陽出る処の書紀

忘れないこの気持ち、綴りたいあの感動──そんな想いをかたちに。葉を見て森を見ないひとの思想録。

大病院だからといって、安心も慢心もできやしない

2018-07-21 | 医療・健康・食品衛生・福祉

有名大卒のあの著名な医師に診ていただいとか、大学病院で検査治療を受けているとか、そういう自分の病気まで糧にして、なぜか誇らしげ(?)に語る方がいます。
たしかに大学病院などに通うには町医者の紹介状が必要で狭き門であるけれど、その通行手形と引き換えにした、手の付けようがないほど重篤な(可能性がある)病根は喜ぶべきなのか。美人女医か看護師ならばまあいいとしても、健全な諸兄がなぜ白衣のおっさんに胸を開いて「ねえ、私の心臓ドキドキしてるでしょ♪」とときめかねばならないのか。医師は患者をただのデータか治療法の実験材料としか見なしていないのですが、なぜか、お友だちだとかカウンセラーだとかと幸福にも信じてらっしゃるわけです。自分の病気がすっかり治癒したら、あの先生のおかげで命救われたんだよ、とその名医の業績を喧伝してあげてもよろしいかと思いますが…。素晴らしい先生に担当してもらっている特別な患者だと病床にしがみつきながら、病状を悪化させるようなことを平気でやりがちだったりします。どうせ先が短いんだから好きな事させろ、と捨て鉢になってヤケ酒を煽ったり。ブラックジャックにだって救えない命があるように、どんな名医だってミスはしますし、元気になる未来をみずから創造しようとしない患者には健康は訪れない。

今年の6月25日に、横浜市立大学病院で癌の見落としが公表されました。
同月には千葉大学病院や兵庫県立がんセンターでも。さらには前年には、他の大学病院でも表面化しています。当然、その過失によって患者が死亡しています。大学病院の権威が揺らぎかねない事態です。何が原因だったのか。

2018年6月26日の読売新聞朝刊記事によれば、この失態の背景にあるのは「高度に専門分化が進んだ大病院に潜む死角」と分析されています。これは心理的なミスと技術的な過誤とが深く絡んでいるのです。

癌が見落としされるのは、画像診断の専門医による報告書を、患者の主治医が軽んじてしまうから。CT(コンピューター断層撮影法)やMRI(磁気共鳴画像装置)による画像喧嘩結果をもとに放射線診断医が、報告書に「がんの疑い」と記していることがある。この画像検査は対象臓器以外を幅広く撮影するので、意想外に、当初目的外の部位に異常が発見されることもありえる。ところが、主治医は自分の専門分野ではない他の臓器には注目しない傾向があるとのこと。また、医師は自分でも画像診断を行うので、放射線診断医の報告書を侮って軽視しがちであるとも。

画像検査で高速撮影できる画像が多すぎて、患者の診療時間までに報告書作成が間に合わずに、主治医が憶測で診察を済ませてしまうこともあります。患者が多い大病院なので、後からじっくり報告書を精査することもなく放置されてしまう。大病院の診察を「二時間待ちで五分診療」と揶揄されるけれど、医師はきわめて視野狭くに患部しか眺めず、患者であるあなたが全身で訴えている痛みを読み取る余裕はないのです。すぐ命に関わらず、経過観察が必要だ程度の疑いであれば、報告書記載のみで治療しないことが多い。

医師が認めなければ、病気は存在しない。
医師だけではありません。警察に相談したけれど、ただの痴話喧嘩として犯罪をもみ消された。教師に訴えたけれど、いじめを黙認されてしまった。世の中には、こうした社会的問題の種があるのに、そんなものはなかった、と権威者が言い張ることによって、芽が摘みとられてしまい、手が付けられないほど大きくなってから謝罪する事件沙汰があります。

大組織ゆえの情報の膨大さ煩雑さと、専門分化こそが、大病院での医療ミスを引き起こしている。連携ミスを防ぐために、主治医に意識改革を進めてほしいという声もあります。山崎豊子原作の『白い巨塔』というドラマがありましたけれど、同じ職場での学閥などがあるのでしょうか。しかし、あるお偉い組織の、問題発覚後の、朝礼での発話とかメールでの訓示とか、型通りのとりあえずやっときました対策は、時として意味がありません。すでに問題が表面化した時点で、かなり根が広がってしまっているはずですから。

癌の見落としが露見した大学病院では、患者を巻き込んだ再発防止策に取り組んでいます。
画像診断報告書や内視鏡などの診断書の要点をまとめた文書を患者へ配布し、疑問点があれば質問してもらうようにした慈恵医大病院。結果報告を患者とともに確認し、安全体制に患者の協力を仰ぐ姿勢です。

医師が報告書を未読であれば電子カルテに警告表示が出たり、診断チームの複数の医師に報告書を届けさせる体制にしたりの病院もあります。
いっそ見落としがあれば、水風船や金たらいが落ちてきたり、仁くん人形よろしくボッシュートされたりすれば、真剣みを増してくれるかもしれませんが、患者の目前でうっかり医師が病人化してしまうのも見てられないので、まあ却下でしょう。膨大な医療データを短時間で瞬時に処理するAI(人工知能)導入があれば見落としが減るだろうという目算はありますが、明日の命をも危ぶまれる可能性に震える患者に真実を告げるがん医療の現場で、AIがどれほどの説明能力を発揮するのか、私は疑問に思います。

インフォームド・コンセント の重要性が叫ばれて久しい現代医療。
患者がインターネットで検索してかってに病状を予測することに、不満をあらわにする医師もいます。医師と患者との間にも相性があるのではないでしょうか。医師も人の子なので、あってはならないことですが、気に食わない患者の治療を手抜きするとか、あるいは金目になりそうな患者のみ丁寧に対応するなどの贔屓はないとはいえないでしょうし。患者も、自分の病状を的確に伝えるコミュニケーション能力が必要なのでしょうね。私は病んでるからかってに見定めてくださいよ、ではなくて。

ある有名な美容外科医(イエス!〇〇クリニックのあの先生)が、「あえて病状をつくりだして」患者を増やしたと豪語したように、ニーズというものはそれを求める者ではなく、与える権威者がかってにでっち上げるものではないか。いまの、投薬漬けにしている精神医療を見れば自明のとおりです。医師や薬に依存しなければ生きられないようにされている。

日本の医療に投入される公金は莫大なもので、政府は国民の自発的な健康維持や生活習慣の改善を促しています。
有名なお偉い先生だから、名うての大病院にかかっているからと、自分の健康をお医者さんに任せっきりにしてしまうのは、もうやめませんか? 確証があるわけではないけれど、癌患者の延命に笑いがかなり効果的だとも言われています。自分の肉体の老化や損傷は誰しも起こりうることなので、いかにそれをメンタルで補えるかが問われているような気がします。こんなことを書くと、いつものつまらない根性論だと馬鹿にされそうですけど、自分のからだが弱っている時に、わざわざ自分から刺々しい気分になる必要もありませんよね…。

…と辛らつなことを書きましたが、長期の入院や数年単位の投薬治療が必要なほど、病院にお世話になっていない私です。家族には多かったですが。家族が亡くなったときにそのまま放置していた入院グッズをつい先日やっと片付けて、特に刺激的なこともあるわけではないが、平穏無事に過ごせている日々がありがたいと思うわけです。平均寿命は長くなったけれど、自分の健康がいつまでも続くとは限りませんし。不謹慎ですが、身近にいる健康を害した方の意見も、いつか通る道として傾聴すべきことはありますよね。





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