Here is

ここに居るよ!

■彼岸と墓守

2018-09-20 14:42:31 | 愚痴
今日は彼岸入り...
買い物のあと、花と線香を持って嫁とお墓に行って来た。
彼岸は一週間あるので、余所から墓参りに来る人はいつでも良いが、墓守をする方は家の仏壇とお墓の両方に気を配らねばならない。
墓掃除も兼ねて、入日には参らねばならない。
そして中日と彼岸明けも...

昔、義父の弟が病気になったとき、その妻からお墓のことを言われたことがある。
まだ姑が家の一切の権限を持ち、私は言われるがままに仕えていた頃のことで、姑から後になって聞かされたことなのだが。

○○の神様に病気の完治を願いお祓いを受けたとき、「実家のお墓が粗末に扱われ草もボウボウで墓参りもしていない」と言われた..と義父の弟嫁が言って来たらしく、「お義姉さん、お墓掃除をお願いします」と言われて正に寝耳に水だったそうだ。

全くそんなことはなく、節々で墓掃除や墓参りをしてきた姑は腹を立てていたことがあった。
拝んでいただいた神様を..では無く、義妹の言いぐさが癪に障ったということらしい。
自分たちは、盆だ、彼岸だと言って菓子折り一つでやって来て、墓参りを済ませたあと、実家に寄って昼食や夕食を食べて飲んで帰ることを習慣化していたが、それらを準備して上げ膳据え膳でもてなし、用意周到に帰りには手土産まで渡すのが恒例だった。
何十年も繰り返して来た「実家の義理」を、有難がるどころかケチを付けられたと怒り心頭だった。

当時、その料理番だったのは嫁の私だった。
しかも義父の兄弟はゾロゾロ居て、お昼を目がけて続々と我が家に集合するのが常で、まるで宴会のように夜まで続く宴に私は心身ともに疲れた。
それが一週間も続けば大概こちらもうんざりする。
姑は、そんな私を労いもせず、嫁だから当然だと言って自分は賑やかな宴の輪に入って高笑いをするのだった。
もともと姑は賑やかな宴が好きで、誰彼となく家に招いては嫁の私に食事の支度をさせてきた。
自分は客人との会話で楽しみ、何の苦労も無かったと思う。
過去も今も、貧乏くじを引いたのは嫁の私だった。

ずっとずっと私を家に束縛し続け、今も尚、認知症になって私を雁字搦めにしている。
息子や娘は近くに居て安心だと言うが、私にすれば近過ぎて困ることも多い。
いつでも監視下に置かれているような気分になる。
そのくせ、こちらが必要とするときには協力して貰えない。
なんだかんだ自分の都合よく断られる。
義理関係とはそういうものだ。


長いこと義理関係に縛られてくると、自発的とは言えない、事務的に外側だけ取り繕うようにもなる。
そこに情は有るのか?と自分に問うと、「はい」とは決して即答できない正直な自分が居る。




■夢

2018-09-12 15:42:47 | 愚痴
昼寝で姑の夢を見た。
なんと、ボケた姑にもいびられている夢だった。
言い合いの末、私は泣きながら姑を追い払うのだが払っても払ってもぴったりと喰い付いて離れない。
執念深い姑についに大声でわめく自分の声で目が覚めた。

なんという夢だろうか。
階下に居る姑の耳にも聞こえたかもしれない。

そんなことはどうでもいいが、すさまじい夢から覚めてもなかなか現実に戻れずウダウダしていたが、水を飲みに階下へ降りた。
パソコンを開きボォーっとしていると、背後から姑の声がした。
気が付くと、私の後ろに立ち、「靴が無い」と言っている。

いつのまに私の後ろに来たのか全く気付かなかった。
いつも履いているパタパタと音がするスリッパも履いていないので余計に音がしなかったようだ。
私の中では、今でも姑は昔の、私がまだ若かった時代の姑のままだ。
なにかと私の心をざわつかせ、その日の気分を左右する対象だ。
かれこれ40年も付き合えば、それは背後霊のようになって私の人生の大半を占めて来た。

いつも読むブログに姑を毛嫌いする嫁の愚痴ブログが幾つかある。
彼女らはいかにも酷い言葉でののしるが、それらは私の叫びでもある。
どうしてあれほど嫌いになるのか?  他人事のように読んでいる私がいる。
私と何が違うと言うのだろう。
同じじゃないか。

私の方がもっと意地汚いかも知れない。

建て前と本音を上手に使いこなして、自分に向けられる冷たい視線を出来るだけ避けようとしているだけだ。
臆病で意気地無しな自分に腹が立つ。

■息が詰まる

2018-09-06 16:26:48 | 愚痴
姑と二人きりの時間が長いと息が詰まりそうだと言って、外に用事を作る主婦は多い。
パート仕事だったり、友人と遊んだり、趣味の教室通いだったり、その時間潰しは人それぞれである。
なるべく姑と接触する時間を減らすための涙ぐましい策略なのだが、そうやって外に出ても決して姑への気持の切り替えは出来ていないのが現状のようだ。

お互いが、「姑」と「嫁」という立場を意識し過ぎているので、心のどこかで同等な立場だとは思っていないから、姑(嫁)は、こうあらねば..という意識が働いてしまう。
不満はそこから始まって、その不満を気付かせようと嫌味を言ったり不機嫌な顔をしたり、とても大人げない態度になることがある。
その毎日に嫌気が差しても同居は続くのだから、これはもう努力で何とかしようなんて無理な話なのである。


子供たちが独立して家を出たあとは尚更に辛い。

夫は自分の親を看てくれる妻が、少しでも楽になるように気を遣っているつもりが、結構、逆効果な言い方や態度をする鈍感さがある。
姑の方も、自分の年齢も顧みず、主導権を放さない面があり息子を味方に付けようとする。
終わりの無い戦いのように思える妻は、夫さえ味方に出来ないで何が夫婦だ..と不満は募る。


夫婦二人暮らしで、自由気ままに毎日を謳歌する友人を羨み、不公平だ!..と叫ぶのだ。

人間は、そもそも不公平の中で生きているのだから、誰かと比べることをし出したらきりがないのだ。