陽出る処の書紀

忘れないこの気持ち、綴りたいあの感動──そんな想いをかたちに。葉を見て森を見ないひとの思想録。

氷上のシンデレラ、不屈の舞

2010-11-09 | フィギュアスケート・スポーツ

バンクーバー五輪初出場にして八位入賞という成績を残した鈴木明子選手の昨シーズンは、まさに奇跡の一年だった。将来を期待された十代でシニアデヴューを飾りながら、その後、一時期、銀盤から遠のいてしまった。高橋大輔選手や安藤美姫選手のような怪我ではないが、スポーツ選手にとってスタミナ源となる栄養が摂れない精神的懊悩は、選手生命を左右するといっても過言ではななかったはずだった。

鈴木明子という名が一躍メディアを湧かせたのは、電撃的な優勝を飾った昨年の中国杯からだった。
SPでの情熱的なタンゴ。そしてフリーでの 「ウエスト・サイド物語」 の下町娘のダンス。彼女のジャンプには浅田真央選手ほどの高さや切れはない。だが、観衆を引き込んでしまうエネルギッシュさが溢れている。重心の低さを生かした安定した滑りがある。
遅咲きのヒロインだから。苦節七年を経た苦労者だから。私のような素人が、かような同情を寄せるドラマティックさを意に解しないないかのように、いつもあっけからんとした顔で、今大会前のインタヴューに答えている。「長い人生のうちでスケートができる、一瞬一瞬を大切にしていきたい。ドラマティックな演技をしたい」と。彼女は今年、25歳。だが、まだまだエネルギッシュな25歳なのだ。

今年の中国杯は、昨年の女王だった鈴木選手にとっては凱旋のような、あたたかい空気に包まれていたように感じた。おかえりなさい、という声援がリンクの端々から沸き立ってくる。彼女にとってはかの地は縁起のいい場所なのだ。

黒い衣装で登場したSPの演目は「ジェラシー」
出だしのトリプルフリッツ・ダブルトゥーループを決める。ジャンプの二回目がややずれたものの波に乗っている。スピードはないが、ていねいに回転数を確かめるように滑っているフライングキャメルスピン。レイバックスピンも、酔いしれるような美しさがある。
終盤のステップこそが彼女の本領発揮。嫉妬に狂った女のこころの激しさ、どよめきをよく表したプログラムだ。ねめつけるような目つきでアピールするのも奏功している。結果、SPでは57.97点で二位。長洲未来選手とは僅差で、逆転も可能な数字だった。

フリーでは一転、ドガの描く踊り子のチュチュを思わせるような純白のドレス。曲は映画「屋根の上のバイオリン弾き」より。
インパクトのある振り付けでのはじまりからトリプルルッツ、高さがあった。二回目のコンビーネーションジャンプでぐらいついたものの、加点幅の大きい後半の三連続ジャンプは成功。これで安心したかと思ったが、終盤で三回転が一回転に抜けてしまうなどのミスを連発してしまう。だが、得意のステップやスピンなどでカバーするのがこの人の流儀。
特に印象的なのは、半珈思惟像のように片肘を足についたまましゃがみこんでのスピン。終わったとたん、ミスの連続を悔いたのか頭を軽く叩いたのだが、フリーで104.89点を引き出し、トータル162.86点。首位に立った安藤美姫選手を終え、残すは長洲未来選手となったこの時点では、総合二位。そして、その順位は守られた。

オリンピック経験をした鈴木選手には、いつ表彰台の真ん中に立ってもおかしくはない風格が備わっているように感じられた。

鈴木選手はスケーティング技術においては、ニ度の五輪経験者の安藤選手と並ぶとされている。
技術的な良しあしはちんぷんかんぷんながら、素人目には彼女の舞台というのはとてもわかりやすい。まず第一に選曲が大ヒットナンバーのミュージカル曲などリズムが親しみやすく観客の応援を呼びやすいものであること。ただし、いまどき流行りの映画ではなく、やや古めの名画であることがいい。第二にプログラムの前後半でメリハリがついていて、特に曲調が転じてアップテンポのステップに運んでいく後半がいい。前半では上体、手のしなやかな動きに集中させ、後半では巧みなエッジワークを生かした足さばきで魅せる。自信の強烈な眼力を生かしてのアピールで、たとえジャンプが失敗しても足もとへ視線を集中させないように神経を配っている。自分のスタイルをどうすれば美しく見えるかを、周到に研究しつくした成果ではなかろうか。

衣装と音楽が変わろうとも、鈴木選手の演技をつねに楽しもうという姿勢はいっこうに変わりはしない。滑れることが幸せでたまらないという彼女のポジティブな姿勢こそが、たとえ大きな目立つジャンプはなくても、観たいという気にさせてくれる由縁なのだ。この心意気がまずもっていい。

今回はとくにフリーの曲に注目したい。
映画「屋根の上のバイオリン弾き」とは、十九世紀末の帝政ロシア領であったある小村に暮らすユダヤ人一家を主人公にしたドラマだ。敬虔なユダヤ教徒である両親は伝統を重んじ、貧困から抜けだそうとして娘たちに金持ちの婿をあてがってやろうとする。だが三人の娘はいずれも自分でえらんだ愛を貫き、そして家族はユダヤ人迫害の機運に飲まれて住み慣れた家を土地を捨てねばならなくなる。足もとが危うい高所でも平然とバイオリンを引き続ける演奏者のすがたは、動乱のさなかにあっても民族の誇りをうしなわないユダヤ人の不撓不屈の精神の象徴なのだ。このミュージカル映画に込められた理念に思いをきたすとき、鈴木明子選手がこの曲を演じた意気込みが如実に理解されよう。屋根の上のバイオリン弾きと同様に、たとえ今後どんな荒波が襲おうとも、氷の上の踊り子も挫けない魂をもちながら滑りつづけるのだと、彼女は言いたいのだ。

この物語はロシアという大国による民族の迫害を訴えたものだ。ミュージカル化がなされた1964年、映画が公開された1971年はまさに冷戦のまっただなか。
おそらくこの選曲がいい意味でも悪い意味でも生きてくるのは、鈴木選手の次なる決戦場ロシア杯ではなかろうとかと思う。あわよくば四年後のソチ五輪出場へ向けて、中国で好スタートを切ったヒロインが挑戦状を叩きつけたかのようだ。


さて、そのロシアからの刺客と恐れられていたのが、浅田真央選手と同年代、20歳のアリーナ・レオノワ選手。バンクーバーでは鈴木選手のすぐ後ろの九位。アジア勢の活躍がめだつが、優勝候補の一角と目されていた。今大会でもそれなりの足跡を残している。
SPは舞曲「サーカス」ほか。ロシアのアヴァンギャル画家カンディンスキーの初期抽象絵画を胸にあしらったかのような、蛍光ピンクをベースに、黒、黄緑の奇抜な衣装で登場。どうやら道化師をイメージしたようだ。最初の連続ジャンプで着氷の乱れがあったものの、コケティッシュな魅力をふんだんに振りまいてアピール。ロシアというと北国イメージからか暗くてお硬くてという印象があるので、このおどけた雰囲気を生み出すステージはなんとも意表を衝かれたものだった。片足を折り曲げて膝の裏を持ち上げるという風変わりなスピンも披露。SPは50.79点。この時点では暫定五位。

そのフリーの曲は長洲未来選手のSP曲とおなじく「イーストウィックの魔女たち」
最初のフリップでの着氷の乱れや後半のラストのジャンプでも転倒したため、総合では146.41点に終わったが、皮肉なことにその長洲選手がフリーで大きく後退したがために三位に浮上、表彰台入りを果たした。四年後の地元開催の五輪では、おそらく有利に勝利をもぎとれる選手だろう。


【参照】
テレビ朝日フィギュアスケートGPシリーズ世界一決定戦2010公式サイト


【画像】
エドガー・ドガ「踊りの花形(エトワール、又は舞台の踊り子)」(部分、1878年頃、パリ、オルセー美術館所蔵)


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