歌舞伎見物のお供

歌舞伎、文楽の諸作品の解説です。これ読んで見に行けば、どなたでも混乱なく見られる、はず、です。

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「身替座禅」 みがわり ざぜん

2011年06月04日 | 歌舞伎

「松羽目もの」です。
「松羽目もの」というのは能や狂言由来の作品を指します。
能舞台風にしつらえた一面白木の羽目板の床の後ろに、能舞台を模して大きい松の木の絵が描いてあるセットの様子から、「松羽目もの」と呼ばれます。


昔から能や狂言はお大名が見る物でしたから
(今、能狂言が国の保護下にあるのは衰退して採算合わなくなったからではなく、はじめからあれは「パトロンあってのもの」なのです)、
江戸時代、能や狂言は歌舞伎で真似してはいけませんでした(オモテ向き)。
というわけで、「松羽目もの」と聞くといかにも、古くさい印象ですが、その殆どが、作品としては明治以降のものです。例外は、江戸後期に作られた「勧進帳」です。
この作品も明治末期の初演です。原型は能の「花子」です。

ストーリーはわかりやすいので普通に見てれば大丈夫ですが、一応細かいことを書いておきます。

主人公は「山陰右京(やまかげ うきょう)」。
京都に住んでいる「お殿様」です。
設定は「大名」です。
江戸時代の「大名」ではなく、鎌倉室町期の「大名」ですので、地方豪族のようなものです。
都の大きなお屋敷に住んでいますし、平安貴族のイメージを重ねてご覧になったほうがわかりやすいかもしれません。

さて山陰右京は、以前旅先でキレイなお姉さん(遊女)と仲良くなりました。
「花子(はなご)」さんといいます。
「花子(はなご)」というのは、個人名ですが、遊女全般をあらわす隠語でもあります。

最近花子さんが上京してきました。しばらくこちらに滞在するらしく、「会いたい」と手紙をくれたのです。
すぐにでも会いにいきたい右京なのですが、奥さんがヤキモチ焼きなのです。
「出かけちゃダメ」というので、会いに行けません。

ところで、奥さんはストレートに「ひと晩でもそばにいられないのはさびしいから出かけちゃイヤ」と言っているのですが、
これってヤキモチですか?愛だよな、かわいいよな。
ただ、一般にこの奥さんの役が「立役」から出ますので、見かけからしてすでに怖いのです。やっぱりイヤかもしれません。
ていうかありがちなのですが、お殿様の右京よりごつくてでかいです。怖いよ。

考えた右京、「仏様にお祈りするので持仏道(じぶつどう)にこもる」と言い出します。
「ジブツドウ」とイキナリ台詞で聞くと意味わからないと思います。
「持仏堂」はつまり 「マイお寺」です。個人宅にお堂を作って「マイ仏像=持仏」を置いたものです。
お金持ちにしかできません。後生の願いも金次第。

この作品の舞台は京都の郊外の広い寝殿作りのお屋敷です。その広い庭に、母屋とは離して「持仏堂」を作ってあるのです。
そこにこもって座禅する、というわけです。
まあ同じ家の敷地内だし、ひと晩なら、としぶしぶオッケーする奥さん。

右京の作戦はというと、
まず、家来の「太郎冠者」(たろうかじゃ)を呼びます。
「かじゃ」というのは元服して帽子をかぶった男のことです。男性一般をさすことから普通に名前の一部として使われます。
細かくいうといろいろな意味があるのですがここでは関係ないので割愛します。
能狂言に出てくる家来はみんな「太郎冠者」「次郎冠者」です。「太郎さん」「次郎さん」程度の意味です。

さて、右京は太郎冠者に、自分の代わりに持仏堂で座禅をするように命令します。
母屋から持仏堂まではちょっと遠いですし、「入ってくるな」と言ってあるので奥さんは来ないはず。
別人でもわからないだろうという作戦です。

ここで「ふすまをかぶっていればわからない」と言いますが、
この「ふすま(衾)」は、建具の「ふすま(襖)」ではなく「おふとん」のことです。
しかも昔のおふとんは「かいまきふとん」だったので袖付きです。
綿が入った大きめの長いどてらを想像していただくと、わかりやすいです。

というわけで、こっそり抜け出して愛人のところに行く「山陰右京」。
ドキドキしながら「身替りに座禅」する太郎冠者。

でも奥さんにバレます。あっさり。
ひとりで寝ないで座禅する右京を心配した奥さんが、差し入れを持ってきたのです。妻の愛をナメたらいかんです。
ごまかそうと必死でがんばった太郎冠者ですが、やはりバレます。

怒り狂った奥さんは太郎冠者を追い払い、自分が「ふすま」をかぶって、右京を待ちます。ぎゃああ!!

右京が戻ってきます。
花子との楽しい時間の余韻にひたりながら花道をあるいて来るところは有名な場面で、
この作品全体はコミカルなもので、右京も浮気者の悪い夫として描かれますが、
この場面だけは、ふっと男の色気を見せる、優雅な場面です。

浮気は悪いことではあるのですが、男のロマンでもあるのです。
歌舞伎は、もちろん昔から女性ファンもたくさんいたのですが、もともと客の主流は男性でした。
いまは客層のメインが女性になっていますので、
この作品を見るスタンスも180度変わってきています。
花子への愛情や楽しかった時間の余韻の部分は共感されにくくなっています。

帰ってきた右京は太郎冠者が奥さんに入れ替わっているのに気付かず(大きさ違うのでふつう気付きます)、
太郎冠者(じつは奥さん)相手にノロケ話をはじめます。奥さんの悪口も言いまくりです。

オチは、まあ説明するまでもなく。

・・・おわりです。

この作品の見せ場は、というわけで、最後のドタバタや太郎冠者と奥さんとのやりとりではなく、
山陰右京が一人芝居で花子との楽しいやりとりを語るところです。
花子は「遊女」ですが、昔の「遊女」は今の売春婦やホステスさんよりずっとステイタスが高く、教養もあったのです。
なので、ふたりはただエッチしただけでなくて、風情のある会話を交わしながら愛のこもった楽しい時間を過ごしたのです。
そういう、昔風の細やかな愛情のやりとりも味わっていただけるとより楽しいかと思います。
右京も、ただの浮気もののダメ夫ではなく、
相応に教養もあり、かっこいいところもある役なのです。

奥さんは、愛はあるけど繊細さと風情に欠けるので嫌われてしまうのです。かわいそうですが。

というわけで「松羽目もの」は、セットが何もないので、
「どういう場所で何やっているのか」をあるていど把握していかないとわかりにくいかもしれません。
今の前衛劇の何もない舞台は「想像させる」のが目的ですが、
松羽目ものの「何もない」のは「知ってるはずだから省略」ですからハードルが高いです。



以下豆知識です。↓

ふとんの「フスマ」(変換しない、ムリに出しても多分ウエブだと出ない)と建具の「ふすま(襖)」
音は同じですがそもそも語源が違うようです。漢字も違うし。
昔は建具は木戸と格子戸しかなく、そこに紙を貼ったものができたとき、四角い白いカタチが「ふすま(=ふとん)」に似ていたのでこれを「ふすま」と呼ぶようになった、という説がありますが、
「近世風俗誌」にもたしか出ているのでもっともらしいですが、
違うようです。

そういえば、平安期の本で「障子」と書いてあったら、それが今の「襖」です。だから何と言われると困りますが、マメ知識(笑)。

あと、関係ないのですが、江戸時代は能狂言は舞台化できなかったといいつつ、
『祇園祭礼信仰記』という文楽原作のお芝居があります。
今は『金閣寺』という段しか出ませんが、
この後ろのほうの歌舞伎では絶対に出ない段に、『身替座禅』が、ほとんどそのままのカタチでそっくり使われています。
織田信長が奥さんの目をかすめて愛人に会いに行ってばれるという設定です。
ここまで「まんま」入っている例はめずらしいと思うので、『身替座禅』は江戸時代もけっこう有名なおはなしだったのだと思います。


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