陽出る処の書紀

忘れないこの気持ち、綴りたいあの感動──そんな想いをかたちに。葉を見て森を見ないひとの思想録。

時の充電

2010-10-06 | 芸術・文化・科学・歴史
部屋の片づけというのは、ある種、慌ただしさにまぎれて急速に忘れ去られたしまった生活の名残りとの、思いがけない邂逅である。
整理整頓がさほど上手くはない私が、ひさびさに腕まくりして片づけにかまけてしまうとたいへんだ。机の引き出しからはインクが切れかけたペンや、芯の折れた先が尖った肌色だけの鉛筆が大量に眠っていたし、重なり合った本や新聞紙・雑誌類の隙き間からは、あとから読んでも解読不可能なみみずののたくったようなメモの黒い文字が、蟻の巣をほじくってしまったかのように、わらわらと湧いてくる。大きくまとめて簡単に片づけようとしても、それら細々としたものに気が散じて収拾がつかなくなってしまう。
持ち運び可能なノートパソコンをあちこちに移動させていくたびに、私の休んだ痕跡には、しまい忘れた文房具と、もはや記憶にない走り書きの紙切れ、そして戯れに数頁ほど目を通して飽きてしまった書籍などの散乱が生まれていく。こうしたものは、いずれ要らなくなるだろうことが分かりきっているのに、どうしたって捨てられない。困ったものである。子どものころはもっと整理上手だったのに。大人になったら、執着心ばかりが増えてしまったせいだろう。

反対に、私がいともあっさりと捨ててしまうのは、目覚まし時計である。
たいがいは安物で、鳴りさえすればいいと買いそろえたものばかり。店先で試してみる度胸などないから、そいつの本性、いや相性を知るのは、たいがい持ち帰った翌日の朝なのだった。寝ぼけ眼の朝、これまで、何個のアラームたちと仲違いしてきたことだろうか。電池が切れて針が動かなくなったら、もうそのまま、ぽいと捨て置いてしまう。一度寝たら、もう興味が湧かない恋人のようだ。
家電無精の私は、目覚ましのその飢えた背中を開けて電池を取り替えてやるという、世話を焼きたくはないのである。手首にしっくりとなじみ、いつの眉をひそめて覗きこむ文字盤が愛らしくさえ感じる腕時計と違って、置き時計には残念ながら微塵も愛着が湧いたことはない。犬や猫は鳴かずとも身をすり寄せてくるだけで可愛いさ満点だというのに、これはどうしたことか。かえって、雷のような爆音で朝まだきの幸福な夢を妨げてきたのだから、目覚まし時計には殺意すら湧くのだ。

今日のプチ片づけでは、出会いたくもないのに出会ってしまったものがあった。
それは、単四の乾電池。しかも、包装のセロファンから剥がされて、一個だけぽつねんと引き出しの隅に転がっていた奴だった。こういう乾電池ぐらい、始末に悪いものはない。まず、この乾電池に見合う空きのある家電を見つけるのが面倒であるし、見つけたら見つけたで嵌めるのがしちめんどうくさい。しかも、セットしたのに家電が働かないのを確認したときの、あの軽い失望感といったら。
だから、うっかりぴかぴかと表面の輝くさも真新しそうな迷子の乾電池を見つけるたびに思うのだ。お前を発見してやったのはよいが、死んでるのか、生きてるのかはっきりしやがれ、と。

きょう、保護した乾電池はまだ若そうであった。
表面が艶つやとしていて、頭のでっぱりを指の腹で撫で付けると、ほどとく柔らかい刺激を押し返してくる。いぼいぼとしたもの触れていると訪れる、あの奇妙な快感に似たものを、それは与えてくるのであった。
しかたなく、ここ三ヶ月、ずっと八時二十五分を知らせたまま、床につっぷしている目覚まし時計三号くんの背中に、放り込んでみた。針はやはり動かない。ふつふつと怒りが湧き上がってきた。
この目覚まし時計くんは、いちばん新しいのに、時間は遅れてくるわ、サイレンの響きは美しくはないわ、で我が家ではいちばんの穀つぶしというか、電池つぶしなのであった。そのうえ、嵌め込んだ電池がかなり取り出しにくいときてる。だから、電池が切れたあとは放置されたことは、まったくもって必然の成りゆきなのであった。

その彼の背中に埋め込んでしまった新顔の乾電池が役立たずとわかったから、動かないものどうし仲良く放っておくべきかと思案したものの、私はどうにも疑いを捨てきれなかった。
じつは、時計自体の内部構造がばかになっているだけで、電池のほうは至極まじめに動く意志を貯えていたのではあるまいか、と。だとしたら、他の入れ物に移植させてやる必要があった。

はたして、その疑いは正しかった。疑いの中身ではなく、疑ったこと自体が正しかったのだった。
手のひらにすっぽり収まるほどの目覚まし時計くんを右手で掴み、左手に叩きつけるように押しつける。ドロップを缶から落とすこの要領で、乱暴ながらも、電池は親指の付け根の肉の盛り上がった手のなかへぽとりと転がり落ちてきた。どこへも撃ちこまれることのない銃弾のように、手のなかで転がっているそれに、私はいつしか愛着を寄せてしまっていた。そして、電池の埋まっていった窪みに視線をもぐらせたとき、私には部屋の照明の反射のために判じがたかった、浅い+と-の表示がいみじくも見てとれたのであった。
私は情けない顔で目覚まし時計くんへの不義を詫びながら、さきほどとは天地を逆さまにして、優しく電池を送り込んでやった。時計の秒針は、その瞬間から地球の軸とは逆をいく回転をしはじめたのだった。
このときほど、私は自分が検察官やら弁護士やらにならなくてもよかったと思ったことはない。きっと私のような自己都合のいいストーリーを妄想しがちな人間がいたら、運動音痴なこの目覚まし時計ではなくとも、多くの無実の人間を冤罪に陥れてしまったかもしれない。

すっかりと春先のうららかなレム睡眠をぶち破る精力をとりもどした目覚まし時計くんは、明日からまた、例の響きのよろしくないがなりたてをしながら、寝起きの悪い私を起こすのだろう。そう考えると、はぐれた乾電池の引受先が見つかって嬉しい反面、軽く憂鬱な気分にも襲われてしまうのだった。

私をさらに落ち着かなくさせたのは、この目覚ましの復活劇で中断した片づけを再開してから、新たに見つかったものなのであった。
それは、某大手家電メーカー製という、単四乾電池用の充電器なのであった。専用の電池も三個のセットで開封されない状態のまま見つかった。まったく家族の誰しもに顧みられずにいた、それ。手つかずの状態で、おそらく埃のへばりつき加減から推測するに優に五年は忘れ去られていたであろう、この機器に対するやりきれなさ。通常五百回は使い回し可能とうたわれた小憎たらしいその文句を目にしたとき、私はあの目覚まし時計くん以上の敵愾心を燃やし、それはやがて煤のような黒ぼったい嘆きとして、くすぶってしまうのだった。永遠を安売りされていること、汲めども尽きぬ湧き水のごとくに再生を夢見させるという傲慢さ。私の怒りと諦めの正体はそれであった。
そもそも電池というものは、コンセントにつながないまま電力を溜め込んで、いつでも使えるように保持しておくからこそ電池なのである。それを溜め池が干上がったからと川なり海なりから水を引き込むように、コンセントに差し込む充電器に預けて、また電力を流し込まれるなどと、おかしくはないだろうか。

おそらく、エコロジー思想に感化されて開発したのだろうが、それならば廃電池を回収してまた電池を充電し、安く売りさばいたほうがいいだろう。
メーカーは満を持して世に送り出したのであるが、乾電池は電力を使い捨てるもの、PCやデジカメなどのバッテリーとは異なるという先入観が浸透しきっているのだから、売れるわけがなかった。しかも、巷に出回っている通常の電池を充電できて、くり返し使えるわけではないのだから。

カタカナのスローガンを掲げた世界の潮流ばかり右へならえで追いかけていて、肝心の消費者目線というものがまったくない。巨大企業が陥りやすい愚のデザインとしかいいようがない。
こうした日本の製造業界が政府に保護され、正社員は非正規社員を奴隷のようにあつかって責任をなすり付け、自国で技術を磨かず育てることもせずに、海外の生産国にすでに追い抜かれそうになっているのだ。新しいスタイルをひねくり出すことはもはや素晴らしいデザインとは呼べない。大切な最小限のことをくり返し守らせることこそが、デザインではないのか。表面にかっこ良いロゴを並べたスマートなつくりの製品を、さも魔法の商品のように騙ってCMなりキャンペーンなりで大々的に販売していくことがデザインなのではない。

電池メーカーに、ぜひともお願いしたい。こんな間違ったエコロジー思想にかぶれた商品をクリエイター気取りで開発するくらいならば、電力がなくなったことを「見える化」する構造にしてほしいものだと。

今日のような置き時計と乾電池をめぐる騒動は今後も尽きないだろう。
コンセントに繋がればいつでもエネルギーが満たされるという安心感に浸りきって暮らしているが、こんな生活ほど心もとないものはない。夢のように語られる豊かさと永遠は、もはや過信できない。忘却していく不完全な記憶の詰め物であるからこそ、人間が言葉にして、歌声にして、映像にして想い出を重ね残してきたように、エネルギーには限りあることを知りながら、小さな電池を買い足していく行為は悪くはないものだ。

よく、活動休止状態を充電期間というけれど、よく言ったものだ。
いま、何かが停滞しているように思えて先行きの不安を覚えたら、それはやがて発動するために時間を貯えているのだと考えればいい。
このような甘い考えをねじりあげるたびに、私にはいっこうに捨てられない乾電池が増えていく。使い切るまではスローペースだが、それでも構わないのだ。

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