ベンベエの詩的つぶやき

世の中をちょっと斜めに見て・・・

順番

2012-02-18 11:49:11 | 日記・エッセイ・コラム

 「ナァ ナァ ナァ」
石塀の上で催促しているカラス。
 「うおーん うおーん」
八つ手の根元で地団太踏んでいる犬。
大きな器から美味しそうに湯気が立ちのぼり
猫たちがゆったりとアラを食べている。

カラスもタローもずっと待たされている。
うっかり近づこうものなら
たちまち鋭い猫パンチがとんでくる。

順番がある。
はじめはミルクとシャム。
つぎにネム。
いちばんあとになるのは
前足を失くしたゴンベエさん。

そうして猫たちが腹いっぱいになると
ようやくタローの番となる。
タローは大食い、
器は舐めたように空っぽ。
なかなかカラスまでは残らないので
塀の上からスキを狙っている。

それでもやさしいお婆さんが
追加のアラを出してくれることもあるので
こうして諦めずに待っている。
  「ナァ ナァ ナァ」

よく晴れてはいるが、雪の来そうな気配。


カレーなる外交

2012-02-17 12:48:36 | 日記・エッセイ・コラム

カレーを作る。
ロータリークラブでの昼食にもカレーが出るのに
飽きもせずカレーを作る。
  「♪ カレーにしてね かあさん」
日本人はカレーが大好き!

昭和23年、学校給食にカレーが現われ
昭和29年、固形のルーが発売され
日本の食卓に爆発的に広がっていった。

ところで嘗ては
トランジスターラジオやコンピューター・・・・等々
日本人特有の器用さで世界をリードしてきたというのに
最近の不器用さは一体どうしたのだろうか。
TPP・米軍基地・周辺国との領土問題
原発事故への対応・・・・等々
交渉事の不器用さがやたら目につく。
一つの政党としての次元ではなく
国家としての姿勢が問われる。

「玉虫色」という外交手段が効を奏した時代もあったが
結果を急がされる緊迫した今日では
いつまでも同じ手段は通用しない。

わが家ではカレーにタカノツメをしっかり入れる。
香辛料のピリッとした辛さがカレーの醍醐味であり
何度たべても飽きることがない。

カレーのようにピリッとした外交・交渉を・・・・・・


おいしい心

2012-02-13 15:59:43 | インポート

風はまだまだ冷たいが
障子に差しこんでくる陽光には
心なしか春の兆しを感じる。

きょう月曜、休館日。
日光翆園でランチを摂る。
相変わらずこの店だけは繁盛している。
帰りに老舗湯澤屋の酒饅頭を買う。

最近あんぱんを金谷ホテルと共同開発したようだが
いまいちぼくの好みに合わない。
発売にはもっともっと研究した方が宜しいと思う。
B級グルメもC級グルメも
メジャーになるには相当の研究を重ねている。
今や有名店の名前だけでは売れない時代。

ちなみに継母の作るタンサン饅頭(
田舎饅頭)には
40年のキャリアが沁みついていた。
ビーフシチュウのデザートに
バッハを聴きながらタンサン饅頭・・・・・
暖炉では勢いよく薪が爆ぜ
客は不思議なミスマッチに酔わされた。
  だが、油断大敵
殺到する注文に継母の手が回らなくなり
知合いの和菓子屋に委託したとたん
たちまち常連さんは引いてしまった。

美味いものの奥には心がある。
心の入ってないものは
どんなに形良く出来ていても人を魅了しない。

 義理チョコの義理の一つも無かりけり


豚肉のしょうが焼

2012-02-10 11:45:34 | 日記・エッセイ・コラム

豚肉のしょうが焼。
ご飯のおかずにはこれがいちばん!

12歳のときから祖母に育てられ
祖母の得意料理がナマリの煮付としょうが焼であった。
その頃村には肉屋さんが無く
祖母は汽車で隣町まで買いに出る。
醤油と砂糖のこってりした味付け。
つまり豚肉のしょうが焼はばあちゃんの味である。

弁当にも入れてくれてお昼が待ち遠しかった。
ある日
体育の時間から教室に戻り弁当を開けたところ
なんと! 肉が無い。
ばあちゃんの入れ忘れではない
白いご飯にタレが沁みついているから。

教室が空っぽになったとき
誰かが食べたのだ。

しかし、ぼくは黙っていた。
そんなことで騒ぎにはしたくなかったし
肉など滅多に食べられない時代
贅沢している自分に後ろめたさもあって・・・・

昭和30年、高度経済成長期に入り
マンボズボン・トランジスターラジオがはやり
石原慎太郎の「太陽の季節」が芥川賞となり
歌謡曲の「別れの一本杉」がヒットしていたが
地方の暮らしぶりはまだまだ豊かとは言えなかった。

その後も
豚肉のしょうが焼きは弁当に入ったが
その日かぎりで無事であった。
沈黙を徹したことで彼の心に変化が生じたのかも。

  ワルツよりタンゴは如何舞う粉雪


進歩とは

2012-02-09 12:56:40 | 日記・エッセイ・コラム

洗濯機が故障した。
ヘリコプターが降りてくるような大きな音をたてて。
「なんだい!この音は」
お隣さんが心配してやってくる。

電気屋さんに何度みてもらってもだめ。
幾つかの部品交換しても直らない。
ぼくは機械に弱いので一切手出しはできないが
モーターの軸が歪んでいるような
原因は単純なところにあるような気がしている。

きょうも今、電気屋さんがみている。
これで4度目である。

機械も人間も本来単純で済むものを
時代はあえて複雑なものにしてしまっているようだ。

40年ほど前、
初めてフォルクスワーゲンのオーナーになったが
単純明快。
あのようなシンプルで丈夫な車は他に知らない。
あんなにいいものがあったのにどうして
かくも複雑怪奇になってしまったのか。

科学技術の進歩とは
壊れたら直せないようにして
新品を買わせることだろうか・・・・

人間の手で大人しくさせられない機械を
作ってはいけない。

  くず湯吹く豪雪の地を想いつつ