陽出る処の書紀

忘れないこの気持ち、綴りたいあの感動──そんな想いをかたちに。葉を見て森を見ないひとの思想録。

「天使のタブロー」(六)

2013-10-10 | 感想・二次創作──神無月の巫女・京四郎と永遠の空・姫神の巫女


「ごめんね、かおんちゃん。わたしね、かおんちゃんに、ひとつだけ、嘘をついていたの」
「…嘘って?」
「湖に何も落とさなかったのに、わたしは金の斧以上の宝物を拾ったの。だから、わたし、神さまに罰が当たるんじゃないかな、って思いはじめて…」

ひみこは、たまに、中心の定まらないまま、思いつくままの部分から白紙を埋めていくかのように、結論の見えない話しかたをする。この日は少しだけワインが効きすぎているから、なおさらだった。おずおずとしながら、やがて、ばつの悪そうな顔でひみこがテーブルの中央へと滑らせたもの。それは、携帯電話だった。

かおんを発見した当時、湖に携帯電話を落としたので、誰にも連絡がつけられなかった。歩いてお医者さんを呼ぼうとしたけれど、町へと続く一本道が土砂崩れの事故で塞がっていた、うんぬんかんぬん──湖から救出したかおんを、こんな医療器具も何もない小屋の寝室に横たわらせていただけのお粗末な介抱を、そう説明していた。いくら人より並外れてのお間抜けを自認するひみこでも、こんな人気のない場所で、連絡手段をわざわざみずから潰すような愚かな真似はしない。

真剣な面持ちで何事かと耳を傾けていかに思えたかおんは、柔らかく笑みをひろげている。
これから何を言われても、貴女のことは受けとめるわ、とでも言いたげに。ひみこは、ちらりと、かおんの肖像画を眺め、そして、また描かれた本人へとまなざしを戻した。黒髪の天使とも見まごうべきひとの斜め後ろでは、暖炉の炎が燃えさかっていて、そのひとの影を不必要なほどひとまわり大きく見せていた。

「崇娃がなぜ、そんなことをしていたのか、私には分かるわ。おいしい晩餐と、楽しい人との心おきない会話。それさえあれば、他にもうなにもいらない。そうじゃなくて?」

会食時には、無駄なおしゃべりをしない。目の前で知らない誰かと電話でお話をするのを聞かせるのは相手に失礼。マナーのことを語っているのだと勘違いしたのか、ひみこは、そうじゃなくてね、と首を振った。かおんは、愉快そうに、くすくす笑っている。ふたりきりの時間を延ばすために、とびきりの天使のからくりがあるのに、この可愛いひとは気づいていない。もちろん気づかないままでいい。気づかせてはいけない。自分が贈ったプレゼントの包みを開ける前の相手の顔を想像するような、わくわくした気持ちで、かおんは言葉をかさねた。

「おそらくだけれど、それ、使えなくなっているんじゃないかしら」
「うん、図星。わたしの扱いが悪かったのか、持ってるあいだに壊れちゃったのかな?」

昨晩、ひみこはこの携帯電話をひさびさに使ってみようとしたが、何度やっても不通だった。正常に作動するのだが、どこへかけても電話がつながらないのだ。ちなみに、このアトリエが属するアカデミア緑化地帯は閑散としているとはいえ、電波が入らない地域ではなかった。現にひみこは、これまでにも、アトリエから母校や師匠と連絡をとったり、買い物の配達をしたりしたことがある。
不思議なことは、これまでにもいくつかあった。このアトリエにはテレビはないが、ラジオだけはあった。学園都市アカデミア中枢部にある放送局から流れるニュースで、ひみこにとっては唯一の情報源だった。とくに「なんじゃもんじゃ」が合い言葉の、ふたりの男女のDJが担当する夕方のトーク番組を楽しみにしていた。そのラジオがかおんを迎え入れた日から、ついぞ聞こえなくなったのだった。レンジやトースター、冷蔵庫などの調理家電は無事なのに、通信機器だけが狂う。部屋の灯りはだいじょうぶだから、停電でもない。まるで、この一帯が、外部の声を寄せつけないように、なにがしかの見えない結界で覆われているかのようだった。それでも、ひみこは怖くなどなかった。むしろ、じゃまな雑音に遮られずに、制作に集中できたくらいだ。

「残念だなあ。かおんちゃんに渡せるもの、なくなったね」
「これを、私に?」
「うん。だって、かおんちゃん、荷物も何も持っていなかったでしょ。これから、あれば便利なんじゃないかなって」

ひみこがかおんに携帯電話を差し出したのは、嘘の告白だけではなかった。
それを手土産に渡したかったのだ。モデルになってくれたお礼として。そして、これからも、世界中のどこに居たって、繋がりあうための手だてとして。




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