「『練習を本番、本番を練習』と考えるか?『いつも本番』と考えるか?」投稿者:菅野直基 投稿日:2017年 4月 3日(月)07時25分27秒 |
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リハーサルや予行練習の時はうまくいったのに、本番でうまくいかなかった経験はありませんか? 私はそのような経験を何度もしてきました。 本番で緊張しないように、「練習を本番、本番を練習」のように考えたためでした。 ステージで歌ったり、演奏する前のリハーサルを一生懸命におこなって、とても盛り上がるのに、本番では緊張感がなくなり、力が十分に発揮されないと残念だなと思います。 それ以来、「いつも本番!」と考えるようにしました。 牧師がやる仕事の多くは、人に向けられた活動ですが、すべて神に向かっての奉仕だと思っています。 歌や演奏のリハーサルも「神への賛美」で、講演の準備や練習も「神への祈り」です。練習も本番と同じ気持ちです。 そして、本番の時も、「神への賛美」と「神への祈り」です。だから「いつも本番!」です。 この考え方は、どんな仕事や分野にも応用できます。 ある人は、自分の仕事を「つまらないもの」と考えて、雑に行い「雑用」にしてしまいます。世の中に雑用など一つもないのに、雑に行うことで雑用にしてしまいます。 ある人は、人が見ている時だけ一生懸命に働いて、人がいなくなると手抜きをします。そのように仕事をしていると、ある時、怠けている姿を社長に見られてしまうものです。 人が見ていなくても一生懸命に働く人も、一生懸命に働いている姿を、誰かが、どこかで見ているものです。 不意に見られた姿こそが、「その人の本当の姿」として心に焼き付けられ、良くも悪くもその評判は瞬く間に広がって行くものです。 人生は、そんなに長くありません。「いつも本番」と考え、人が見ていても、見ていなくても、一生懸命に生きる。人に対してではなく、神に対して生きることです。 神を実在者と信じ、神と共に歩んでいるクリスチャンは、いつもでも、神に向かって一生懸命に仕事をします。一方、人が見ている時と、人目のないところでは全く違う生き方をする人がいます。 神は、人目に隠れたところで行う愛のワザを喜んで見ておられ、その人に素晴らしい仕事と祝福を与えられます。 「小さい事に忠実な人は大きいことにも忠実であり、小さい事に不忠実な人は大きい事にも不忠実です。」(ルカ16:10) 「その主人は彼に言った。『よくやった。良い忠実なしもべだ。あなたは、わずかな物に忠実だったから、私はあなたにたくさんの物を任せよう。主人の喜びをともに喜んでくれ。』」(マタイ25:21) 全ての事を神に向かって行い、いつも本番だと考えて生きましょう! そんなあなたに、祝福が追いかけて来るはずです。 「まことに、私のいのちの日の限り、いつくしみと恵みとが、私を追って来るでしょう。」(詩篇23編6節) 素晴らしい一日でありますように。 |
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