歌舞伎見物のお供

歌舞伎、文楽の諸作品の解説です。これ読んで見に行けば、どなたでも混乱なく見られる、はず、です。

「仮名手本忠臣蔵」おおまかな説明と「序段」解説

2013年11月07日 | 歌舞伎
全体についてのおおまかな説明と「大序(だいじょ、序段のことです)」の解説です。

「忠臣蔵」じたいは、テレビの時代劇でときどきやるので、なんとなく筋はおわかりのかたも多いんじゃないかと思いますが、
まあ、江戸時代の作品でございますので、
当時は幕府が風紀の取り締まりにうるさかったので実際の事件をそのままネタにすることができず、
表向き「太平記」の設定を使っております。
なので、歌舞伎の「仮名手本忠臣蔵」は登場人物の名前が史実とまったく違うのです。

筋はだいたい同じですが、初演は文楽です。大阪で上演されました。
もとは上方で上演するための作品ですので、江戸での刃傷とか討ち入りとかより、本筋とはあまり関係ない上方周辺でのエピソードが全体の半分ほどを占め、ストーリーの中心になっています。
なのでどこがどう忠臣蔵と関係あるのかわかりにくい場面もあります。
このへんも、予備知識なしに見ると違和感があるかもしれません。

とりあえず一応、史実(とされている元ネタ)をおさらいします。知ってるかたは飛ばしてください。

勅使下向(ちょくし げこう)の春弥生(はるやよい)。
というわけで、江戸時代は毎年春、三月になると朝廷から勅使(ちょくし)が江戸にやって来ますよ。
「勅使」というのは朝廷からの直接の命令を伝えるためにの特別な使者です。朝廷の代理人ですから迎えるほうはひたすら神経を使います。
何をしに来るかというと、
今もそうですが、江戸時代も(平安時代から)、人事異動は3月でした。
そして幕府が任命した役職にだいたい対応するようなランクの「官職」が、朝廷から与えられることになっていました。
もちろん朝廷は政治を行いませんから、官職も名前だけです。名誉職で実権はありませんが、
名前に官職がくっつくとかっこいいじゃないですか。ステイタスです。
その任命のために、毎年勅使がやってくるのです。

*参考 =名前と官職との関係=

その勅使を饗応(おもてなし)する役目が、その年は「浅野 内匠守 長矩(あさの たくみのかみ ながのり)」と「伊達 左京亮 村豊(だて さきょうのすけ むらとよ)」でした。
指導役が「吉良 上野之介 義央 (きら こうづけのすけ よしなか)」でした。
伊達さんは吉良に相応の付け届けをしたのですが、浅野さんは形式だけで少なかったのです。
浅野からの進物が少ないのに腹を立てた吉良が、いろいろと浅野を苛めます。

ついにぶち切れた浅野が、吉良に斬りつけます。江戸城のまん中、松の廊下で。朝廷のお使者も来てるときに。
伊達さんの家老、「梶川 与惣之助 頼照(かじかわ よそのすけ よりてる)」が浅野を取り押さえたために、吉良は大きな傷も負わずピンピン。
城中で狼藉を働いた罪で浅野は切腹、お家はおとりつぶしになります。
浅野家の家老は「大石 蔵之助(おおいし くらのすけ)」です。
大石をはじめとした家来達は主君の無念を思い、結託して半年後、吉良の屋敷に押し入って吉良を討ち取ります。

心情的には「敵討ち」ですが、「敵討ち」はそんな手軽なもんじゃないのです。
幕府の発行した正式な御免状のない、非公式の「敵討ち」は、ただの「私闘」ですから大罪なのです。普通なら獄門刑です。
さらに公儀(幕府)の決定した「切腹」の処罰への不服表明とも取れる行為ですので、幕府は厳罰に処したかったのです。
でも、江戸市中に浅野の浪人への同情論がまき起こったため、幕府は折衷案として彼らに「名誉ある死」である切腹を命じました。
お墓は今も、主君浅野内匠守を中心に、泉岳寺の境内に並んでいますよ。めでたしめでたし。

最近アレンジした忠臣蔵が多いからな、スタンダードなのはこんなかんじです。




これが歌舞伎だと「太平記」の設定に置き換わります。チナミに「太平記」についての知識は、あるに越したことはないですが必要ではありません。
ていうか細かい人間関係「太平記」と合ってないです。

・吉良 上野介 →高 師直(こうの もろのう)
・浅野 内匠守 →塩治 判官(えんや はんがん)
・浅野の妻、名前不詳 →顔世御前(かおよごぜん)
・大石 蔵之助 →大星 由良之助(おおぼし ゆらのすけ
・大石 力 →大星 力弥(おおぼし りきや)
・伊達 左京亮 →桃井 若狭助(もものい わかさのすけ)
・梶川 与惣兵衛 →加古川 本蔵(かこがわ ほんぞう)
みたいな。


・勅使下向の春弥生 の設定は、
足利将軍の弟、足利直義(あしかがの なおよし)が、鶴ヶ丘八幡宮が完成間近なので下向してきた、という設定に変わります。

あと、「塩治判官」(えんや はんがん)ですが、
役職名としては「ほうがん」が正しい読みなのですが、このかたの呼び名は「はんがん」です。
「ほうがん」は正式名称というか、都で音便化して定着した呼称で、東国ではそんなの知らないから「はんがん」と呼ぶのだと思います。

では、
解説です。



「序段」
「大序(だいじょ)」と呼ばれます。「大序」は浄瑠璃作品の序段部分の総称ですが、
今は「大序」と言えば「仮名手本忠臣蔵」のそれをさすのが一般的なように思います。

鶴ヶ丘八幡宮門前
最も、というか唯一、太平記らしい部分です。後の段になるにつれてなし崩しに江戸風俗になります。

出だし、目の大きい妙なお人形が舞台にいて、口上を言いますよ。セリフわからなくてもいいです。文楽由来ということでカタチが残っているだけです。
面白いので「わあい」というかんじで見てください。
チナミに今文楽では、これ、やりません。やれよ。

幕が開きます。登場人物はみんな舞台の所定の位置にすでに座っており、動かずに下を向いています。
これもお人形の演出の踏襲です。動き出す前のお人形のカタチを真似ているのです。
義太夫が「八幡宮の造営がなったので、足利直義(あしかがの ただよし)が都からやってきた。横に高師直(こうの もろのう)がいる」というような感じで登場人物を順番に紹介する文句を語り、それにつれて役者さんも順番に頭を上げて動き出します。
忠臣蔵が本当に古い古典劇であることを感じさせてくれる部分です。

とはいえ、文楽の演出を意識的に残したこういう古式ゆかしい部分もありますが、歌舞伎オリジナルの演出をどんどん取り入れた部分も「忠臣蔵」にはたくさんありますよ。明治以降の演出もたくさんあります。
さらに歌舞伎の演出が文楽に逆移入されたりもしています。

清和源氏の嫡流(ちゃくりゅう、正式な子孫)であるところの足利氏。
征夷大将軍としての権威を示すためにも、源氏の氏神である八幡様を祀るべく、大規模な鶴ヶ丘八幡宮を造営しました。今も鎌倉にあるあれです(何度か焼けていますが)。
落成したので征夷大将軍の足利尊氏は、弟の直義(ただよし)を代理に使わします。
(尊氏と直義は仲悪かったとか、直義は後に南朝に寝返ったとかの史実はスルーで)。

ところで、
直前の戦で、これも源氏の嫡流であるところの*新田義貞(にった よしさだ)が、足利勢に負けて死んでおります。
この新田義貞が使っていた兜は、後醍醐天皇にいただいた由緒正しいものなのです。
ということもあってその兜を大事にしたいと尊氏は考えています。敵とはいえ、同じ源氏の武将だし。
でも死んだときは義貞は兜かぶっていなかったので、そこらに落ちていた兜をいくつか集めて来ました。
さあ本物はどれだ、わかんないよう。

チナミにセリフによると、落ちていた兜は47個です。もちろん四十七士を意識した数字です。

というところからお話ははじまります。

ここの事情は討ち入りにはまったく関係ありませんが、この段はこの問題を中心に登場人物が延々モメていますので、
事情わからなかったら退屈なだけですよ。チェックしておいたほうが無難です。

*詳しい系図は乗せませんが、足利氏と新田氏、たしかに系図の分かれ目は同じです。
源氏中興の祖である八幡太郎義家(源 義家)、の、孫にあたる兄弟の、一方が足利、一方が新田の名字(氏と姓の違いは割愛)を名乗って、
お互い八代下ったところです。どっちも嫡流っちゃ嫡流だがな。


一番エラい人である直義が「兜を八幡宮に納めよ」と言っているのに、高師直(こうの もろのう)が文句言います。
「敵の兜じゃん」とか「どれが本物かわかんないじゃん」とか。

師直は、史実でも室町幕府の執権として実力があったひとで、武蔵守でもあります。
京都から来た、ただの将軍の代理である足利直義(あしかがの なおよし)よりも自分のほうが政治的実力は上だと思っているのです。

若い桃井若狭介(もものい わかさのすけ)くんが「それ違うじゃん」と反論しますが、師直に逆に苛められます。
無難にとりなして、直義に決めてもらおう、というのが塩治判官(えんや はんがん)。
ここでそれぞれの性格や人間関係が描かれるのです。

さて、兜を見分けさせるために塩治判官の奥さんの顔世御前(かおよごぜん)が呼ばれます。美人です。
チナミに、いまは「顔世」で定着していますが、もともとの浄瑠璃の台本では漢字表記はなく、「かおよ」と書かれています。

顔世御前は昔は後醍醐天皇に女官として使えていてました。しかも「兵庫司(ひょうごの つかさ)」の担当でした。
「兵庫」は、武器庫ですよ。もちろん実際の戦闘時に武器の出し入れを管理するのではなく、
天皇が儀式的に使う装備を顔世が管理していたのです。
というわけで、顔世は帝が義貞にあげた兜もよく見知っているのです。

兜を見分ける顔世。

ここの部分のセリフはお芝居の内容には関係ないですが、いい話なので一応書くと
後醍醐天皇は、義貞に自分の兜を下され、そのとき「蘭奢待(らんじゃたい)」という名香も添えた。
そのとき義貞が申し上げるには、
いよいよ決戦で、これで討ち死にになろうという戦になったら、この香を十分に兜に焚きしめて、それをかぶって出陣しよう。
兜が落ちて死んでも髪にこの香が香るだろう。
名香がかおる首を取ったという知らせがあったら、義貞が死んだと思ってください。
という潔い言葉が思い出される。
その蘭奢待が香る兜が、義貞のものにまちがいない。
というようなかんじです。
勇壮であると同時に宮中らしい優雅な雰囲気が伝わってきます。

この情景を語る顔世もまた、美しい容姿とともにもとは女官であった優雅さがひきたつのです。

ところで、師直は「女好き(史実)」です。
顔世に以前から言い寄ろうとしているのですが、この優雅な顔世を見てさらにムラムラしています。困ったものです。

顔世さんが見事に本物の兜を見分けたので、兜の問題決着します。一同退場します。

と思ったら師直が残っていますよ。顔世さんに言い寄りますよ。
師直がムリクリ手紙を渡しますが、顔世さんは投げ返しますよ。

表沙汰にすると夫が困るだろうし、師直を怒らせたらもっと困ったことになるし、顔世さんピンチです。
顔世さんは「ふれなば落ちん」という色気とあぶなっかさ、同時に身分の高い女性らしい凛とした気品が必要な役です。
師直も、性格の悪さや女好きな部分と同時に鎌倉幕府の重鎮としての位取りが必要な役です。
この場面が、ただの安っぽい不倫セクハラ場面になってしまってはいけないのが、難しいところです。

状況を察した桃井くんが戻ってきて助け船を出し、その場は収まりますが、師直、ますます桃井くんに苛めモードです。
ガマン限界に近い若い桃井くん。

というかんじに、人間関係とそれぞれの性格が描かれて終わります。
全体のストーリーの「前フリ」場面にあたり、大きな事件は起きません。セリフ主体なのでわかりにくいかもしれません。
というわけで詳しめに書いてみました。切り抜けてください。
慣れると味わい深いナイスな段ですよ。


=二段目に=
=全段もくじ=

=50音索引に戻る=


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5 コメント

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Unknown (ゆるゆる)
2010-02-01 12:47:46
くわしい説明ありがとうございます。
口上人形と、最初のお人形風演出が大好きでビデオでそこを繰り返しよく見ます。とてもよく凝っていて面白いなあと。歌舞伎は初心者ですが、同じ演目を何度みても面白いですね。
これからも観劇の予習復習に読ませていただきます。よろしくおねがいします。
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ありがとうございます (つむじまる)
2010-12-25 17:03:36
歌舞伎は好きなんですが、よくわからない部分が多くて……という私に、実に実にフィットした詳しく楽しい解説。心より感謝いたします!
返信する
有難う御座居ました (うめぞう)
2010-12-27 14:32:49
国立劇場12月歌舞伎公演にいってきました。
事前に詳しく勉強させていただきました。
おかげで堪能できました。
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大変参考になりました (kuro)
2016-11-20 09:41:06
忠臣蔵好きで、いつか「仮名手本忠臣蔵」を観たいと思っていました。
幸い国立劇場50周年記念で通し上演されることを知り、初めて歌舞伎の世界に触れることとなりました。
こちらで予習して臨んだお陰で、堪能することがすることが出来ました。
ってか、歌舞伎って思ってた以上に楽しいじゃん!ヤバいハマりそう~な感じです(笑)

一つだけ忠臣蔵好きには看過出来ないことがありまして…
史実の説明のところで討入が半年後になっておりますが、刃傷事件の翌年12月月命日に討入したので1年9ケ月後となります。
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有難うございます (kuro)
2016-11-20 10:59:49
肝心のお礼が抜けてました。
有難うございました。
歌舞伎に興味を持ちましたので、今後も参考にさせていただきたいと思います。
よろしくお願いします。
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