全体についての説明と、登場人物名の史実との対応一覧は、
「序段」ページにありますよ。
切腹場です。さあ切るぞ(おい)
塩治判官(えんや はんがん)のお屋敷が舞台です。
塩治判官(えんや はんがん)は、史実の浅野内匠守(あさの たくみのかみ)にあたりますよ。
三段目で高師直(こうの もろのう、吉良上野介ですね)のイジワルに耐えかねて刀を抜いて斬りつけた塩治判官(えんや はんがん)は、、
自分の屋敷で謹慎しながら正式な処分の決定を待っています。
この時点で、作品全体の主役である大星由良之助(おおぼし ゆらのすけ)はまだ出てきません。
由良之介は「国家老」なので、判官の留守を預かって田舎の領地を仕切っており、まだ鎌倉に来ていないのです。
由良之介の息子の大星力弥(おおぼし りきや)くんがいます。齢17の美少年ですよ。
判官の奥様の顔世御前や腰元たちと一緒に、判官をなぐさめようと桜の花を生けています。
「花よりこっちのほうがきれい」みたいな浄瑠璃の文句が入ります。当時の美少年は美女より珍重されましたよ(余談)。
重臣の斧九太夫(おの くだゆう)と原郷右衛門(はら ごうえもん)もやってきて、どうなるんだろうとみんなで心配します。
というか斧九太夫は悪役なので、一人だけ心配していませんよ。金さえもらえればいいみたいなことを言います。
「斧」というのは妙な苗字ですが、「小野」だと思ってください。
幕府の処分が決まりました。使者がやってきます。二人います。
使者が二人いる場合、文楽や歌舞伎の時代物では、かならずどっちかが赤く、どっちかが白い顔です。
赤いほうがイヤなやつです。赤っ面(あかっつら)と呼ばれます。ここでは薬師寺次郎左衛門(やくしじ じろうざえもん)という人です。
白いほう、石堂右馬之丞(いしどう うまのじょう)が処分を読み上げます。
切腹です。
驚かない判官。
判官の態度に緊張感がない上に、幕府からの使者を迎えて話を聞くというのに服装も正装である裃(かみしも)じゃなく羽織姿です。
それが気に入らない薬師寺が文句を言いますが、
判官が上に着ている着物を脱ぐと、下に白い裃を着ています。
じつは覚悟はできておりますというかんじです。
あとはまあ、いくらなんでも見てればわかります。切腹です。割愛。
妻である顔世御前(かおよ ごぜん)の悲しみが痛々しいです。
見どころとしては、判官は全幅の信頼を置く、家老の大星由良之助にひと目会って、後を託してから死にたいのです。
なので由良之助が来るのを待っているのですが、なかなか来ないので困っています。
ゆっくり準備をして一生懸命時間をかせぎます。
このへんが、死にたくないからぐずぐずしているんじゃなく、由良之助を待っているだけですので、未練がましいかんじにならないように緊張感を持たせるのが難しいところでもあり、見せ場でもあると思います。
歌舞伎だといろいろ入れ事もあって、長いです。文楽だと「まだ来ないか」と力弥に一度聞くだけ。あっさりです。
まあ人間とお人形の違いです。
切腹の場面、奥さんの顔世御前は引っ込んでいて出て来ないのですが、もともとの浄瑠璃の文句だと顔世もその場にいる設定です。
今、歌舞伎でこの部分に顔世が出ないのは、この間に着替えてカツラも切り髪にして出家姿で後に出てくるからですが、
この演出を文楽でも踏襲する必要はないと思います。浄瑠璃のセリフ通りそばにいればいいじゃんと思います。
切腹終わり。
白塗りの石堂右馬之丞(いしどう うまのじょう)は切腹の検視役なのでこれで帰ります。
いい人っぽく、みんなに同情していますよ。
赤っ面の薬師寺次郎左衛門(やくしじ じろうざえもん)は家屋敷を没収、管理する役です。
なのでまだ居残ります。イヤなやつっぽく感じ悪いです。
焼香場
昔は家来が順番にお焼香をしました。その間は本物のお葬式と同じ扱いになり、客も席を立つなってくらい大事な場面だったのですが、
今は長いのでお焼香はカットです。さっさと籠に乗せてお寺に運び出しますよ。
残った家来たちで「評定場(ひょうじょうば)」になります。
公儀の決定とはいえ切腹はやりすぎだ。この上は抗議の意味も込めて屋敷に立てこもって討ち死にだ(若いモン説)、とか、
殿の財産を知行高(ちぎょうだか 給料の額です)に合わせて分配して、さっさと退去しよう(斧九太夫説)とかいろいろです。
で、由良之助がみんなをなだめて、ひとまず屋敷を明け渡して後でこっそり集まって、師直に仕返しするならそれから、と決まります。
というこの「評定場」も最近カットが多いです。
ここがないと斧九太夫はじめ、家来達のの性格がわかりにくくなるので出したほうがいいと思うんですが、
出せば寝る、出さなければ後の方イミわかんなくなるからやっぱり寝る、古典芸能は矛盾だらけですね。
最後は、もともとは屋敷を出る一行、中の薬師寺の家来たちがあざ笑う。
判官の遺体をお寺に送って戻ってきた力弥が、「やっぱり戦おう」というのをなだめて大星が屋敷の門をにらみつけて終わり、なのですが、
今は由良之助の独り舞台の事が多いです。
屋敷をはなれて歩きながら、主君の無念に思いをはせ、討ち入りとお家再興を誓うのです。
基本的に無言です。 浄瑠璃の文句と舞台上の動きが違ってしまうので、浄瑠璃もなしになります。
役者さんの底が割れてしまいがちな怖い場面ですよ。
最近は文楽もこの演出です。
文楽はだまって浄瑠璃通りやればいいと思う。格調高く。
以上です。
関係ないですが、
赤っ面の使者の薬師寺次郎左衛門公義(やくしじ じろうざえもん きんよし)ですが、
史実ではこんなガサツな人物ではありません。槍の名手ではありますが、和歌にも堪能な優雅な男です。
序段で顔世御前への恋文を投げ返された師直が
戻すさえ 手に触れたりと 思うにぞ
わが文(ふみ)ながら 捨てもおかれず
と歌を詠みますが、あ、訳は
あなたは私が贈った手紙をそのまま返して断ってきた。
そんなつれない行為でさえ、その手紙は一度あなたの手に触れたのだと思ってしまうと
自分の書いた手紙にすぎないのだが大切に思えて、捨ててしまうこともできない。
みたいなかんじですが、
高師直にこんな気の利いた教養あったはずもなく、これは太平記によれば薬師寺の歌です。
戻すさえ 手や触れけむと 思うにぞ わが文ながら うちもおかれず
折り返しこれを送られた西の台(顔世にあたる)はちょっと赤くなったらしいぞ。
また三段目に出てくる、顔世が詠んだ「さなきだに…」の歌も師直は意味がわからず、薬師寺に説明してもらったのです。
というわけで、薬師寺は高師直と彼が仲良しだったのはたしかなようですが、じっさいは人間的にはワリとマトモな風流人だったようですよ。
お芝居には全く関係ない情報ですよ。
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判官切腹の場の四方に置かれているのは、
「樒(しきみ)」です。仏前やお墓に供えるあれです。
実際の切腹のときに、これを四方に置く風習はなかったと思うのですが(少なくとも江戸期の武士の切腹の手順にはないと思います)、
「死者を弔う」雰囲気を強く感じさせる演出だと思います。
切腹直前のセリフですが、
有名な「待ちかねたわやい」のあとは、
「この九寸五分は汝(なんじ)へ形見。この短刀をもってわが存念を」
ここまで言ったところで、由良之介が
「委細承知」と全てを呑み込んだセリフを言います。
「九寸五分」は刃の長さを言います。切腹用の短刀を象徴する単語です。
ただ、もともとの浄瑠璃では、
「エエ、無念、口惜しいわやい」
しか言いません。
この短いセリフに、由良之助が「委細承知」と答えます。
まさに阿吽の呼吸というかんじで、判官と由良之助との信頼関係もより伝わってくる感じがします。
「この九寸五分は・・・」のセリフは、「委細承知」のあと、瀕死の判官の最後のセリフになり、
直後にのど笛を自分で切って死にます。
壮絶です。
このほうが、ふたりの信頼関係や判官の無念さも伝わってくるように思いますが、
やはりお芝居としてはわかりにくいのか、
歌舞伎では上記のような順番でセリフを言うことが多いように思います。
分りにくかったところが解明できました。
ありがとうございました。
が四代目幸四郎の加古川本蔵と娘小浪。
エライ評論家さんの解説だと「二段目」との事
「二段目」は「松切り」だけだと思っていた
のですが、力弥と小浪の「出会い」があった
のですね。初めて知りましたし、後の二人の
関係もよく判ります。有難うございました。
この「出会い」場、観たいもんです・・。