歌舞伎見物のお供

歌舞伎、文楽の諸作品の解説です。これ読んで見に行けば、どなたでも混乱なく見られる、はず、です。

「紅葉狩」 もみじがり

2012年01月31日 | 歌舞伎
「鬼揃紅葉狩(おにぞろえ もみじがり)」というのもあります。昭和に入ってからの新作です。
内容はあまり変わらないので一緒に書きます。
大きな違いは、「鬼揃」のほうは更級姫の侍女たちもみんな鬼になって、鬼がたくさん出るという点です。サービス月間です。

所作(踊りね)です。
能の「紅葉狩」がベースになっており、いわゆる松羽目ものと呼ばれる、能由来の作品群のひとつです。
能舞台風にしつらえた一面白木の羽目板の床の後ろに、能舞台を模して大きい松の木の絵が描いてあるセットの様子から、
「松羽目もの」と呼ばれます。

江戸時代、能や狂言は歌舞伎で真似してはいけなかったので、これらが作れれたのは明治以降です。
これも明治以降の「新作歌舞伎」になります。

信州戸隠村(しんしゅう とがくしむら)に鬼が出るというので、天皇が追討命令を出します。
東国の荒武者、「平惟茂(たいらのこれもち)」が、荒々しい家来たちを引き連れて鬼退治に出かけます。

違った。ごめん。史実の「惟茂」のイメージだとこんなかんじですが、お芝居だと全然キャラが違います。
以下、ちゃんと書きます(最初から書け)。

優雅な大宮びとの「平惟茂(たいらの これもち)」、秋の紅葉の美しさを楽しむために従者を連れて信州の山に出かけます。
紅葉を愛でているとりっぱな幕がはりめぐらされています。
昔はお金持ちは周囲に幕を張って仮のお座敷みたいにして、その中でお花見や紅葉見物をしたのです。
従者がどこのどなたか聞きに行きますが、中の人は「お忍びなので」と言って名乗りません。
女ばっかりです。

邪魔したらいかんだろうと、よけて通ることにした惟茂です。やさしいです。

しかし幕からお付きの侍女が出てきて引き止めます。
惟茂さまなら都で有名だ。ぜひ一緒に紅葉を見たいと言うのです。
女子会に男が乱入はよくありません。断る惟茂ですが、お姫様も出てきて色っぽい踊りで口説きます。

負けて宴席に加わることにする惟茂。
お姫様たちも幕から出てきて外に敷物をしき、酒宴がはじまります。

姫君と惟茂は優雅に酒を酌み交わしたり、従者や姫君が舞を舞ったりします。
うとうとする惟茂、
お姫様は惟茂に近寄ろうとしますが、危険を感じたのかやめます。
そのまま侍女たちとともに幕の中に消えます。

眠る惟茂の前に山の神が現れて、「あの女はじつは鬼だから気を付けろ」と教えます。
ここの「(人を)むしゃりむしゃりと骨までも(食う)」という言い回しが古風で怖くて好きです。
山の神は「どんどん」と足踏みをしてにぎやかな踊りを踊って惟茂を起こそうとするのですが、
惟茂が目を覚ましません。
すごくいいお酒を飲んだのですっかり酔っ払ってしまったのです。
あきらめて退場する神様。

この「山の神」は「八幡宮のお使い」ということになっているのですが、
源氏の守護神である八幡さまがなぜ平氏である惟茂を助けに来るのかよくわかりません。

目を覚ました惟茂。
さっきの神様の言葉は、しかし夢の中で聞こえていました。

さてはあれは鬼であったかと気づく惟茂。正体を見てやろうと幕の中に入っていきます。

正体をあらわした鬼と惟茂との戦いになります。
惟茂は「子烏丸(こがらすまる)」という名刀を持っており、その神通力が更科姫を悩ませます。
ふたりははげしく斬り結びます。

終わりです。

唄の文句では、惟茂が鬼をやっつけたことになっていますが、
舞台上では戦いながらの見得でおわります。


前半のみどころはお姫様の舞と惟茂の優雅な感じ、
後半のみどころは殺陣仕立ての所作(踊り)です。
あと、山の神の踊りはたいへんかっこいい振り付けなので有名です。

というかんじでストーリーはわりと単純です。セリフ聞き取れなくても楽しめますし、衣装や景色がきれいです。
後半の鬼が怖いのも迫力があっておもしろいと思います。
わかりやすく楽しめるかと思います。

原型になるのは能の「紅葉狩」です。
ストーリーはほぼ同じですが、山の神は出ず、全体に短いです。
能の文句は一部取り入れられている程度です。

能の雰囲気を崩さずに華やかな歌舞伎らしい作品に仕立てなおされた名品です。
書いたのは「河竹黙阿弥(かわたけ もくあみ)」です。「弁天小僧」とか書いたかたです。
このかたの教養レベルと芸域の広さは我々の想像を超えています。


「鬼揃(おにぞろえ)」バージョンですと、侍女たちも鬼に変身し、鬼がたくさん出ます。
あと、「山の神の踊り」が出ないことがあります。
八幡様のお使いが数人出て違う踊りをします(新しい作品なのでその都度変るかもしれません)。

ほかに違う点としては、「鬼揃」では「大薩摩(おおざつま)」というのが出ます。
「大薩摩」は浄瑠璃のひとつのジャンルですが、独特の演出様式を持ちます。かっこいいです。
お芝居のはじまりや場面転換の直後に使います。

まず、浅黄色の幕で舞台が隠されています。
幕の横からお弟子さん登場、小さい台を置いて去ります。
大薩摩の太夫さんと三味線の太夫さん登場。
三味線の太夫さんが台に片足を乗せて姿勢を整え、三味線を構えます。
三味線は座って弾くものですので、立って弾くには足をのせる台がいるのです。
唄の太夫さんは手に唄本を持っています。

大薩摩がはじまります。
「大薩摩」の演出は、景色を隠した状態で、直後に舞台に出てくる情景の美しさを唄い上げるというものです。
華麗なレトリックを駆使した流麗な文句です。
この作品だと惟茂の説明と、戸隠山の美しい情景の描写をしています。
唄の文句聞き取れないかたはあきらめて声を楽しんでください。

途中に三味線の早弾きがあります。これもお約束です。かっこいいです。拍手しましょう。

唄が終わったら浅葱幕が振り落とされて、唄の文句の通りの絶景があらわれます。
唄でさんざん期待を煽っておいて、舞台の景色を見せるのですから舞台のほうのハードルは高いです。
逆に、想像以上のみごとな舞台面ですと大歓声がおこります。
そこはもちろん舞台の景色に自信がないとこの演出はやりません。
という楽しい趣向なのですが、唄の文句聞き取れないと(略)。

最近菊五郎さん演出の「児雷也」で、わざわざ大薩摩を使い、それはいいのですが、
はじめから太夫さんたちが舞台に出て準備していて、イキナリ唄い出す、という演出でした。
興ざめ。あれならやらなければいいと思いました。あの古式ゆかしい段取りの悪さがいいのに!!
台持ってきて準備するのを待つのがイヤだろうだろうというムダな心遣いは、
歌舞伎見るのまだるっこしくてイヤだろう、といってるのに近いと思いました。
ならもう、歌舞伎やらなきゃいいのに(そこまで言うのか)。


↓さて、ここからはお芝居に直接関係ねえトピックスなので、お芝居の内容が分かればいい方には必要ありませんよ。↓

主人公の「平惟茂(たいらの これもち)」は、舞台では紫地に花の丸の優雅な狩衣姿で
大宮人のみやびさを体現していますが、
史実ではぜんぜんこんなのじゃありません。
そもそも彼は都の人ではなく、東北でとても勢力のあった典型的な荒くれ坂東武者です。

『今昔物語』に彼がやらかした壮絶なけんか(というか戦)の様子が出ています。

ご近所の豪族の「沢股四郎(さわまた しろう)」と土地争いでモメていたのですが、
ある日不意打ちで館に攻め込まれた惟茂、
なんとか裏の沼に隠れて難をのがれ、すぐさま怒り狂って反撃です。
もちろん優雅な狩衣姿なんかじゃなく、巨大な葦毛の馬に乗って、鹿の毛皮のすね当て(ていうかズボン)を履いて、
大きな弓と矢と太刀を持った戦闘体勢。
うしろに続くのは屈強の部下たち。
『今昔物語』の他の話に描写があります。「大柄で太っていて髭の長い、50すぎの怖そうな男」とかそういうのがぞろぞろ。
沢股四郎は、結局自分の屋敷に帰り付く前に、お昼ごろには追い付かれて首を斬られ、
さらに彼の屋敷も焼かれて一族郎党の男は皆殺しになりました。

近くに「橘好則(たちばなの これのり)」という人が住んでいて沢又四郎の舅にあたる人なのですが、
「維茂を打ち取った」と自慢する沢股四郎に、
「彼の首を切り落として馬の鞍にぶらさげるまでは安心してはいけない」と言って門を開けなかったのです。
このエピソードが維茂の怖さをリアルに物語っていると思います。

というわけで、ワタクシに言わせれば、より鬼に近いのは、
鬼女より平維茂のほうです。

もちろん、『紅葉狩り』(というか実際は朝廷の命令で『鬼女狩り』に行ったわけだろうし)に行くときだって、
こんな優雅な服装でこぎれいなお供を連れていたわけがなく、
↑のようないかめしい、というか荒々しいスタイルのご一行様だったでしょうね。ああ怖い。
さわらぬ神(鬼)に崇りなし。

この「紅葉狩」の主役は更級姫→鬼女ですが、まあ能でも鬼女が「シテ」ですが、
江戸初期の芝居小屋の外観の絵で、看板に「平維茂 千草の花見(たいらのこれもち ちぐさのはなみ)」と書いてあるのがあります。
おそらく維茂がお花見に行って鬼を退治するお芝居だろうと思います。
昔のお芝居では「維茂」が主役で、「戸隠山の鬼女」はまあ、どこの山の鬼でもよかったのかもしれません。

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1 コメント

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能「紅葉狩」の山神について (吉見正志)
2022-10-31 22:05:00
能「紅葉狩」に山神は間狂言の形で登場します。謡本にも書かれています。
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