Here is

ここに居るよ!

■冷房の効いた部屋から眺める木々の揺れ

2021-07-23 14:38:45 | 愚痴
昨日、今日と梅雨空に戻ったような空模様で、今になって陽がさして来た。
夏の暑さが骨身にこたえます。歳のせいでしょうかね。
外出は食料の買い出しが週一から10日に一回、銀行の用は息子にお任せとなった。
これを自粛というか、ステイホームというかは考え方次第だが、なんにせよ暑いのが嫌いな自分には快適極まりない。
認知症の姑が居るので快適とは言い難い。
70歳になろうかという婆さんが、そのまた婆さんの介護をしているなんて周りでは聞いたことが無い。
そろそろ施設入所を考えたいけれど、口ほどに夫もその兄弟も協力的では無いので苦労する。

何の因果で私は縛られるのかと、ついつい愚痴りたくなる。
孫たちは大きくなり、上の子二人は野球を始めたりで滅多に来れなくなった。
これからは何の楽しみもなくなるだろう。
昔、私が子供たちを連れて実家に泊まりに行ったとき、母は溢れんばかりの笑顔で孫たちと遊んでくれたっけ。
あれから時は流れ、今の孫たちが、あの頃の息子たちと重なる。
私も歳をとったものだ。
楽しい時間はあっという間に過ぎて行く。

時間は刻一刻と刻んでいるはずなのに、同じ刻み方ではなく、近頃は一気に進むよう感じるのも歳のせい?
オリンピック、まったく気にならない。
問題ばかり後手後手....
やる意味あるのか?
国民はワクチン接種を二度すればOKサインと誤解しているようで、いままで我慢していた分を取り戻す勢いで帰省、飲食、レジャーに忙しい。
マスクは当分と言うか、数年?は外せないだろうし、果たして収束はあるのか無いのか....
外出に生きがいを感じている人があまりに多くてびっくりします。
何がそんなに楽しいのかわかりません。
若い時ならわかるけど、今の私は冷房の効いた部屋から眺める木々の揺れが最高!




■夏野菜

2021-07-13 12:56:18 | 愚痴
近隣の農家さんが週一で野菜を売りに来てくれる。
いろいろな夏野菜を軽トラックに積んで農家のおばさんは朝一でやってくる。
我が家は野菜の消費が半端ない。
肉や魚は、量的には多く食べられない高齢者家庭なのだが、野菜や果物はよく食べる。
今日、買ったのは「とまと」「ナス」「枝豆」「ねぎ」「トウモロコシ」「モロッコいんげん」「かぼちゃ」「キャベツ」...そして「ゴボウ」
トウモロコシと枝豆は、すぐに茹でた。
農家さんは、売り物にならない野菜たちを自家消費するが、その量が多くて食べても食べても減らないそうだ。
いろいろ調理法を考え、漬物に加工したり冷凍したりしても、家族は飽きてしまって....と言っていた。
若い息子一家と同居しているが、「若い人たちは煮物よりサラダ」を好み、保存の効かない野菜の消費には困っているそうだ。
レタスやキュウリ、とまとなど、どんなに好きでも「ご飯の代わり」に三食それだけ食べるわけにはいかないよね~と言っていた。

スーパーなどにも出荷しているそうだが、スーパーの場合、売れ残ったものは引き取ることになるので、これは自宅で食べるか廃棄されるかになるようで、
生産者は本当に大変だなと思う。
のどが乾いたらトマトを丸かじり、汗をかいたらキュウリの一本漬けをほおばる。
夏にしか味わえない醍醐味だけど、これを贅沢ととらえるか、質素ととらえるかは本人次第。


■赤とんぼ

2021-07-10 13:41:05 | 愚痴
「赤とんぼ」の歌を何気に歌ってみた。
歌詞の意味がよく分からない箇所がある。
こういうときは検索に限る。


1.夕焼け小焼けの 赤とんぼ
  負われて見たのは いつの日か

2,山の畑の 桑の実を
  小篭に摘んだは 幻か

3,十五で姐やは 嫁に行き
  お里の便りも 絶え果てた


4,夕焼け小焼けの 赤とんぼ
  とまっているよ  竿の先


この童謡の歌詞は、作詞家の幼少期の実体験が元となり作詞されているようです。

♪負われて見たのはいつの日か
姐やの背に負われていた作者の幼少期ことであり、背に負われながら見た夕焼けや赤とんぼの記憶が鮮明に残っている。

♪十五で姐やは 嫁に行き
作者は姐やの背に負われて育った。
作者が幼少のころ父母は離婚し母は実家に戻った。
母は息子を思い、親近者の娘を、別れた夫の家の奉公に出すよう勧め、息子の近況を知る術としたのだが、
年頃になった娘は嫁入りのため奉公先を去った。
奉公人である娘を介してお互いの(母と息子)近況を知ることが出来たのだったが、それが絶たれてしまっては
お里(母の実家)の便りも途絶えてしまった。そのことを寂しく哀しく思い出された歌詞である。


子供は幼くても強く長く記憶に残ることがある。
それだけに、親の都合での離婚は避けなければならないと強く思う。
特に母親と離れ離れになることの衝撃は、そのとき赤子であっても後々に「なぜ?」という疑問は生まれ、生涯を通して
母親を追い続けることになる。

この赤とんぼの歌詞もそうだが、曲にも叙情的な憂いがあり、歌詞の意味を知れば尚、心に強く残る歌である。
もし、負われた背中が母であったなら、こうも悲しい歌には聞こえないでしょう。





■散髪

2021-07-03 15:30:27 | 愚痴
デイサービスに来ている床屋さんが感染症の予防のため出入り出来なくなって久しい。
義母の髪がボサボサに伸びて貧乏くさくなった。
美容室はだいぶご無沙汰していて行きづらい。
義母の付き添いも必要だ。

仕方がない。
私が床屋になるしかない。
デイに行く前のわずかな時間に切った。
我ながら上々だ。(笑)
これで1か月は大丈夫。
な~に伸びたらすぐに切れるのが自宅床屋だ。
当分はこれで我慢してもらおう。

なかなかかっこいいよ...なんて自画自賛して笑わせた。