歌音は仰天、叫び声をあげそうになったが、姫子の手で口を封じられた。姫子は覆いかぶさるようにして、千歌音の視界からそれを遠ざけた。太陽が葬られたのではないかといぶかしむほど、ふたりの頭上には長いあいだ大きな深い影がなみなみと投げられていた。千歌音はただ怯えて、その場にうずくまっていただけだった。

もうだいじょうぶ。あいつは遠くに消えたわ。
そう声掛けされたものの、千歌音が裾を払って立ち上がったときには、あの魔の影がひきずった痕跡だけ、痛々しく地面に残されていた。巨大な窪みと思われたものは、大きな人の足跡に似ていた。

「あ、あれはなに? なんなの?!」
「あれは巨神(おほちがみ)。いにしえよりこの地に潜む神の化身。すべての封印が破られたんだわ」
「すべての…って。いくつもあったの?」
「破られてもおかしくはなかった。わたしがここにいるもの」
「どういうこと? 姫子とあの化け物となんの関係があるというの?」
「化け物ではない。あれは、古くからのこの国のひとびとが欲してやまなかった神の力。やっと目覚めたんだわ」
「あんなのが村にいたら、村がおかしくなってしまう」
「あれこそがわたしたちの敵。ひとびとの憎悪、怨念、欲望。闇の渕から蘇ったヤマタノオロチの名残り。千歌音、わたしとあなたはあれと闘わねばならないの。千歌音が月の巫女、そしてわたしは陽(ひ)の巫女として」
「…そんな!」

千歌音の唇が震えている。
歯が噛み合わず、肩もとどまらず、足も揃わず、息も乱れはじめる。

こわい! こわい! 怖い! 
あんなおぞましいものを相手にするなんて…。
そんなことできっこない。できるはずがない。
これから、私は学校に通い、乙女らしい成りをして、ふつうの生活を送るはずだったのに。
姫子といっしょに、誰にも邪魔立てされることなく、楽しく明るく暮らすはずだったのに。
あの姫宮のお社を取り戻すために、新しい目標にむかって邁進するはずだったのに。
どうして、こんなことになったのだろう。
これは悪い夢なんだ。きっと、そうよ、そうに決まってる。

頭の中からすべての色が薄らぎ、輪郭がほどけ、しだいに真っ白になった。そして、彼女はその場に崩れ落ちた。姫子がその背中を支えた時には、すでに千歌音は気を失っていた。







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