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ここに居るよ!

■その後の姑

2019-07-19 14:08:02 | 愚痴


いつもの姑の愚痴になりますが、軽い認知と言われて約二年、あの時に比べてそう変わりない症状が目出度いやら目出度く無いやら....(笑)
一応、介護1の認定になったのは、身体介護が不要な人には珍しいらしいが、物忘れによる介護人の世話が必要と認められ要支援から介護1になったという経緯があった。

最近の姑は、週二回のデイサービスに行くのみで、その他は家を出ようとしなくなった。
あんなに外出が好きだったのに、近所の知り合いから誘われても出掛けようとしない。
おしゃべりの相手はもっぱら嫁の私だ。
何十年も昔の思い出話を何度となく繰り返す。
「またか」と思いながらも仕方なく付き合う。

姑の相手は、話しを聞くことのみで否定することはなるべくしない。
ひとしきり話すと思い出したようにトイレに行く。
このタイミングで私は席を立ち「聞き役」の終了となる。


こうしてゆっくりゆっくり進行する認知症に付き合い向き合い、私はこの先、いつまで続くのか分からない介護生活にどっぷり浸かって行くのだ。


介護中だった嫁仲間が一人二人と介護から卒業して行くのを見ると、まして私よりずっと若い嫁仲間がはつらつとした顔になって行くのを見るにつけ、私の結婚から始まった義親との同居がここまで長引くとは想定外だったと思わずにはいられない。
あの当時は夫の親との同居は当然のように考えられていて、周囲も似たような環境だったことから自然の流れ的に受け入れたのだが、いま、周りを見渡してみると既に舅姑は居なくなり、夫婦水入らずの自由気ままな暮らしを満喫している人ばかり。
私のように七十近い婆さんが、未だに嫁として現役だというのが珍しいほどだ。

姑の居る家の中は、その存在だけで息が詰まることもある。
私の家なのに、心か寛げる部屋が無い。
いつも私を呼ぶ声に半ば怯えながら落ち着けない自分が居る。

今は姑と一緒の食事は夕飯だけ。
朝と昼は私が用意したものを姑時間で好きなように食べている。
たったそれだけのことでも時間に追われているような気がしてならない。