今日は彼岸入り...
買い物のあと、花と線香を持って嫁とお墓に行って来た。
彼岸は一週間あるので、余所から墓参りに来る人はいつでも良いが、墓守をする方は家の仏壇とお墓の両方に気を配らねばならない。
墓掃除も兼ねて、入日には参らねばならない。
そして中日と彼岸明けも...
昔、義父の弟が病気になったとき、その妻からお墓のことを言われたことがある。
まだ姑が家の一切の権限を持ち、私は言われるがままに仕えていた頃のことで、姑から後になって聞かされたことなのだが。
○○の神様に病気の完治を願いお祓いを受けたとき、「実家のお墓が粗末に扱われ草もボウボウで墓参りもしていない」と言われた..と義父の弟嫁が言って来たらしく、「お義姉さん、お墓掃除をお願いします」と言われて正に寝耳に水だったそうだ。
全くそんなことはなく、節々で墓掃除や墓参りをしてきた姑は腹を立てていたことがあった。
拝んでいただいた神様を..では無く、義妹の言いぐさが癪に障ったということらしい。
自分たちは、盆だ、彼岸だと言って菓子折り一つでやって来て、墓参りを済ませたあと、実家に寄って昼食や夕食を食べて飲んで帰ることを習慣化していたが、それらを準備して上げ膳据え膳でもてなし、用意周到に帰りには手土産まで渡すのが恒例だった。
何十年も繰り返して来た「実家の義理」を、有難がるどころかケチを付けられたと怒り心頭だった。
当時、その料理番だったのは嫁の私だった。
しかも義父の兄弟はゾロゾロ居て、お昼を目がけて続々と我が家に集合するのが常で、まるで宴会のように夜まで続く宴に私は心身ともに疲れた。
それが一週間も続けば大概こちらもうんざりする。
姑は、そんな私を労いもせず、嫁だから当然だと言って自分は賑やかな宴の輪に入って高笑いをするのだった。
もともと姑は賑やかな宴が好きで、誰彼となく家に招いては嫁の私に食事の支度をさせてきた。
自分は客人との会話で楽しみ、何の苦労も無かったと思う。
過去も今も、貧乏くじを引いたのは嫁の私だった。
ずっとずっと私を家に束縛し続け、今も尚、認知症になって私を雁字搦めにしている。
息子や娘は近くに居て安心だと言うが、私にすれば近過ぎて困ることも多い。
いつでも監視下に置かれているような気分になる。
そのくせ、こちらが必要とするときには協力して貰えない。
なんだかんだ自分の都合よく断られる。
義理関係とはそういうものだ。
長いこと義理関係に縛られてくると、自発的とは言えない、事務的に外側だけ取り繕うようにもなる。
そこに情は有るのか?と自分に問うと、「はい」とは決して即答できない正直な自分が居る。
買い物のあと、花と線香を持って嫁とお墓に行って来た。
彼岸は一週間あるので、余所から墓参りに来る人はいつでも良いが、墓守をする方は家の仏壇とお墓の両方に気を配らねばならない。
墓掃除も兼ねて、入日には参らねばならない。
そして中日と彼岸明けも...
昔、義父の弟が病気になったとき、その妻からお墓のことを言われたことがある。
まだ姑が家の一切の権限を持ち、私は言われるがままに仕えていた頃のことで、姑から後になって聞かされたことなのだが。
○○の神様に病気の完治を願いお祓いを受けたとき、「実家のお墓が粗末に扱われ草もボウボウで墓参りもしていない」と言われた..と義父の弟嫁が言って来たらしく、「お義姉さん、お墓掃除をお願いします」と言われて正に寝耳に水だったそうだ。
全くそんなことはなく、節々で墓掃除や墓参りをしてきた姑は腹を立てていたことがあった。
拝んでいただいた神様を..では無く、義妹の言いぐさが癪に障ったということらしい。
自分たちは、盆だ、彼岸だと言って菓子折り一つでやって来て、墓参りを済ませたあと、実家に寄って昼食や夕食を食べて飲んで帰ることを習慣化していたが、それらを準備して上げ膳据え膳でもてなし、用意周到に帰りには手土産まで渡すのが恒例だった。
何十年も繰り返して来た「実家の義理」を、有難がるどころかケチを付けられたと怒り心頭だった。
当時、その料理番だったのは嫁の私だった。
しかも義父の兄弟はゾロゾロ居て、お昼を目がけて続々と我が家に集合するのが常で、まるで宴会のように夜まで続く宴に私は心身ともに疲れた。
それが一週間も続けば大概こちらもうんざりする。
姑は、そんな私を労いもせず、嫁だから当然だと言って自分は賑やかな宴の輪に入って高笑いをするのだった。
もともと姑は賑やかな宴が好きで、誰彼となく家に招いては嫁の私に食事の支度をさせてきた。
自分は客人との会話で楽しみ、何の苦労も無かったと思う。
過去も今も、貧乏くじを引いたのは嫁の私だった。
ずっとずっと私を家に束縛し続け、今も尚、認知症になって私を雁字搦めにしている。
息子や娘は近くに居て安心だと言うが、私にすれば近過ぎて困ることも多い。
いつでも監視下に置かれているような気分になる。
そのくせ、こちらが必要とするときには協力して貰えない。
なんだかんだ自分の都合よく断られる。
義理関係とはそういうものだ。
長いこと義理関係に縛られてくると、自発的とは言えない、事務的に外側だけ取り繕うようにもなる。
そこに情は有るのか?と自分に問うと、「はい」とは決して即答できない正直な自分が居る。