歌舞伎見物のお供

歌舞伎、文楽の諸作品の解説です。これ読んで見に行けば、どなたでも混乱なく見られる、はず、です。

「筆法伝授」 ひっぽうでんじゅ (菅原伝授手習鑑)

2010年03月04日 | 歌舞伎
「菅原伝授手習鑑」(すがわらでんじゅ てならいかがみ)一段目の後半にあたります。
「菅原伝授手習鑑」というタイトルの元になっているのも、ここです。

今は出ない、一番はじめの部分、「大序(だいじょ)」に出てきた中の、この幕を見るのに必要な情報をとりあえず書きます。

平安時代、醍醐帝(だいごてい)の時代です。醍醐帝は今は病気であまり政務が取れません。

・いいヒト、菅原道真 すがわらの みちざね。 右大臣です。
・悪いヒト、藤原時平 ふじわらの ときひら。 左大臣です。左大臣のほうがチナミに位は上です。

時平は醍醐帝の病気を利用して、自分が帝になろうという大それた野心を持っています。

「道真」はセリフでは「みちざね(さま)」ではなく「丞相様(しょうじょうさま)」「菅丞相様(かんしょうじょうさま)」と呼ばれています。
「時平」は「しへい」「しへいさま」と呼ばれます。覚えて行かないとセリフがわかりにくいと思います。チェックしておいてください。

・この段につながる設定

道真(かんしょうじょう)さまは、右大臣であると同時に、能書家でもあります。書の師匠なのです。お弟子もいます。
チナミに菅原家は、代々学者の家系です。

有名な「更級日記」の作者は「菅原孝標の女(すがわら たかすえの むすめ)」ですが、この人も「菅原家」の一族で道真の子孫にあたります。
彼女の兄も文章博士になり、道真を祀る北野天満宮に合祀されています。
余談でした。

というわけで「大序」で帝が、菅原家の書道の「秘伝の筆法」を誰かに伝承するようにと道真に伝えます。
セリフでは「すがわらけ」じゃなく「菅家(かんけ)」と言っています。筆法は「菅家筆法(かんけ ひっぽう)」と言います。
これも全段を通じて出る単語ですの覚えて行ったほうが便利です。

道真には息子の「秀才(しゅうさい)」くんがいるのですが、まだ子供なので跡継ぎにはできません。
当面、誰か弟子をみつくろって筆法を伝授するように言われます。

というのを受けて、
この段では、道真が、神聖なものである「筆法」を伝えるために精進潔斎して七日間部屋に閉じこもって斎戒(ものいみ)をしているところから始まります。

お芝居は、道真が注連縄(しめなわ)を引きまわして閉じこもっているお屋敷の、別の部屋から始まります。

道真の弟子の一人である「左中弁希世(さちゅうべん まれよ)」は、道真の筆法を受け継ぎたくて仕方ありません。
といっても書道が好きなわけではなく、地位や名誉が欲しいだけです。
というかんじに、この「希世(まれよ)」は悪役です。あまり位取りの高くない、「端敵(はがたき)」という役柄です。

今日も希世は書道の清書をこしらえて、腰元の「越路(こしじ)」に、「丞相さま(道真)に見せてくれ」と頼みます。
道真さまは潔斎中なので直接は会えないのです。

しかし道真さまは、希世の書いた字が気にいらないので毎回没にします。俗っぽい汚れた心底ではいい字は書けないという事だと思います。

しかも希世はもう一人の腰元、若い「勝野(かつの)」ちゃんを強引に口説く俗物っぷりです。最低ー。
道真の奥さまの、「園生の前(そのうのまえ)」が現れて、希世を追い払います。

ところで、道真さまには娘もいます。苅屋姫(かりやひめ)といいます。16歳です。
これが帝の弟の斎世親王(ときよ しんのう)と恋仲です。
二人が初々しく逢い引きしていたところを、悪人の藤原時平の家来に見つかってしまいました。なんとか逃げ延びたふたりは今、行方不明です。

わざとその話をして園生の前に揺さぶりをかける希世。
この事件が起きたのは数日前です。園生の前は筆法伝授に集中している道真さまのジャマをしたくないので、道真さまにはまだ何も話していません。苦しい胸の内です。

というかんじに、状況説明中心にお芝居が進んだところで、
腰元に案内されて、「武部源蔵(たけべ げんぞう)」と奥さんの「戸浪(となみ)」が入ってきます。丞相様に呼ばれたのです。
この場面の主役はこの「源蔵」になります。

源蔵は以前、道真さまの一番弟子でした。
しかし、同じくお屋敷に勤めていた戸浪さんと恋仲になって密通してしまったために破門、勘当されてしまいました。
今は浪人中なので仕事もなく、村の近所の子供を集めて、字を教えてなんとか暮らしています。
当時はパリっとしたお侍のかっこうをしていたのが、なので今はボロボロのなりです。しかも貸衣装です(セリフで「損料貸し」)と言っているのがそれです)。

妻の「戸波」さんはは一応絹の紋付着てます。
道真さまにお仕えしていた時期に買ったいい着物はみんな生活のために売ってしまったのですが、この着物は奥様にいただいた大事ものなので持っていたのです。
衣装についてはストーリーにあまり関係ない部分ですが、源蔵夫婦の心根がわかる部分なので書きました。

今も勘当中なので本当は道真さまには会えないのですが、特別な用事ということで呼ばれてやってきました。
戸浪さんは会えません、源蔵だけが案内されて奥に行きます。

みすぼらしい身なりもですが、色恋沙汰で勘当された事で師匠に合わせる顔がないと思っている源蔵。冷や汗を流しながらの対面になります。

道真が源蔵を呼んだのは、「菅家筆法」を源蔵に伝えられるかどうかを試すためです。
今も筆の道を捨ててはおらず、子供に手習いを教えていると聞いた道真は満足します。
子供に手習いを教えるというのは、社会的地位とは無縁な地味な仕事ですが、道真さまがこれを「卑しからぬ業(なりわい)」、つまり尊い仕事であると言っているのがすばらしいと思います。

道真さまは自身が精魂込めて書いた書をお手本に、源蔵に字を書いてみるように言います。
奥から出てきた希世が横槍を入れるのもあり、こんなりっぱな机や紙には書けないと遠慮する源蔵ですが、重ねて言われて、書きます。

源蔵を妬んでセコい妨害をする希世にも負けずに見事に清書を書き上げます。
↓↓一応書かれた内容書きます。わからなくてもお芝居は理解できるので、急ぐかたは飛ばしてください。↓↓

 鑽沙草只三分計 いさごをきるくさ たださんぶんばかり
 跨樹霞纔半段余 きにまたがるかすみ わずかにはんたんあまり

小石の間を割って生えてきた草は、まだ短くて三分(1cmくらい)ばかりの長さである
樹の枝のをまたぐようにかかっている霞は、まだ量も少なくてわずかに半段余り(6M弱くらい)である
これは道真さまの漢詩の一部です。

 昨日こそ 年は暮しか 春霞 春日の山に 早や立ちにけり

昨日、年が暮れたのだよ。新年がやってきたなあ(旧正月なので2月の始めから半ばくらい)。
春霞も見えるよ。年が明けたばかりでまだ寒いのだけど、春日の山の中腹に、もう春霞がたってしまっていることだよ。
これは柿本人麻呂の歌です。

どちらも早春の景色を詠んだものです。
書かれた字は、ただ整っているだけではダメで、早春のその雰囲気や、今から命が沸き出ていくような自然の力強さなども表現しなくてはなりません。

↑↑説明おわりです↑↑


字は、ちゃんと役者さんが舞台上で全部書きます。
希世にジャマされる段取りをこなしながらその部分の浄瑠璃(語り)が終わると同時に書き終わらなくてはいけないので難しいそうです。

この幕の最大の見せ場はここです。
神格化された人物である道真の、「学問の神様」らしい雰囲気を象徴的に描いている場面です。希世がバタバタ動くのでそっちに気を取られがちですが。
道真はあまり動きがないのですが、本当にたいへんな役です。

源蔵の字に道真さまは満足し、源蔵に筆法を伝授することにします。巻物がもらえます。
よろこぶ源蔵。
伝授を受けたからにはまたお弟子に戻れるのかと喜びますが、丞相さまは厳格です。
「伝授は伝授、破門は破門、さっさと出ていけ」
と、冷たいです。

そこに、朝廷からの急ぎのお使いが来ます。
今すぐ参内するように言うのです。
「菅家筆法伝授(かんけ ひっぽうでんじゅ)」の大切な時と知っていて何故? といぶかりながら、道真さまは支度のために一度引っ込みます。

奥さんの園生の前が出て来ます。
勘当を許してもらえなかった源蔵夫婦はすぐに出て行かなくてはなりません。源蔵の妻の戸波さんは道真さまに会えないままです。
せめて顔を見せてあげようと打ち掛けの陰に戸浪さんを隠して連れて来たのです。

衣装を整えて出て来た道真さま。出がけに源蔵に巻物を渡します。筆法伝授の一巻です。

出発しようとした道真さまの冠の紐が切れて落ちます。
参内した道真さまはそのまま無実の謀叛の罪を着せられて拘束されてしまうので、冠が落ちるのはその予兆なのです。

何も知らないながら不吉なものを感じる道真さまですが、園生の前がフォローして、道真さまは出発します。
これでお会いするのは最後になるかもしれません。泣きながら見送る源蔵夫婦。
ここが二番目の見どころになります。
ここも浄瑠璃(語り)が中心の見せ場なので動きが少なく、あまり面白くないかもしれませんが、
ふたりの心情や丞相さまの雰囲気を楽しんでみてください。

冠が急に落ちるという視覚に訴える演出で、実際に道真が捕まる場面を出さずに緊迫感を一瞬で盛り上げるテクニックもすばらしいと思います。

ここで、源蔵が筆法を伝授されたのをねたむ希世が、伝授されたお手本を奪い取ろうとして逆にやっつけられる面白いシーンが付きます。

源蔵夫婦はもう帰らなければなりません。泣きながらすごすごお屋敷を出るふたり。

全体に、道真さまを慕うふたりの気持ちが伝わってこないと、見ている側は感情移入しにくいお芝居ではあります。
また、道真さまはあまり出番がない上に衣装も地味で、しかも殆ど動きません。
その中で、神格化された「菅丞相」の威厳や人間的魅力を充分に見る側に伝えなくてはならないのです。
「菅原伝授」の中で道真さまが出る場面は2箇所しかないのですが、どちらも役者を選ぶ難しい舞台だと言われるのはそういう理由です。

門外に出ます。
悪人である「藤原時平(しへい)」の手下である「三善清行(みよしの きよつら)」とその手下、一応名前を書くと「荒島主税(あらしま ちから(今調べた))」が
手下を連れてやってきます。
筆法を伝授してもらえなかった、さっきの左中弁希世(さちゅうべん まれよ)も悔し紛れにと、道真に付いていても損なので、時平に付きます。

時平の言い分は、
菅丞相の娘、「苅屋姫(かりやひめ)}は、天皇の弟の「斎世親王(ときよしんのう)」と密通した上に、ふたりで逃げた。
これは、斎世親王を帝位に付け、娘の苅屋姫を后にしようとする道真の陰謀だ。謀反を企てているにちがいない。
というものです。
言いがかりですが、現に若いふたりが逃げているので言い訳ができません。

道真はすでに宮中で拘束されています。清行(きよつら)らは屋敷を封鎖しに来ました。関係者を逃がさず、あとで逮捕して取り調べて処置するためです。
ぶっちゃけ道真さまの幼い子供の「秀才(しゅうさい)」さまを殺してしまうつもりです。

これを見た源蔵夫婦は道真さまの家族を守るために一行を追い散らします。戸浪さんも戦います。強いです。
古い文楽作品に出てくる女性は、こういう強いひとが多いです。

「道真さまの命令でジャマするのか」と怒る希世を源蔵は笑います。
オマエが俺に、勘当されたんだから出て行けと言ったんだろう。自分は勘当されているから道真さまの家来ではない。
暴れているのも道真さまには関係なく勝手にやっていることだ。
うまい理屈です。

こうして清行一行を追い払った源蔵夫婦。門の戸を叩くと中にいる「梅王丸」が返事をします。
この幕は、ここまで松王丸の出番はほぼなく、急に出てきますが、あわてずにご覧ください。

示し合わせて道真の息子、秀才さまをこっそり外に逃がす二人。
あ、秀才くんはセリフでは「菅秀才さま(かんしゅうさいさま)」と言われます。

内と外での二つの忠義
みたいな浄瑠璃(語り)が入り、梅王丸はそのまま奥方の「園生の前」を守り、
源蔵夫婦は秀才さまを自分の家に引き取って守ることになります。

この秀才さまをめぐるストーリーの続きが、最も上演回数の多い「「寺子屋」(てらこや)」です。

この段はこれでおわりです。

ここは浄瑠璃(語り)が主体であまり動きがなく、舞台面も地味なのもあってあまり出ない部分ですが、
ここを一度見ておくと前後のお話を理解しやすくなると思います。
「寺子屋」だけだとわかりにくい、源蔵夫婦の人となりですが、ここを見るといろいろとと伝わってくるところもいいなと思います。


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