Here is

ここに居るよ!

■風に乗って会いに行く

2021-09-30 13:31:30 | 愚痴
君は今、何をしていますか?

出会いが偶然だと思った
再開も偶然だと信じた
ずっと一緒だと思っていた

ガラスはいつか壊れると知った日
ただのひび割れだと思っていたのに
ガチャンと音を立てて砕け散った

もう元に戻れないこと
誰よりも自分が分かっていた
それでも何度も会いに行った
そして何度も会いに来た

長い線路のその先に
いつでも君がいると思っていた

自分が歩いて来た道を振り返る
振り向いても振り向いても
そこに居るのは迷子の自分

迷子の自分に声を掛ける
大きな声で
やっとの思いで我に返った私を
追い駆けてきたのは
君の声だった
半世紀近くたった今も
君の声を忘れない

君は今、どこで何をしていますか?


■小気味よいブログ

2021-09-22 14:25:35 | 愚痴
だいぶ前から読んでいたブログが一か月以上も更新が無かった。
常々、ネタが無いから閉鎖しようかと迷っていると何度か書いてあったので、とうとう止めたのかとがっかりしていた。
それが久々に覗いてみたら更新してた。
家族の訃報で遠方に行っていたらしい。
だいぶお年を召した方の訃報なので、親戚はほっとしたのが本音だと言う。

この先も度々、そちらへ出かけることがあるそうで、これまで何度か行くことを計画していたが、コロナ禍で行けなかった。
しかし、そうも言っていられない状況ながら、長いこと会えていなかった親戚に会えることになり喜んでおられた。
遠方に暮らす身内に会いに行くのも来るのも、大変なことだとつくづく思った。
まだ元気で歩けるうちは良いが、さぁ足腰が悪くなって自由が利かないとなれば、なかなか実現しそうにないのが「会うこと」なんだと。

リモートやらスカイプやらTV電話やらで画面超しに見れても、実際に会うのとは全く違う。
遠くに暮らす家族などは、いつも「傍にいない」ことが普通になっている。
いつでも会える環境に、親子、兄弟姉妹、親戚が居ることに慣れてしまうと会ったときの喜びも半減する。

それでも、やっぱり近くにいるのはお金も掛からず助かるかな。
飛行機の距離に離れていては、年に何度も会えないのだし、会うとなれば菓子折り一つでは済まない。(笑)

それにしても、このブロガーさんは、いつでも飾らず本音が書けて小気味よい。
近くにいたら会ってみたい一人です。

■写真の無いブログ

2021-09-14 20:37:26 | 愚痴
昔はブログに写真を貼るのも一苦労だった。
ブログに反映するためのタグも一応勉強して、ブログのカスタマイズとかを好んでやっていた時期があった。
あれから私もだいぶ歳をとった。
何もかもが面倒くさい。しんどい。
写真を貼ってブログを皆に見て貰いたいなんて気持ちはもうない。
村のランキングに参加して極めようなんてことも考えもしない。
要するに、自分自身の愚痴の履け口として、または備忘録として何かを書いておきたい。
たったそれだけのこと。

わざわざブログを書くなんてと思われるかも知れないけれど、パソコンを毎日使っている私にとってブログは手っ取り早く開ける隠れ家だ。
使わない手は無い。
昔も今も、人気ブログには写真がいっぱい。
内容もウソみたいに日々のドキュメンタリーだ。


私みたいに自宅に篭り、半分は何もしないのと同じような面白くもない記事を書いて、何ひとつ目玉もないブログなんて「無い」も同然。
それでも、忘れたころに更新して存在を小さくアピールしておくのは「ここにいるよ」と誰かに伝えたいためだ。

さて、今日はたった一枚の申請書作成を完成させられず、これまでの長いパソコン生活で初めての窮地に立った。
この時間になっても解決に至らず、検索しまくってボロボロになった。
気分転換してもう一度挑戦してみようか、それとも諦めて寝るか...
老いた体には再挑戦は無理!

きっと、難しいことではなく、意外なことに躓いているだけなのかも知れない。
古くなった頭は多少の栄養と休息を与えれば復活する可能性はゼロではないのだ。

こうして今日も、写真の無いブログは無いままでシャットダウンするのです。


■ご近所さんが来た

2021-09-13 15:13:04 | 愚痴
義母の顔が見たいと私の携帯に電話が来た。OKと言うと、ご近所さん二人が揃ってやってきた。
あれ、一人だと思ったら二人一緒だったとは。
要するに暇を持て余してのブラブラ散歩のついでか?
なあ~んだ、そうか。
「お婆さんの顔が見たい」は口実で、単なる暇つぶしだったんだ。
そうねー お年寄りはいつでも暇を持て余しているものね。

嫌な顔もせず、にっこりっと迎え入れる私は流石、大人の対応である。(笑)

11時過ぎから12時半近くまでご滞在。
肝心の姑は、途中で「疲れたから休みますね」と言って引っ込んだ。
私の客じゃないのに......。
二人とも80代半ばのご高齢ですが、私の話を面白がって聞いてました。
彼女らは姑に会いに来たのではなく、私の世間話を聞きに来たようです。
狭い世間でなにも期待に応えられる話が無くて申し訳ない。

それでも暇つぶしのひとときになったなら結果オーライです。
年寄りは皆、寂しいのでありますよ。
おかげでお昼ご飯が遅れ、それに続く諸々も遅れてしまって今頃になり睡魔が...ZZZ
もう眠れません。
こんな日もあっていい。

いずれ自分も行く道。



■ブログのネタはいつでも切れている

2021-09-12 20:02:11 | 愚痴
いつも自粛状態の私にはブログのネタが無い。

テレワークだのリモートだのと、いかにも新しい働き方みたいな呼び方をするけれど、元々、内勤状態の事務系はそれで働いてきた。
なんら難しいことじゃない。
それに慣れている私にしてみれば、毎日、家から会社、そして現場などに出勤する人たちの方が面倒くさい。
化粧もせず、普段着のまま机に向かう。

夢中で仕事をしていると、お昼になったことさえ気付かないことがある。
得意のワンプレートでランチを取り、.....と言っても認知の義母と二人分だ。
会話が嚙み合わないのはいつものこと。
認知の義母は季節感も無く、時間の経過、食べたのか食べてないのかも全く分からない状態だ。
その義母と、いかにも正常?な会話をしているかのようにペチャクチャする時に、私なりに自分は変人かも知れないと内心思う。

義母は「いつも世話かけるね、お母さん(私)が居ないと生きてられない」なんて、昔なら絶対に言わない言葉を真顔で言って涙ぐむのだ。
あんなに私にストレスを与え続けた人が、今は別の形でストレスを......。
所詮、嫁と姑、本音と建て前が上手く絡み合って傍目には「いい関係」に見えるかも知れない。
しかし、今、目の前にいる義母は実母より長く長く一緒に暮らした、腐れ縁。
もう、怖いとか、嫌いとかの次元では無くなっている。

義母は「介護1」で、介護度は低いが認知のために手が掛かる。
誰もが???と疑うほど、認知症だと気付かれないのは義母がオシャベリで挨拶だけは天下一品にせいだ。
一緒に長時間いると、誰もがそのことに気が付いて「あれじゃ、会話も同じことの繰り返しでエンドレスだわね」となる。
とにかく一日でいいから一緒に過ごしてみて...と私は言う。
ちょっと話したくらいじゃ気付かないのよ....と、くどくど説明してやっと理解される。


こんな感じで、私のもっぱらのネタ切れは義母のネタで埋めるべく、やっとブログが更新できるのであります。(笑)