Here is

ここに居るよ!

■いまどきの若い夫たちは偉い!

2019-04-25 17:10:42 | 愚痴
先日、親戚の子のダンナさまと子供(4歳)がやってきた。
奥さんは仕事でダンナが休み、子供の保育園の迎えも頼まれたという。
夕方になってソワソワし出すダンナ、聞けば、今日はオレが夕飯を作らなければならない流れなのだそう。
そうか、奥さんは疲れて帰ってくるから休みのダンナがご飯作るのは暗黙の了解なんだろう。

それにお風呂掃除と、洗濯物を入れて畳むまでもダンナの今日の仕事になっているらしい。
もっともっと話(愚痴)をしたい様子だったが、時計を見て彼は慌てて帰って行った。


彼は我が息子と同年代、いかにも若い世代らしい暮らしぶりが目に浮かぶ。
息子とて似たような暮らしぶりで、夕飯の後片付け、風呂掃除など当たり前にやっているそうだ。
これに関して私は何ら特別な思いは無い。
私の育った環境と何も変わっていないからだ。
父は昭和一桁生まれ、サラリーマンだった。
母も働いており家事は二人が協力しなければ生活も成り立たなかった。

洗濯、掃除、炊事、後片付け、何でもやった父だった。
時にはミシンを踏んで繕いものもしていた。
てんぷらを揚げたり、カレーを作ったり、煮物も作っていた。

母に頼まれてするのではなく自分の意思で、早く家に帰った方がやる..という当たり前のことと捉えていたようだ。
子煩悩と愛妻家..世間もそのように見ていたと思う。
しかし、とても厳しい面もあった。
母は夫をたてていたし、私達兄弟が父を悪く言うと決まって父の方を持った。

学校行事にも進んで参加したし、母が行けない時は授業参観にも来てくれた。
家事を手伝っていると後片付けを注意深く見る人で、大雑把な片付けをすると「いつか嫁に行って同居したら泣くぞ」と言われた。
姑に仕える時代背景もあって、逆らえない相手との同居で自己主張をし過ぎてはいけない、だらしない生活態度や家事の手抜きには必ず姑の目が光っていることを教えてくれた。

そして、実際、私は夫の両親と同居することになった。
見事に父の教えは当たり、姑は私のすることにいちいち口出しをした。
同居を甘く見ていた私は、幼稚で世間知らずな嫁でしかなかった。
同居というものの大変さを嫌と言うほど味わい、自分にはどうすることも出来ない世界があるんだと知った。

それに比べたら夫と自由に口論が出来たり、家事を手伝って貰える核家族なんて幸せなものだと思った。
私が手伝って欲しいと言えば姑が出しゃばってきて夫(息子)には手伝わせない。
キッチンに立つことも「男にさせるなんてみっともない」と言われた。
そのような環境では夫の協力は望めず、姑には甘えられない。
嫁だけがストレスを溜め、家族の中で孤立するのは当然のことだった。

今どきの若い核家族世帯では、夫が家事や育児にかかわってくれなければ生活も成り立たないだろう。
育児に参加してこそ子供への愛情も深くなる。
家事は妻だけが負うと決まっているわけでもなく、それだって自分がやってみて初めて大変さを知るのだから。

私は若い夫たちが家事や育児に参加することは大いに賛成だ。
けれど、妻も夫を頼りにし過ぎないで「当然のこと」と思わずに感謝する気持ちは持って欲しい。
それは思うだけでなく言葉でしっかり伝えることも大事だと思う。
もともと他人同士なのだから....



■認知症を介護する

2019-04-17 14:37:24 | 愚痴
認知症と言ってもそのレベルはいろいろ...
姑は介護1の認定だが、介助する必要はほとんど無い。
トイレもお風呂も一人で大丈夫だが、だからと言って手が掛からないとも言えない。
..と言うのも、トイレの後に覗いてみると、ちぎれたトイレットペーパーが散乱していたり、ペーパーホルダーに補充することも出来ないというか、自分が用を足せばそれで終わり..というだけで後始末というものが無い。

トイレは自動洗浄なので勝手に流れる機能で問題ないとしても、流れたあとにまた座って..立ってを繰り返したりするので水は二度三度流れるのは日常的にある。
当然ながら水道料金など心配するはずもなく、多い時は10分置きくらいににトイレに入っては水を流しているのでたまったものじゃない。
注意したところで忘れてしまうのでどうしようもない。

ときどきトイレを汚しても掃除などするわけでもなく、汚した意識も無い。
あるとき、夫がカッカして叱りつけたことがあったが姑は逆切れして反論、聞いていられないほどの汚い口論が続いた。
私はそういうとき、間には入らない。
夫を制しても益々拍車を掛け、姑もまた元来の気の強さで言い返すので私の存在すら忘れている。


そんな日常を外の人間は誰も見ていないので信じられないはずだ。
夫も姑も、外の顔と内の顔を持っていて、外面が良いのは昔からだ。
誰にでもあるのだろうが、私には彼らは特別に見えてしまう。
ケアマネや相談員さんの前では「良い子」を演じ、「私はお世話して貰っている身だから」と良識人を装っているかに見えるがそうではない。
介護認定の調査員が来ると、自分の介護度が低く見られるように何でも一人で出来るような口ぶりになる..と誰かに聞いたが、それは本当だ。

介護者と当人の間には、お互いに意図しない言葉が発せられる..と、調査員なら見破るだろうか。



姑は、いまのところは介護と呼ぶような介護では無いかもしれないが、自分で普通に生きて行くことは難しくなっている。
通院も一人では行けない。
説明を聞いても分からない。
一人で目的地に行くこともできない。
季節や時間の感覚が乏しい。

何度も何度も同じことを聞く。
すぐに忘れるから私の顔さえ見れば「○○は何処?」「○○が無い」など同じことを聞く。
聞かれる私の返事も毎度のことで、いつしかそれが一番のストレスになってしまった。

生活のほとんどを嫁の私が管理し、本人に係るお金の出し入れも全て私がやっている。
用意されたものを食べて着て、時間になったら寝る..という生活が一年以上になって認知症はすすんだが、体の方は至って元気で足腰は丈夫そのもの。この先、心配なのは日常的な徘徊が出ないだろうか?ということ。



これだけ毎日振り回されて、本当にケアが必要なのは介護者の方かも知れないと思う。





■春の雪

2019-04-11 16:32:00 | 愚痴
朝、4時頃に外を見たら数センチほどの積雪があり真冬の雪景色が広がっていた。
寒い!
5時にスマホのアラームを設定していたので解除してから布団にもう一度潜ったが眠れない。
起きようか寝ようか迷いつつ、目は完全に醒めている。
電気ストーブのスイッチをONしてTVを点けた。

まだ放送の始まらない民放を止めてNHKを映す。

気象情報は流れない。

都心が中心のニュースでは、この雪の状況は無関心だと見える。
昨日はあんなに騒いでいた大雪情報も消えた。

つくづく此処は田舎なんだと自覚する。(笑)

起きてから小一時間もすると道路の雪は解け始め、濡れたアスファルトの地面が露わになる。
昼過ぎには跡形も無く雪は消えた。
やっぱり「春の雪」だ。

午後になると近所の園児らしき子供たちが自転車で遊びだす。
子供の声に元気を貰う。

寝過ぎた姑が昼寝から覚めて独り言を言っている。
夢の続きのような戯言だった。

無視していても何も言わない。
やっぱりまだ夢の中らしい。
いちいち応えていたら延々と長引く会話になってしまうので無視できるところは遠慮なく無視することにしている。

パソコンにしがみ付き調べものをしていたら、いつのまにか午後4時半を回った。
そろそろ夕飯の支度を始めなければ...
子供たちが独立してからというもの、夫と姑の二人..そう、家族だけれども他人の食事ばかり作っている。
つまらない。
食べさせたい..という心からの思いが無い。

義務感だけで作らされているようだ。


つくづく私は冷たい嫁だと思っている。


■冷酷な嫁

2019-04-10 11:36:03 | 愚痴
夫の母と夫の妻は、元々は他人同士なのに、夫と息子(娘)と夫の母(姑)は血縁がある。
そんなことはちゃんと分かっている。
当たり前に暮らして来たのに、近ごろなんだか自分だけが仲間外れの孤独感を感じるのはなぜ?
夫と息子と姑は繋がっていても、姑と嫁(妻)は永遠に繋がらない他人のままだ。


それなのに実母より長く暮らし(同居)、介護まで背負う。
実の娘なのに早々に親元を離れて暮らし、見知らぬ他人の元に嫁いで行く。
長い時間、会えぬまま母と娘は別々の暮らし、会いたい..と願った昔の私はもう居ない。
実母は娘に何の苦労もかけずにソッと逝ってしまった。
願っても叶わない母の介護が、今は夢のよう....





言いたいことの半分も言えず、監視の目を逃れるように暮らしていた若い頃、自分の買い物(衣類など)をいちいち目でチェックして「見せろ」と言わんばかりに嫌味を言われたあの頃、もう何十年も昔なのに、もう誰に遠慮もいらないはずなのに、未だにコソコソしている自分が居る。

今も私と姑の主従関係は昔のままだ。
姑は認知症になった今も私を嫁と認識し私の行動を監視している。
いつか私は解放されることがあるだろうか。


こんな記事を姑の目の前で書いている。
冷酷な嫁だ。(笑)




■嫁と娘

2019-04-06 17:35:25 | 愚痴
嫁の実家は高速を使っても一時間以上は掛かる。
我が家には車で10分ほど..
なので、孫を預ける必要がある時はこちらの都合より嫁の都合で決まるのが常だ。
こっちは例の如く姑のお守りと事務所の留守番があるので日々、在宅が当たり前になっている。
つまり、嫁にとっては好都合な夫の実家になるのだが、しかし、そこは嫁の立場、どんなに良くしてあげてるとこちらは思っていても、些細なところに気を遣うのが義理関係、良くも悪くも嫁姑の関係は実母のソレとは全く別物だとお互いに分かっている。

嫁は夫が子供の面倒を看れる時は決して孫守りを頼まない。
我が家に連れて来て、さらに迎えに来なければならない手間と時間が鬱陶しいはずだ。
それを知っているので、こちらからは孫守りの押し売りはしない。
子供を看てもらえることを感謝はしても、喜んで看て貰ってはいないのだと思う。

それは私が若いころ、実家の母に子供を看てもらう安心感とは違った心の葛藤を持って、同居の姑に看てもらって外出する気負いを持っていたことを思えば当然な感情である。
それだけ実母と義母の違いを感じながら暮らしていた自分を思い出すと、今の嫁だって同じなんだろうな..と思うのだが、どんなに良い姑、良い嫁でもそこは永遠に他人同士なのだと思う。

息子を持って思うのは、男は結婚によって妻に母を求めるということ。
いずれ老いて行く母は、幼かった頃の母とは全く違った思いで見るようになり、妻を頼りにして生きて行くのが自然の流れだと思う。
妻は、早いうちにそれに気づいて夫の寂しさを思いやることも必要なのではないか。
母と娘の関係は、男のソレとは違うと思う。

今日はそんなことを思った一日だった。