Here is

ここに居るよ!

■こんなはずじゃなかった

2021-06-18 21:09:39 | 愚痴
明日は土曜日、もう土曜日? 早すぎ!
この一週間、何してた?
毎日、大して変わりないルーティンをこなしてるだけ。
家の中では部屋を移動して動き回っている。
一階と2階、一日何度上がったり降りたりしてるか。
でも、外にはほとんど出ない日も多く、庭の草むしりと花の水やりくらいかな。
買い物は一週間に一度か10日に一度で間に合う。
それよりも義母のデイサービスの送り出しと、帰った時のお出迎えがあるので、そっちが忙しい。
週3回、一日置き、結構な負担になっている。
時間で縛られるのがストレスになっている感じ。
ホント、幼稚園児並みに手が掛かる。
朝は体温測って連絡帳に記載、お風呂の着替えなど準備してお迎え
玄関前にスタンバイ。時間間際にトイレに行くのはいつものこと。
行くまで何度トイレに行くのやら。

やっと行ったー やれやれの後は義母の部屋の掃除、いつものこと。
しかも仕事はこれだけじゃない。
本業が待っている。今日一日でインターホン五回、いちいち対応。疲れる。
義母に解放されても一時的なこと、帰れば帰ったでバタバタ。
この果てしない介護生活はいつまて続く?
自分の親なら我慢するのかな?

こんなはずじゃなかった。
後の祭り。





■いつでも自粛中

2021-06-16 13:13:41 | 愚痴
家に居ながら経理事務と介護と家事の三つ巴。
あっという間に日が暮れる。
今朝、七時ごろ事務所玄関が騒がしいことに気づき急いで階下に降りると、従業員の内4人が朝のコーヒーを飲んでいた。
「おはようございます、何かあった?」と聞くと、「今日は講習会です」と。
あ~そういえばそうだった..と思い出した。駐車料金が高いので4人相乗りで会場に行くとのことだった。
一台で8時半~4時まで止めると¥3600~¥4000くらい掛かるらしい。
4人別々で行けば4倍の¥14400~¥16000も掛かってしまうので一台乗り合わせで行くと言う。

おぉ、なるほど、会社の経費削減に協力的ですな。(笑)
...ということで、現在、事務所前には我が家の自家用車入れて5台の車が並んでいる。


今日はケアマネさん訪問日で9時半にチャイムが鳴った。
「何かあったのかと思いましたよ」と、少々驚かせてしまったようだ。
従業員さんの車は通常、別の所に置いてあるのだが今日は特別で....と説明した。

ケアマネさんが帰るとすぐ、干すばかりになっていた洗濯物を二階のエントランスに干す。
曇り空だったが外に干さないとスッキリしないので一応外に。
昼近くなって太陽が出たので一安心。
これで良く乾きそう。

パソコンの電源は朝から入れっぱなしになっていたので書類の続きをやり出す。
何を隠そう、経済センサス活動調査の提出期限が過ぎていて調査員が催促に来たのだ。
いつもネット回答なのだが、今回はすっかり忘れていた。(ボケ?)
ついでにやり方も忘れていて何度もやり直した。(´;ω;`)ウッ…
そんなこんなで もうお昼?
えぇー!
私はいいけど婆さんが....
急いでチャーハン作って昨夜の残り物と今朝のお味噌汁に大根の浅漬けを付けて出した。
私は、残った今朝の白米をおにぎりにしてパソコン前でお行儀悪く齧り付き。(笑)

今朝は4時起きだったので流石に眠気が出たが寝てしまうと今夜眠れなくなるので我慢。
...とは言っても私はいつでも自粛中なので寝たい時はいつでも寝る準備はある。



■実子の介護はあてにならない

2021-06-12 20:59:54 | 愚痴
高齢者の人口が増え介護に関する意識が若い世代にも高くなったと感じている。
今の20代30代は兄弟姉妹が昔と比べて圧倒的に少ない。
私の親世代は兄弟が多く、5人以上の子持ちがザラに居た。上の子が親を助け下の弟妹の世話は勿論、経済も支えていた話もあった。
下の兄弟を大学に入れるため親に協力し援助した話はよく聞いた。
子沢山には当然だと思われていたのかも知れない。
上の子は、親の苦労を見て育ったので、親に対する思いが強い。いつの間にか下の子たちに対する親心も育って行った。
昔のことで長男は家督として育てられ責任感もあったが、他の兄弟たちはある程度自由だった。
親が年老いて介護が必要になると、長男の同居が多かった昔は、その妻が即戦力として一番に当てがわられた。
そういうものと半ば諦めて嫁いだ嫁には選択肢が無かった。


他の兄弟たちは独立しその苦労もあったが長男に比べれば自由な苦労だった。
自分と家族のことだけしっかり守ればいい。
しかし、親が漏れなく付いている長男夫婦には逃れられない責任もあった。遺産が有るにせよ無いにせよ、相続が発生すればありの巣を突くように寄って来る兄弟たち。普段は菓子折り一つ持って食べて呑んで、ここぞとばかり野菜などを貰って行く話しはよく聞いたものだった。
さて、介護の話しが出るようになると寄り付かず、それは長いこと一緒に暮らした者にしか分からないとか、いろいろゴタゴタを並べて戦力にはなれないことを強調する。
そこには、その妻の入り知恵もあり容易には協力を得られないことが多い。

実子の娘でさえ、介護のことになると逃げ腰になるのだから、つくづく情け無い話だ。
いま、介護の義務は実子でと言う声が大きくなってはいるが、現実は嫁が拒否したくても出来ないというのが現状。
一体、嫁というのは何だろう。
親は老いても子供を思うものだが、子は家族が出来れば他人も同然、親の財産には食らい付き、欲の塊と化す。
あー情け無い。
世の中にはそう言う子供ばかりでは無いが、世間の老人達の悩みは深い。
私も歳をとって僻みや愚痴が多くなった。
子供はあてに出来なくなり、夫も拘りや我儘が目立ちはじめ老人化した自分を認めようとしない。
頑固で子供の言うことに素直になれないのは厄介でしかないというのに、何事も納得させるまで苦労することばかり。

年を取るって悲しいけど、みんな歩いて来た道だから頑張るしか無いか。


■外面を繕う義母

2021-06-05 09:51:22 | 愚痴
認知症の度合いはそれぞれ違う。
一人では生活が立ち行かないのははっきりしているが、外見上は年齢相応の老化現象だと思われていることも事実。
デイの送迎の職員には丁寧に挨拶し、愛嬌がいい。一目には誰も認知症とは思わないかもしれないが、
今の義母は自分自身以外に興味が無くなり、息子や娘のことはあまり口にしなくなった。

デイサービスに、あと何年行くのか?
行けなくなったらどうするのか?
家にいるより施設(ホームなど)に行った方が楽しいのではないか?
そんなことを聞いてくる。
いつかはホームに入れられるということを心配しているのだろうか。


誰も家に来なくなってつまらないと言うが、コロナのせいも当然あるが、堂々巡りの、会話にならない会話の繰り返しに辟易した親族は「会いたい」という気持ちが薄らいで億劫になったのだと思う。
迎える私だって、来れば形だけでもおもてなしのフリをしなけれならない。
それがとても疲れる。 だって義理関係なのだから。
来てくれても、ただおしゃべりして飲んで食べて小一時間も居たら帰って行くだけの「お見舞い?」....正直、有難迷惑に感じることも多い。
それならば義母を連れ出して、一日でも二日でも私を義母から解放してくれた方がどれだけ有難いか?

私だって年中無休、何度も同じ会話を繰り返す義母にお手上げだし、近頃は義母との会話を避けることばかり考えるようになったし、自分が薄情者だと思うようになった。
たまに会いに来る親族が、同じことの質問攻めと今の時間を記憶できない義母の状態に落胆し、おまかせ状態になったのだと思うと、介護の手が息子ではなく、その妻(よめ)に強引にも委ねられてしまった感があるのも腹立たしい。

そのことを外で暮らす親族は果たして「申し訳ない」と思っているのだろうか?
このご時世になっても嫁だから当たり前だとしか思っていないようだ。
どうも釈然としないモヤモヤがある。

こんな愚痴ばかりのブログになったのが悲しい。

■孤独な介護

2021-06-03 13:39:28 | 愚痴
義母のデイサービスが週3になった。
週3になったからと言っても、私の仕事が減ったわけでは無く、むしろ増えている。
デイが増えるということは私の仕事も増えるということだ。
義母は自分の身支度はほぼできない。
季節感が無いので春夏秋冬に合わせた着方が全く出来ないのだ。
時間の経過もあやふやで、特に朝と夕方の区別が難しい。
夕方の「おはよう」にはびっくりするが笑うしかない。
夜、寝るときにパジャマに着替えることをしなくなった。
汚れたものを私が脱がせるまでは何日でも着ている。

入れ歯の手入れもしなくなった。
爪を切ったり、頭髪をセットすることもない。
朝昼晩の食事時間も不規則になりがちなので、いちいち誘導しなければならない。
特に困るのは、ついさっき食べたばかりなのに、二時間後にはまたご飯を食べようとすることだ。
私が目を光らせていなければ(放っておけば)一日に何度も食べてしまうだろう。

この状態でも介護度は「1」だそうで、これだけ手を掛けているのに腑に落ちない。
トイレと食事に手を貸さなければ「1」のままらしい。
義母はトイレと食事こそ一人で出来るものの、トイレは汚し、ちぎれたペーパーは散乱し、一日何十回もトイレに立てこもる。
まるで専用だと夫は言う。
水は自動洗浄だから立ったり座ったりするだけで流れる仕組みだ。
水洗の音は耳が嫌というほど聞かされてストレスになっている。
食事は自分で食べれるが、床にもテーブルにもこぼしている。毎度のことだ。
納豆など床に落ちても知らん顔で、それを踏みつぶしてしまうのでスリッパも床もベタベタ...

スリッパはトイレで履き替えないので止めた。
履いたままキッチンや部屋を歩かれるのでスリッパを隠しておいた。
初めのころはスリッパ、スリッパと言っていたが今はもう忘れたようだ。
認知症っていうのは介護してみて初めて大変さが分かる病気だ。