yopikoの、たなばた日記

フクロウグッズ・書・風景・植物や日々の出来事など、写真で気ままに綴っています♪

九州の旅、4日目(7月16日) 熊本・島原、城めぐり

2012-07-23 05:30:00 | 帰省&旅行記 ♪

4日目も早起きの6時起床
熊本駅で新幹線、駅前で路面電車などを撮り、バイキングの朝食を摂って、9時出発。

熊本といえば、やはり熊本城。 一度はこの目でみたいと行ってみました。

熊本城は、天正16年(1588)、加藤清正、肥後北半国19万5千石の領主として隈本城(古城)に入りました。
関ヶ原の合戦後、肥後南半国54万石を領し、慶長6年(1601)、新城(現熊本城)に着手。
加藤家は2代44年続きました。

その後、寛永9年(1632)、豊前小倉の細川忠利入封。
島原の乱があり、寛永17年には宮本武蔵が細川家の客分に、その3年後「五輪書」を著しています。
細川家は11代239年も続きました。

天守閣は明治10年(1877)に原因不明の出火で焼失、昭和35年に再建されています。

石垣が立派です~


大天守閣は石垣の上から高さ約30m、堂々とした風格です。
敵から攻められても対応できるよう数々の工夫が施されていて、まさに難攻不落の巨大要塞です。



武将さんと、ポーズ!

フェリーの出航時間が気になり、早々に切り上げ、熊本港へ

出航は11時、一時間後に島原半島に到着
城繋がりで、予定していなかった島原城へも行ってみました。

島原城は、五条(奈良県)から入封した松倉重政が元和4年(1618)から着工、7年かけて築城。
層塔風総塗込の五層の天守閣を据する本丸と、北へ二の丸と三の丸を配置し、外郭は4キロ
4万石の大名には過分な城です。
以来、松倉氏・高力氏・松平氏・戸田氏・再び松平氏と、4氏19代、250年も続いた島原藩でした。

明治維新で廃城、払い下げ・解体されましたが、昭和39年(1964)天守閣が復元されました。


こじんまりとした城ですが、白い城壁がとても綺麗です。


城の中へ入って天守閣へ登り東西南北ぐるっと風景を見て、


暑さをもろともせず元気な「くのいち忍者」さんと記念撮影

ここで昼食

島原名産のそうめんを食べました。 こしがあって美味しかった~
フクロウグッズもゲット!


次に、島原半島のほぼ中央にある雲仙へ。

「雲仙地獄」と呼ばれる雲仙温泉街の観光地です。


散策コースには30あまりの噴気孔があり、白い水蒸気が上がっています。


一番規模が大きい「大叫喚地獄 だいきょうかんじごく」 
時折勢いよく噴出する熱泥、硫黄の臭いが立ちこめていて、自然の脅威を感じました。

2時30分、空模様があやしくなってきたので途中で引き返し、宿泊地の長崎市内へと向かいました。

つづく

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