歌いつづけよう主の愛を 友よ歌おう
字幕無しBible Story 詩編103;2主が良くして下さったら、忘れない!サウスベイ ロスアンゼルスにて。
光あれと神がいうと、光があった。
これは、聖書の創世記の最初のみ言葉です。
私は、この光については、太陽とおもっていました。
この論文では、太陽は光りの後にできたとあります。
太陽は、創世記1章4節からでてくる。
たしかに、光の後に太陽ができいる。
物質が出来る前に、ひかりがあった。
その太陽も、すぐには今見ている丸くて暖かく、輝いていた訳ではないのです。
最初はガスの塊だった。
それが、何百年もかかって、今の太陽になったようです。
それも、人間が地球にすめる、環境を作る為に、神様が要した時間なのです。
神にとっては1000年も1日であり、1日も1000年ですと聖書にあります。
人間が住める環境を気の遠くなるほどの時間をかけて、宇宙がつくられた。
そして、クリスチャンは天地の始まる前から、神様に選ばれたとあります。
神様は私は始めであり、終わりですといわれていまし。
私は、アルフアーであり、オメガです。
これは聖書のみ言葉です。
天地創造の技が、人間が住める環境作りだったとかんがえ、私達、クリスチャンとして、神の子とされ、永遠の命をあたえてくださった、神様は、天地創造のはじめから、この宇宙が巻物のようにまかれ、宇宙の終りがくることを預言している、黙示録という聖書の所を読む時、世の終りの前兆として、戦争、戦争といううわさが流れ、天変地異,地震、津、火山の爆発、巨大な台風、山火事などが起こり、餓死する人が多く出て、水不足が始まり、食物が取れなっくなる。世界的な疫病が発生し、大勢のひとが死ぬ、天体が揺り動かされ、星がおちてくるなどかかれている。
現在の世界をみると、水不足はすぐそこまできている。
中国は地下水が汚染され、水が飲める状態でなくなりつつあり、日本の富士山の水、北海道の水を求めて、土地を買収している。
アフリカなどは干ばつで、砂漠化していて、多くの子供が餓死している。
抗生物質のきかない病気、エイズ、などの為、多くの人が恐怖をおぼえている。
山火事もアメリカでは多発している。日本でも今年、新潟で、町が火事で消滅したことは
皆が覚えている。戦争、戦争という声がきこえてきている。
日本も戦争の出来る法律ができた。
津波もきた。
世界中をみると、インドネシア、フイリッピンなどにも大きな津波が押し寄せた。
これから、日本に迫っているのは,東海南地震である。
東海地震と連動して、関東、大阪、高知まで、大地震と津波がくることが予想されている。
こうして、いろんな世の終りの印を今日見ることが出来るが、聖書には、これは、世の終りの前兆ですとある。
世の終りについては、神様しかしらないから、いろんな噂にまどわされないようにといっている。
今までも、ノストラアダムスの預言で、何日に終りが来るとかいう噂がながれ、結局、こなかったこともある。
最近では、昨年の12月に大きな惑星が地球に落ちるなどのうわさもあった。
その名は、「ニヒル」。
結局、その噂は、昨年ではなく2015年のことだった。
イエス様が誕生して、今年で、2017年となった。
生まれる前から、神様に選ばれて、クリスチャンとなった人の人生はまだ、母の胎内で、骨も作られない時、その人の人生が天の命の書に書き記されたと述べられている。
最近、一人一人の情報が素の人の一つの細胞のなかのDNAにかかれてあるという事実がある。
最初に父と母から、生命の誕生のため、卵子と精子が交わって、一つの細胞になる。
それが細胞分裂して、だんだん、人間としての形がつくられていく。
9カ月になって、母親から赤ちゃんがうまれる。
一つの細胞、髪の毛、皮膚、骨、血液、などにDNAがあり、今ではその情報が一つ一つ解明されている。
聖書の語っているように、クリスチャンとして救われた人の人生は、生まれた時から、死ぬまでのすべての情報は、最初の母親の胎内で、細胞としてできた時、すでに、全部の情報がかかれていたのかもしれない。
最近の科学の発展で、聖書の語っていることが本当であることがわかってきた。
世界の科学者がこの地球が後、何年維持できるかという時計があるらしい。
12時を地球最後の日とすると、現在は3分まえだ。
私が、30歳くらいの時は、本田弘治先生という方がその時計のはりは、5分前をしめしているといっていました。
なので、あなた方は、お墓はいらないとおっしゃっていました。
それが、40年前くらいのことです。昨年その時計の針が2分進んで、3分前になったようです。
地球ができて、何十億年となるようですが、私達人類はまさに、最後の時期を歩んでいるのです。
世界中に、イエス様の福音が伝えられ、イスラエルに第三神殿がたって、そこに偽キリストがあらわれ、自分こそ神だといって、自分を拝むように命じる、クリスチャンの迫害がはじまるなどがこなければ、世の終りはこないといっている。
日本のキリスト教普及率はベトナムなどのイスラム教を信じる人の多い国より、少ないようです。
中国は、地下教会といって、国では認めていませんが、大勢のクリスチャンがいます。
その人達は、迫害モ恐れずに、イランやイラクなどのイスラム教の国々に伝道しています。命がけででんどうしているのです。見つかったら、すぐ、死刑になる国もあるときいています。
日本は江戸時代にキリスト教を信じる人を見つけるため、踏み絵とか、4人組とか作って、クリスチャンだとわかると、信仰を捨てるように命令し、それを拒否すれば、十字架刑になって、殺されました。
戦前はクリスチャンはヤソ教といって、信じた人は、村八部にされました。
戦争中は、クリスチャンは神社にお辞儀するように強制され、信仰を持った人は、それをしないと、牢屋にいれられたのです。
ホーリンス教団の人は、多くの教会が国からやめさせられ、信仰を捨てるように強要され、多くの牧師が牢屋で、殉教されました。
私が、洗礼を受けた教会は、横浜ホーリネス教会でした。
その教会は、菅野武牧師の記念教会でした。
フランス、ドイツは、今、イスラム教の人が多くいて、後、十年したら、白人の国ではなくなるだろうと予測されています。
キリスト教のカソリックから、清教徒革命、宗教革命によって、それまで聖書を読むことを禁止され、貴族しか読めなかった聖書でしたが、プロテスタントの牧師、カルビン、ウエスレー、ルターなどの改革者によって、一般市民にも聖書をよめるように、印刷機の発明により、聖書が印刷され、多くの人が聖書をよむようになった。
しかし、もし、聖書がみつかったら、すぐ、もやされてしまいました。
そんな血を流しながらイエス様の教えは、この地球の果ての日本にも届いたのです。
そして、自殺2回もした、私の心にもイエス様のおしえが届いて、イエス様を通して、唯一の神様と出会い、毎日私と共にいてくださる、聖霊様によって、人生の航海をさせていただいています。
人生のかじ取りは、イエス様です。
イエス様を通して、聖書を読み、この宇宙をつくって、今も働いてくださっている、神様の御わざを、日々教えられています。
私は道であり、真理であり、命なのです。(聖書)
物質界が活性化された
さて、神が無から有を生じさせ、宇宙の創造を開始されたとき、神はどのようにして物質界や、そこに働く諸力を整えていかれたのでしょう。
聖書の創世記一・二には、宇宙および地球が造られていく過程において、「神の霊」がその上を「動いていた」、と記されています。これは、当初混沌としていた宇宙および地球が活性化され、高度な秩序形態をもっていくために、目に見えない実体が関与していたことを示す聖書的表現です。
聖書において、「神の霊」という言葉が持っている一つの意味は、"力の源泉"です。神の霊は力の源泉であり、すべての種類のエネルギーは、ここから発せられます。そして「神の霊」は、宇宙および地球において、その上を「動いて」いました。
「動く」と訳されたこの言葉は、原語では、めんどりなどがその羽を「舞いかける」、というような時に使う言葉です(新改訳欄外注参照)。ちょうど、めんどりが卵の上で羽を舞いかけ、自らの体温による熱を与えて、孵化を待つように、「神の霊」は物質界を活性化し、整えていったのでしょう。
アメリカのICR(創造調査研究所)理事長へンリー・M・モリス博士は、こう述べています。
「『動く』(舞いかける)という言葉は、宇宙に働くエネルギー伝達は、波の形(光波、熱波、音波等)でなされることと関係があります。事実、(核力は別として)物質に働く基本的力の型は二つだけで、重力と電磁力です。これらはすべて『場』と関係し、波動で伝達するのです」(『マハナイム』一一号二頁)。
神は、エネルギーを「舞いかけ」、言わば波立たせることによって、物質界に働く様々な力を、整えていかれたのでしょう。こうして存在に呼び出され、さらに活性化された世界は、創造「第七日」に、ついに完成しました。
「神は、第七日目に、なさっていたわざの完成を告げられた」。
さらに、
「第七日目に、なさっていたすべてのわざを休まれた」(創世二・二)
と記されています。万物の完成後、神はそれまでなさっていた創造のわざから手を引かれ、物理的・化学的法則を固定し、宇宙の運行をそれらの法則におまかせになりました。
ですから、それまでは宇宙にエネルギーを供給しつつ、創造のわざを展開してこられたわけですが、わざの「完成を告げられ」て以後は、もはや新しくエネルギーを宇宙に供給することはなさっていない、と考えられます。
したがって、物理学で宇宙を支配する最も基本的な法則として知られている「エネルギー保存の法則」は、当然、ここから期待される法則です。
この法則によれば、エネルギー(質量も含めて)は形態を変えるだけで、新しく造り出すことや、滅ぼすことはできません。何かの物理的・化学的変化が起こっても、そこにあるエネルギーの総和は、常に一定です。
したがって「エネルギー保存の法則」によれば、宇宙のもつ全エネルギーは一定で、ある特定の値をもっているはずです。「エネルギー保存の法則」は、神が創造のわざの「完成を告げられ」、すべてのわざを「休まれた」という記述から、当然期待される法則と言ってよいでしょう。
太陽より先に光が出来た!?
生命が営まれる環境において、「光」がもっている役割がいかに重要であるかは、よく知られています。「光」なくしては、植物も動物も人間も、生息することはできません。地球に生命が生まれることができたのは、太陽が豊かに光を注いでいてくれたからです。
聖書の創世記一章に記されている宇宙創造の記述の中で、一見奇妙に思えるものとして、"太陽より先に光が造られた"ということがあります。
創世記の記述によると、創造第一日に光が創造され、すでに地球には「昼」と「夜」がありました。しかし太陽自体は、第四日に造られているのです。これを「矛盾だ」と考える人は、次のように言います。
「太陽という"光源"がまだなかったのに、どうして光が輝くことができるだろうか」。
しかし、光が先に創造され、後に太陽が形成されたという記述は、次のようなことを考えれば、とりたてて奇妙なことではありません。まず現代の科学者は、太陽の起源についてどう考えているか、調べてみましょう。
現在、科学的な研究によって、宇宙にある物質のうち最も多い元素は、水素であると言われています。水素原子は、一つの陽子と、一つの電子からなるもので、元素の中で最も簡単な構造をもっています。
次に多いのが、ヘリウム(水素の次に単純な構造をもつ)で、水素とへリウムをあわせると、宇宙の全物質の九八%にもなります。他の元素は、全部あわせても二%程度にすぎません。宇宙にある物質の大半は、水素とへリウムだと考えられているわけです。
これは、星からの光の「スペクトル」を調べることなどによって、わかったものです。元素は、それぞれ固有の「スペクトル」をもっているので、星からの光のスペクトルを調べることによって、その星がどのような元素からなっているかが、わかるわけです。
星からのスペクトルを調べることによってその星の構成物質がわかる。
一般に太陽の起源は、水素や、またいくらかの他の元素が、自分の重力で互いを引き寄せて「ガス雲」を形成したことに始まった、と考えられています。物質の原子や分子が互いに寄り集まって、ぼんやりと集合体を形成し、「ガス雲」となっていったのです。
東大の小尾信弥博士によれば、このガス雲は自分の重力のために、さらにある程度収縮したとき、爆発的に明るく輝きだしたとしています。博士は述べています。
「密度も温度も低い(ガス雲の)外層部は、超音速度で中心に向かって落ちこんできて、すでに収縮が止まっている密度の大きな中心部分とはげしく衝突し、そのため生じたショックの波が、一気にガス雲の表面まで伝わることになる。
ショック波の通過によって、ガス雲の物質は熱せられ、表面さえ四千度近くまで熱くなり、このためガス雲は急に明るく輝き出す。そのときのガス雲の大きさは、現在の水星の軌道よりも大きく……」(『太陽系の科学』二三頁)
こうして、充分に高い温度になると、ガス雲は「急に明るく輝き出」しました。その明るさは、非常に明るいものでした。しかしその時のガス雲の大きさは、現在の太陽と比べて、はるかに大きくあり、またこの段階では、まだ水素の「核融合反応」は、行なわれていませんでした。
現在の太陽ができるより先に、光が創造された
現在の太陽は、核融合によってエネルギーを得ているわけですから、そのような意味では、光り輝くこのガス雲は、現在の太陽とは異なったものだったと言えます。それは言わば、現在の太陽の"前段階のもの"だったのです。
そしてこのガス雲は、太陽の歴史の長さに比べると非常に短い期間のうちにさらに収縮して、現在の太陽のような大きさにまでなった、とされています。そうなると、中心部は核融合反応がおこるのに充分な温度にまで、高められることになります。小尾博士は述べています。
「この収縮により、中心部はさらに熱くなり、ついに一千万度を越えるようになると、いわゆる水素の熱(核)融合反応が始まる・・・・太陽が誕生したのである」(同二三頁)。
以後、太陽は核融合のエネルギーによって、輝き続けるようになります。そしてその安定した光は、今に至るまで、私たちを照らし続けてくれているのです。このように、核融合によって絶えず輝き続けるエネルギーが与えられた時、太陽が真に誕生したと言ってよいでしょう。
神が光を創造し、後に太陽が形成されたときのことが、実際にこのようなものであったかどうかは、確証できませんが、このことは一つの有益な示唆となるでしょう。
聖書によれば、天地創造の第一日目に、地球は「形なく、むなしい」状態であったとされているので、太陽もまだそのときは「形なく、むなしい」物質の集合体にすぎなかった、と思われます。
それは現在の太陽のような形態になる前の段階のもので、水素などの原子からなるガス雲だったと考えられます。そしてもし神が、そのガス雲を充分な温度にまで高めたとすれば、ガス雲は明るく輝き出し、地上に光を供給し、すでに自転を始めていた地球に、「夕」と「朝」をつくったでしょう。これが「創造第一日」のことと思われます。
そして「第四日」に、ガス雲は現在の太陽の大きさにまで収縮し、核融合により、長い時代にわたって輝き続けることのできる天体となった、と考えることは、一つの可能な理解です。
(創造第一日目の「光」を、ビッグ・バン理論における"ビッグ・バン直後に宇宙全体を満たした光"と考える解釈もありますが、それは無理でしょう。なぜなら、聖書によれば創造第一日の「光」は、そのときすでに自転している地球に「夕」と「朝」をつくりました。したがってこの「光」は、太陽系の中心から来た光であって、宇宙全体を満たした光ではありません。)
実際、「神が天と地を創造した」(創世一・一)の「創造した」と、「神は二つの大きな光る物(太陽と月)を造られた」(創世一・一六)の「造られた」は、原語では別の言葉です。
「創造した」(創世一・一)は、ヘブル原語ではバーラーで、この言葉は決して人のわざには用いられません。神のみわざにのみ用いられています。"無から有をつくり出す"というような、神による無からの創造の意味です。
一方、「(太陽や月を)造られた」(創世一・一六)の原語はアーサーで、聖書中、神のみわざと人のわざのどちらにも用いられています。この言葉は、無から有への創造を意味することもありますが、おもには"有から有を造る"という意味で使われます。
たとえば、麦粉をこねてパンを「つくる」(創世一八・六)というようなときに、この言葉が使われています。何かの材料を用いて物を造る、というような場合に使われるのが、この言葉の一般的な用法なのです。
したがって、創造第四日に太陽が「造られた」という言葉は、"無から有を創造された"というよりも、むしろ"有から有を造られた"の意味と思われます。すでに存在していた材料を用いて、太陽が造られたのです。
太陽は、決して「第四日」に"無"の中から突然現われたのではなく、太陽のもととなった物質、あるいは原型は、すでに宇宙空間に存在していました。そして「第一日」の「光あれ」(創世一・三)の言葉とともに、それは光り出すようになり、「第四日」になって、神はそれを現在の形態の太陽に形成されたのでしょう。
こうして、地球が生命の営まれる環境になるために最も重要な役割をはたす太陽が、誕生しました。以来、地球は太陽系の一員として、太陽から豊かな恵みを受けて、今日に至っているのです。