歌舞伎見物のお供

歌舞伎、文楽の諸作品の解説です。これ読んで見に行けば、どなたでも混乱なく見られる、はず、です。

「大商蛭子ヶ島」おおあきない ひるがこじま

2008年10月11日 | 歌舞伎
まずぜったい出ないと思いますが、書きます。

ここの途中にある一部のセリフが、先々代の三津五郎さんですら著書で「意味不明」とおっしゃっていた部分なのですが、
「こうかな?」と思った解釈があるのでそれ書きたかっただけです。
他にも、いわゆる江戸期にしか通じない慣用句が頻出してセリフがわかりにくいお芝居なので、そのへん書きます。
すでに作品解説というか難解用語集ですが、まあこういうのもいいかとー。

内容は、全段通すと頼朝の挙兵と、曽我兄弟のものがたりをくっつけた内容です。
関係ねえじゃんこのふたつ!!と一瞬思いそうですが、よく考えると曽我兄弟の仇討ちは1193年。鎌倉幕府設立の翌年ですから時代はぴったり合ってます。
挙兵直前まで頼朝が幽閉されていたのは伊豆のへんですから、まさに地理的にも、曽我兄弟の父親をめぐるトラブルの舞台と一致します。
当時(平安末期)の関東地方の有力豪族たちにとっては、父の仇を付け狙ってウロウロする曽我兄弟も、いつ挙兵するかわからない「時限爆弾」頼朝も、
非常に重要な、というか、めんどくさい政治的案件であったことはたしかです。

で、今は前半の大部分を占める曽我兄弟に関する部分はまったく出ず、頼朝に関する最後の世話場だけ出ます。

「幸左衛門内(こうざえもん うち)」と呼ばれる幕です。

源頼朝は伊豆に流されて幽閉されていたわけですが、
都からの密使、文覚上人(もんがくしょうにん)に勅宣(ちょくせん)を渡されて挙兵を決意します。
という場面をモチーフにしているのですが、
登場人物それぞれがありえない設定に化けて出てくるのがあまりにわかりにくいので、今は上演されないのだと思います。
状況を理解して見られれば、楽しいお芝居だと思います。

ここまでの流れで、主人公の源頼朝は、
土地の有力者、「伊藤入道祐親(いとうにゅうどう すけちか)」の娘の「辰姫(たつひめ)」と駆け落ちして逃げています。 
「伊藤入道」は曽我兄弟のおじいさんにあたりますが、このへんは今回は関係ないのでスルーでいいです。

というかんじに、頼朝は今の時点ではただの「地域の問題児」です。
平家に歯向かうとかやる気あるのか!? 関係者はヤキモキです。
以上が初期設定です。

舞台は雪の降る伊豆の田舎の村のとある家です。 手習い指南所になっており、若いムスメたちが手習いしています。
主人の「幸左衛門(こうざえもん)」は留守です。

キレイなお姉さんがふたり出て来ます。
妹の「おます」ちゃんのほうが入門希望なのですが、ここの奥さんの「おふじ」さんは非常にやきもち焼きです。
こんな「ワケあり」そうなキレイなムスメの弟子は取らないと言って追い返します。

ここで「お女中」「女中さん」という言葉が出て来ますが、
これは現代的な意味での「お手伝いさん」のことではありません。
当時の「女中」というのは、
武家屋敷に勤めて、奥様やお嬢様の身の回りの世話やお相手をする、「奥女中」「御殿女中」を指します。
平安時代で言うと「女房」にあたる仕事ですので、社会的地位は高いです。

いちおう「女性一般」をあらわす意味もあるのですが、「奥女中」の意味もあるので、
基本的に、そのへんの庶民のおねえちゃんを「お女中」と呼ぶことはないです。
身なりのしっかりした、未婚の女性に呼びかけるときの用語が「お女中」です。
「旦那」「大将」なんかと同じ、一種の敬称と思っていいです。

チナミに、これらの「御殿女中」の下にいて雑用をするのが、「腰元」です。
現代的な言葉の感覚だと「腰元」のほうが「女中」よりえらいように思えますが、
昔の「お女中」は今とかなり意味が違うということです。
「お女中」はいろいろなお芝居に出てくる言葉なので覚えておくといいと思います。

おふじさんが失礼なので怒って妹を連れて帰るお姉さんですが、途中で主人の「幸左衛門(こうざえもん)」に出会います。
幸左衛門に「なんとかするから」と言われて近くの藪に隠れます。

おうちに帰った幸左衛門、奥さんのおふじさんは鬼のようにヤキモチ妬くのですが、
なにしろ手習いに来ているムスメたちを片っ端から奥さんの目の前で口説くのですからそら、奥さん怒ります。

ここで「お半ちゃん」「お染ちゃん」という名前が出て来ますが、
それぞれ「桂川連理柵(かつらがわ れんりのしがらみ)」「新版歌祭文(しんぱん うたざいもん)」の主人公です。
お半は伊勢参りの帰りに長右衛門と恋仲になり、お染は使用人の久松と恋仲になります。どちらもお芝居の人気演目です。
ここではこの内容になぞらえて幸左衛門が女の子を口説きます。
怒り狂うおふじさん。

なだめる下男の六助が「あまりご政道(ごせいどう)なさらぬが」と言いますが、
この「政道する」は、「政治をする」という意味ですが、
だいたい政治というものは何かを「禁止する」ものですので、「禁止する」という意味です。
というかんじで、「何でもかんでもダメダメ言わないほうが」くらいのニュアンスです。

ムスメたちが帰り、幸左衛門がおふじさんをなだめているところに、こじき坊主が登場します。
「地獄谷の清左衛門(せいざえもん)」という恐ろしげな名前です。
雪が降っているので今晩泊めてくれと言います。

最初、幸左衛門が「通らっしゃい(とおらっしゃい)」と言うのは、「通り過ぎてくれ」→どこかよそに行ってくれ という意味です。

いろいろあって、とりあえず中に入れてもらえる幸左衛門。 
というか登場人物が「幸左衛門」と「清左衛門」なのでわかりにくいです(笑)。

この時点でお互いが、お互いの正体(源頼朝VS文覚上人)に気付いていますが、知らんぷりで話が進みます。

ごはんが出ます。
折りよくその日は幸左衛門さんのお宅は「精進日(しょうじんび)」だったので、お坊さんにふさわしい精進料理が出ます。
「精進日」は、身内の命日だったり、宗派によって変わったりするのでおうちによって違います。

ここで献立を描写するセリフがあります。
「汁(しる)」というのは汁物です。「平(ひら)」というのは平皿に乗ったメインのおかず、
あと、ごはんと漬物で基本の宿屋の晩御飯のセットです。
「平」がお魚や肉だと豪華ですが、とうふや油揚げだと悲しいです。
今回は「精進料理」なので「平」は油揚げです。

清左衛門が「精進酒(しょうじんざけ)は飲んだことがない」と言います。
「精進酒を飲まない」というのは、味の薄い精進料理で酒飲んでもおいしくないから飲まない、という意味だと思います。
清左衛門はナマグサ坊主なので肉類がほしいのです。

ここで「酒より菩薩をいただきましょう」と言います。
「菩薩」はこまかい定義は割愛しますが、ここではお釈迦さまのことを言っています。
さて、白いごはんを「シャリ」と言いますが、これは「仏舎利」から来ています。
「仏舎利(ぶっしゃり)」はお釈迦さまの骨です。全世界あちこちの仏教圏に分骨されています。日本にもありますよ。
これが細かい白いものなので、形が似ているのでお米を「しゃり」と言うのです。

というわけで、ここで「菩薩」と言っているのは「ごはん」のことです。
あと、一応お寺ではお酒も禁止ですから、酒のことを「般若湯(はんにゃとう)」と隠語で言います。
「般若」と対になるのが「菩薩」ですから、
「酒(般若)じゃなく、菩薩(ごはん)」となるのだと思います。


というわけで幸左衛門、なまぐさい物が食べたいのならと、作っていたふぐ汁を出します。

ここで、問題の「意味わからないセリフ」になります。

「こりゃ鉄砲かえ ありがとうごんすわえ
ふぐ汁や 意見しに来て 食っていく
番頭一文(いちもん)やらっしゃい
これで一杯のみましょうか」

です。

「鉄砲」は「ふぐ」の別名ですからいいですが、まあ頼朝の時代に種子島はないですが、気にしてはいけません。
問題になるのは「番頭一文やらっしゃい」の部分の前後とのつながりですよ。

とりあえず、
「こりゃ鉄砲(ふぐ)かえ」と「これで一杯飲みましょう」
このふたつはつながります。ので、中の2行は挿入文だと思います。
「ふぐ汁や…」の部分は川柳です。「ふぐ」に反応したいかにも挿入的な、ギャグと受け取って問題ないと思います。
で、
「番頭一文やらっしゃい」ですが、
そもそもこの場面に番頭がいません。番頭的位置づけなのは、下男の六助さんですが、いちいち「番頭」と呼ぶ理由がないですし、
呼び捨ても変です。「一文」もわかりません。
そもそも誰が誰に「一文」やるのか。

ワタクシ、このセリフだけ抜き出して意味考えました。
まず、「やらっしゃい」というエラソウな口調からして、これを言っているのは、
お店(おたな)のご主人だと思います。「番頭さん」に命令できるのはお店の主人だけだからです。
ご主人が、番頭さんに「一文やれ」と命令している場面だとしっくり来ます。

では誰に「一文」やるのか。
「一文」は10円程度のお金ですから、取引のお金ではないです。そもそも「やれ」と乱暴に言ってるし。

おそらく店先のものもらいや門付け芸人などにくれてやる額だろうと思います。
「(あいつを)一文やって追い払え」だとセリフの雰囲気として通りがいいです。
さらに、この口調からしてけっこう機嫌悪そうです。

そこで前の「ふぐ汁や…」のギャグを考えました。
面白くないというか、空気読んでない、周りが笑わないギャグだと思います(笑)。
このギャグに対して、自分で
「こんなつまらん事言うやつは一文やって追い払え」と突っ込みいれているのではないでしょうか。

さらに考えると、当時の立地のいい大きなお店の前には、何人もの門付け芸人が群がっていたと思うのです。お店の前は人が多いですから。
お店の側も、面白い人気のある芸人なら集客になるから、そのまま芸をさせていたと思います。
今で言うと、芸人がテレビ番組で、お店はスポンサーです。
しかし、つまらない、下手な芸人は、ジャマですから「一文やって」追い返していたのではないかと思うのです。
なので、「番頭一文やらっしゃい」という言い回しは、
「君のギャグつまらないから没」とか「あ、キミ来週から仕事ないから」みたいなニュアンスで
一般的にチマタで使われていたのではないかと想像します。

と考えると、

おお、汁はふぐか、 (ふぐ汁発見)
ふぐ汁や 意見しに来て 食っていく (挿入句のギャグ)
番頭一文(いちもん)やらっしゃい (ギャグへのツッコミ)
これで一杯のみましょう (一行目を受ける)

というように首尾一貫すると思います。

…どうでもいいですか、どうでもいいですね。本筋関係ねえし。すみません。
発見したとき嬉しかったので書いてみました。

さらにわかりにくいセリフが続き、
「ふぐは鉄砲と言うが、ふぐで当たって死んでもうまい物食って死ぬなら本望だ」みたいなセリフのあと、

「鉄砲といえば、風呂じゃ人のよく死ぬやつさ」

わかりにくいです。

鉄砲風呂というのがあるのです。
五右衛門風呂はご存知かと思いますが、あの風呂桶の中に、縦に銅のパイプを通すのです。
風呂桶の下で火を炊くのは案外と燃焼効率が悪いのですが、
こうやってパイプを通して空気逃してやるとよく燃える、というものです。実物は見たことないや。
まあとにかく、「鉄砲風呂」というのがあることから、「鉄砲」から「風呂」を連想しているわけです。

チナミにお風呂マメ知識ですが、この時代の風呂描写でよく「水風呂」という単語が出て来ますが、
これは「すいふろ」と読みます。「すえふろ=据え風呂(居風呂とも書く)」の訛りです。
銭湯の大きい風呂にたいして、個人宅や宿屋の小さい風呂をいいますよ。「みずぶろ」ではないです。

で、なぜ風呂でよく人が死ぬかといいますと、頼朝の父親の源義朝(みなもとの よしとも)は平治の乱で負けて死んだのですが、
逃げている途中でお風呂で殺されたからです。
つまり「風呂で死んだ」と言うセリフ=義朝の話なのです。

このセリフを言いながら坊主の清左衛門が、どくろをとり出します。
死んで四条河原でさらし首になった義朝の頭蓋骨です。
義朝の首が骸骨になるまでさらされていたのは史実らしく、お芝居でもよくネタになっています。

幸左衛門は「ワタクシ頼朝じゃありません」という顔をしているので、
父親の頭蓋骨を見ても、いろいろ怪奇現象もおきますが、ここでは大きく反応はしませんよ。

ここで前段からの流れを受けて、辰姫を奪って逃げた頼朝を探す役人が来てあれこあります。
ここの筋には関係ないので省略します。

いちど全員退場です。

さて、さきほどのお姉さんふたりが下男の六助に招かれて家に入ります。
どうしても幸左衛門に会いたいふたり、奥さんのおふじに見つからないように行灯を消して暗闇で会うことにします。
問題解決になるのかビミョウですが、お芝居なので深く考えないでください。

そして、歌舞伎のお約束で、暗闇だと絶対に誰かをほかの人と取り違えます。
なので幸左衛門だと思い込んで、さきほどのこじき坊主の清左衛門に自分たちの正体を明かします。

姉のほうが、じつは、死んだ源義朝の家来の娘の清滝姫(きよたきひめ)。
妹のほうは、じつは北条時政の娘の「北条政子(ほうじょう まさこ)」です。後の頼朝の奥さんです。

政子は父親に言われて「必要なときは力を貸すから」という証拠の、北条の宝である「三鱗(みつうろこ)」を持ってきています。
これを間違えて清左衛門に渡します。
北条の家紋は「三つ鱗」ですが、これは江ノ島弁才天から「三つの鱗」をもらったかららしいです。

とかいろいろあって、間違いに気付いてあわてたりして、
清左衛門坊主は頼朝がフラフラしていて蜂起する気もなさそうでむかつくみたいな悪口をさんざん言って、
ドクロと三つ鱗を幸左衛門に投げつけます。
ここで「すんでのところで台座後光を見るところを」と言います。
これは、もとは「台座後光をしまう」という言い回しです。
仏像が、台座と後光を失うとかなりみすぼらしいところから、面目を失う、さらに命を失う、という意味です。
「台座後光をしまう目をみるところを」が短くなって、「台座後光を見るところを」になったと思われます。

このあと、おくさんのおふじさん、実ハ辰姫は、非常に嫉妬深い性格なのですが、
夫のため、夫と北条の協力関係のためにぐっと耐えて自分は身を引き、政子と祝言することに同意するという急展開になります。

というわけで現行上演(出ないけど)の見せ場は、
愛しい夫がすぐそばで他の女と新枕(にいまくら)。必死で耐えるけど嫉妬と屈辱で気が狂いそうな辰姫の、心情描写です。
ここで流れる長唄の「黒髪(くろかみ)」はわりと有名で、所作(踊りね)や日舞にも使われます。

あと、長唄の文句に入っている

あらたまの 年の三年(みとせ)を 待ちわびて
ただ今宵こそ 新枕すれ

のセリフとか、
嫉妬に狂った辰姫の胸の熱で手水鉢の水が燃えたりとか、は、
古典の「伊勢物語」をそれぞれ素材としています。

ですが、歌のほうは本当は
「あなたが3年も来てくれないから、ついに待ちきれなくて今日初めて、他の男と結婚してしまったのに
(あなたを本当は愛しているのに)…。」みたいな意味です。
そして嫉妬の熱で水がお湯になるのは、同じ「井筒」の話でも「大和物語」のほうで、「伊勢物語」にはないエピソードです。
まあだいたい「伊勢」っぽい雰囲気でというかんじでご覧ください。


辰姫の狂おしい場面がいろいろあって、ここで先ほど頼朝を探しにきたお侍が出ますが、
ここも前段との兼ね合いなのであまり気にしなくていいです。

坊主の清左衛門が出てきて、「九字真言(くじ しんごん)」を唱えて数珠で辰姫を打つと、辰姫の嫉妬心は消えます。
辰姫は北条に援軍を頼むお使いに出発します。
「九字真言」というのは、山伏(やまぶし)が唱える文句で、もとはお経の一部です。非常に呪術効果が高いとされています。

あとは下男の六助がじつは敵のスパイで殺されたり、
清左衛門(文覚上人(もんがくしょうにん))と幸左衛門(頼朝」の見あらわしがあって、
文覚上人が、平家追討を命じた後白河院の院宣を頼朝に渡します。

これを渡しても大丈夫か、ずっと様子を見ていたのです。

ていうか、じっさいに史実で文覚上人が頼朝に渡したのは、以仁王(もちひとおう、後白河院の息子)の令旨(りょうじ)です。いいけど。

というわけで、
平家方の軍勢があちこちから攻めてきたり、北条の援軍が来たりします。
そんなこんなで幕です。

タイトルの「蛭子ヶ島」ですが、
このまま読むと「ひるこがしま」か「えびすがしま」になりそうですが、
「ひるがこじま」と読みます。
もともと、頼朝が流されたのは「蛭ヶ島(ひるがしま)」です。
これは川の中州にあり、「大蛭島」「小蛭島」「和田島」があったようです。
この「小蛭島」が「蛭ヶ小島」→「ひるがこじま」→「蛭子ヶ島」となったのかなと想像してみます。

延々と書きましたがしつこいですがまず出ません。 
江戸歌舞伎用語集、定番演出集という事でよろしくです。


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2 コメント

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Unknown (名無し)
2014-02-15 21:34:59
半世紀以上前に歌右衛門が辰姫を演じていた
写真を見たことがあります。相手は先代の幸四郎だったかと思います。
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分かりやすい面白い (masa)
2017-02-14 23:03:14
今月、歌舞伎座に「大商蛭子ヶ島」が掛かってます。見たことがないので検索したらこのサイトが出て、ここまで読んで面白そうなので観たくなりました。
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