ベンベエの詩的つぶやき

世の中をちょっと斜めに見て・・・

三兄弟フランスに行く Part 2

2007-01-31 13:53:14 | 日記・エッセイ・コラム

アンカレッジで行方不明になった酔っぱらい画家史郎との再会は・・・。三兄弟の行く末は・・・・。

大勢の警察官でごったがえす署内を通りぬけて、二人の目に映ったのは薄ぐらい拘置所の隅でへろへろ酔っぱらっている弟史郎の姿であった。
はじめての海外で
二人には、いったい何事が起きているのか理解できるほど冷静な精神状態ではなく只、おろおろするばかりであった。
オーソンウエルズによく似た署長の説明によると、ドゴール空港に着陸した飛行機から一人の酔っぱらいが現われ、タラップの途中で立小便をした。
忽ち駆けつけた空港警備員に取り押さえられ、ここに連行されてきたと言うのだ。
フランス人にとってドゴール将軍は神様のような存在。それに向けて立小便とは無礼千万。とんでもない奴だ!と声だかに署長が怒る。なにしろ「メルシイ」と「コマンタレブー」しか知らない二人には、困惑するだけで事の一切が飲み込めず、互いの顔を見合わせながら額の汗を拭くばかり。
さらに署長は「本人はアンカレッジ空港の売店で酒を買っている内に、兄さんたちに置いていかれたと言っているが、まちがいないか。」と、二人の顔を交互に覗きながら捲くし立てる。兄さんたちの心配をよそに、史郎はそのウイスキーを飲みながら次の便で悠々とパリにやってきたのである。
そこでいよいよ支店長の出番である。
「この方は、日本で大変有名な画伯である。こんな暗がりに閉じ込めておくなんてとんでもない、バチが当たる。今すぐに釈放しなさい。」と流暢なフランス語で署長に迫った。「よろしい、では本当かどうかこれに私の似顔絵を描いて見なさい」と紙とエンピツを鉄格子の隙間から投げ入れた。
たとえへべれけに酔っていても、紙やエンピツを見ると忽ち動物的反応を示す画家史郎のこと、ささっと署長の似顔絵を描きあげた。芸大では安井曽太郎の門下、徹底的に写生術をマスターしているのだ。息を飲む間もなく描きあげた似顔絵を見て署長は大いに驚き、その作品に満足げであった。幽玄の画家と称されるほど四季の苔寺や能面を得意としたが、コレクターの間では人物画も高い評価を得ていた。すぐさま釈放。そのうえ署長の車でホテルまで送ってくれたのである。

芸術の都パリならではのこと。
他の国であったらとんでもないことになっていただろう。

受難の一夜が明け、三兄弟は再び揃って、結婚式が行なわれるモンサンミッシェルに向けて出発した。


三兄弟フランスに行く

2007-01-30 10:51:23 | 日記・エッセイ・コラム

ある日、父たち三兄弟がそろってフランスに行くことになった。
その内の一人が酔っぱらい画家の史郎である。
ブルターニュに住んでいる身内の結婚式に参列するためだ。
三兄弟ともフランス語はもとより英語もわからない。
そこで「メルシイ」と「コマンタレブー」の二言だけ教えられた。(それ以上は混乱するだけなので・・・・) 
末の弟史郎を案じながらも、三兄弟は揚々と日本を旅立った。
そうして案の定、二人が心配していたとうり機内サービスのウイスキーのおかわり続きで
アンカレッジに着いた頃、史郎はすっかり出来上がっていた。
やがて給油が済んで、再び離陸する時になっても史郎がいない。さては迷子になってしまったかと、二人は辺りをきょろきょろ探す。(二人もまた迷子になってしまうので、遠くには探しに行けない。) 飛行機が出てしまう。日本を出る時、用心のためにパリのホテルの名をメモしたものをそれぞれ三人に渡されていたので、「あいつは次の便で追いかけてくるよきっと・・・」「だいじょうぶだよな・・・」 二人は互いに言い聞かせ合いながら、後ろ髪ひかれる思いでアンカレッジを後にした。
パリに着くと二人はまっすぐホテルに入り、○○銀行パリ支店長に電話して助けを求めた。彼は日本人なので成り行きを仔細に説明することができた。
ともかくホテルから出ないで部屋で待っているよう指示されて、二人はじっと待った。
腹も空いていただろうにじっと待った。
そして数時間が経ち、支店長から電話が入った。
「お探しの方はどうやらパリ警察に拘留されているらしい、ご案内しますから一緒に行ってみましょう。」 と言う事で二人は支店長に連れられてパリ警察署に急いだ。

・         ・・・・・・このつづきは再たつぎの機会に・・・・・・


衆愚

2007-01-29 13:31:45 | 日記・エッセイ・コラム

テレビで紹介されたとたん、ココアや納豆が売り切れる。
健康に良いからと、奨められる食品を片っぱしから摂取したら身体は一体どうなってしまうだろうか。
米の備蓄減がニュースになると、忽ち買占めが殺到して売切れになる。
・・・・3ヶ月ほど饂飩や蕎麦やパンを食べていれば米など余ってしまうものを、タイ米やオウヘン米まで買い込んだ。
洗剤・トイレットペーパーに殺到したのもつい先日のこと・・・・。

一人の指示で動き出す群衆心理。
歴史的にも日本人は隷属的傾向が強く、自己の確立がなされていないのだ。
みんなが渡っていくから自分も渡る。
「お上の言うことには」 「長いものには」
それはあるとき大きなうねりとなって何処かに向かって・・・・・。


医療難民

2007-01-28 10:43:53 | 日記・エッセイ・コラム

このところいくつかの病院と治療院を巡り、なんとまあ!病人の多いこと・・・。
待合室はどこもかしこも患者さんで溢れ、2時間・3時間待ちは当たり前。
ある病院では5時間もかかった。
どこにも行きようの無い患者たちは、それでもじっと待ちつづける。
これはもう異常事態としか言いようが無い。
院長は受け入れを抑えるように事務長に申し入れても、事務長の方は、
経営上の業績を上げようとどんどん受け入れてしまう。
両者のジレンマが結果的には患者への苦痛になっている。
医師はまるでベルトコンベアーの前に貼り付けられたように、
あとからあとから押しよせてくる患者の奔流にひたすら応じている。
これでは「仁術」など施しようもないし、インフォームドコンセントもままならない。

予約3ヶ月先という超有名クリニックもあって、僅か15分ほどの施療のために
飛行機や新幹線でやって来る患者もいる。

なにかがおかしい。どこかがおかしい。
ハイリスクの分娩を断る病院が現われつつあると危惧されている。
このような状況で、はたして日本は医療先進国と言えるだろうか・・・・。


今昔ものがたり

2007-01-27 13:27:49 | 日記・エッセイ・コラム

この頃は、日本男子も大和撫子もスマートになった。
昔のような五頭身の日本人は、もう若者たちの中には見当たらない。
何処に行っても美男美女。すばらしいことだ。

二十歳の時、思い切ってGパンをはいた。
・・・・・はきたくても、短足の私にはなかなか自信がもてずにいた・・・・・

やっとの思いでLEVISを手にし、
長い裾を鋏でじょぎじょぎカットする。当時のものはアメリカ仕様でかなり脚が長い。
その様子を傍らで見ていた妹が口出しした。
(そんなに切っちゃうなら勿体ないから、子供用のジーンズを買ったら・・・)
めげず挫けず貫くことがダンデイズム。
伊達とは武士の高楊枝なのであります。

祖父は「栃木のバカ様」と言われながらも粋を貫いた人でした。
むかし地方には粋人と呼ばれる旦那衆が多く存在し、芸術や文化を支えていた。
旦那衆の援助によって多くの芸術家が育てられた。
道楽者と陰口されることもあったが、彼らは自分の美学をとことん貫いた。
自分の心に真っ直ぐであったのです。
祖父ほどの美学も勇気も持ち合わせていないが、私は祖父を尊敬している。

むかし、正直な旦那衆がいた。
いま、 不正直な社長が犇めいている。