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ここに居るよ!

■簡素化

2018-12-13 15:57:58 | 愚痴
3.11の震災を機に我が家の義理関係は変わった。
それまで、何ら改善の余地無しだった年中行事?は、日本の..いや、地域独特の「しきたり化」として親世代から引き継がれてきたのだが、震災後の混乱で見事に置き忘れ、いかにそういったものに振り回され、本当に必要なものを見失ってきたかを思い知らされたのだった。

いかに現実というものが大事で、世間体や建て前というものに泣かされてきたかを思い知らされたのである。
震災後、年賀状は住所録を失くして書けなかったし、だいいち、年賀状に「あけましておめでとう」などと書けるワケが無かった。
家族を亡くしたり行方不明者もいて、しかも、我々も含め、家も流され仮住まいの人で溢れていた時期だ。

お歳暮、年始、初詣、などなど、それどころではなくなった人々の思いは別のところにあったのに、実際に被災者になっていない親戚や知人から届くお歳暮、忘年会への誘い、年始回り、年賀状、しいては結婚式への招待状など、お祝い事全般が被災者の心情には配慮が足りないと思った。
かたや、自宅再建の道を探りつつ、無駄遣いをしないよう財布の紐を締めているのに、被災していない者たちは自分たちのお祝い事を喜んで知らせて来る。
被災者の心情を全く理解していない人達の無神経さに腹が立ったものだ。

親戚だから...
兄弟(義理)だから...
友達だから...

...という名のもとに、興味本位でジリジリと私生活を覗きこむだけの義理関係が嫌になった。


震災後、年賀状のやりとりは止めた。
こちらが書かなければいい。

ありきたりな文が並ぶハガキ一枚だけのやりとりに何の未練も無かった。

家の行事として「法事」があっても、年代を遡った顔も知らない親戚を呼ぶことも止めた。

盆暮れの度に挨拶に行ったり来たりした際に、物々交換的なモノのやりとりも最小限に減らした。


今の私は、姑の心理的な介護、見守りの毎日と、通院の付き添い、姑に関する全ての管理が仕事になっている。
加えて、在宅ワークも抱え、時々は孫守り頼まれる生活でいっぱいいっぱいの日々である。
親戚の訪問に慌てさせられたり、飲み客の接待など余計な仕事が増えることが一番辛い。
老老介護の域に達している我が家に来て、何を期待するのか分からない。
髪振り乱した老いた私を見て楽しんでいるのか..と逆切れしそうだ。


私は、老後は出来るだけ人の干渉を避け、静かに暮らしたい。

これまでずっと過干渉の中で暮らした反動だと思う。