Here is

ここに居るよ!

■認知症が進む姑

2017-12-28 09:16:34 | 愚痴
姑の、デイサービス一日体験の日が近づいて来た。
何か自分にとって不安な外出があると、きまって前日や当日の朝になって「何となく具合が悪いから、今日は行けない」と言い出すようになっていて、今朝もリビングにやってきた姑はそれを言いだした。

「デイサービスは明日よ」と言うと、「あ~良かった」と言って自室に戻って行った。
いつものように8時過ぎまで寝ているつもりなのだろう。

調子の良い(不安の無い日)は、まるで別人(認知症のない)に戻ったかのように、快活にしゃべりまくり、私を話し相手として離さない。
こちらは家の中でいくらでも仕事があるので、いつまでも姑の話し相手にはなれない。
しかも、昔話が大半のエンドレスな話題では、こっちの方が頭が変になりそうだ。

年末になって我が家はバタバタしている上に、冬休みに入った孫が連日のように押し寄せる。
泊まって、やっと帰ったかと思えば、またまた押し掛けてきて賑やかなこと、この上ない。
しかし、孫が可愛い私は、煩いのも苦にならず、むしろ、姑とのエンドレスな一方通行のおしゃべりに付き合うより余程マシだ。


姑は、自分の物忘れが半端で無いことに気付いていて、自分は頭が変になった..と言っている。
いわゆる「半ボケ」とか「まだらボケ」とか言うらしいが、まともな時と認知症状が酷い時が交互にやって来る状態なのだ。
主導権を握っていた頃のように、嫁の私に指図している時は、正常?な状態に近いのだろう。
認知状態になると、一変して別人になるので、こちらの対応もコロコロと変わらなければならない。

長い同居生活の中で、これまで私が主導の暮らしは無かったに等しい。
何をするにも舅姑にお伺いをたてて姑を立てて来た。
それは私が望んだことではなく、そうするように嫁教育?をされて来たからだった。
反発すれば「気の強い、生意気な嫁だ」と一括され、多くの嫁たちがそうだったように、目の上のタンコブがいつもいつも気遣いの種だった。
それならどうして同居を..と核家族の妻たちは言うが、サラリーマン家庭には無い、事業主や商家、自営業など、代々続いてきた家の嫁になるということは、同居というものが道筋として当然のようにあったからだと言える。

誰もが最初から確執があったわけじゃない。
「いい嫁」「いい姑」になろう、なりたい..と思っていたはずなのに、日常のひとつひとつが目に付き、自分の意と違うところを見つけては「見ぬ振り」が出来なくなる、人間の悲しい習性がぶつかり合うと言うことなのだと思う。

出来れば平穏に暮らしたい、お互いを思いやる広い心で接したい、そういう良心の欠片は持っていると思いたい。
そう思いながら、一方では姑に振り回されて過ごして来たこれまでと、現在やこれから先のことを考えるとき、嫁という立場のまま、長い時間を夫の親族と関わって行くのが私の人生なのだろう。


それにしても、認知症というものは、これまでの人格を覆してしまうかのような別人格が現れて来るのが怖いと言うか、自分のプライドというものを根こそぎもぎ取られてしまうような不安があるのは避けられない現実だ。


最新の画像もっと見る

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。