ベンベエの詩的つぶやき

世の中をちょっと斜めに見て・・・

2007-03-31 11:01:35 | 日記・エッセイ・コラム

蟹を食べると何故か
体調が悪くなる。
食べている最中にすでに疲れてくる。

だからそこが名店であっても
蟹スキやカニ雑炊を食べに出かけようとは思わない。
戴いてもちょっとしか口にしない。

これはきっと
ぼくの中に平家の血がながれているのかも・・・・
壇ノ浦の怨念を思い起こせ と
その平家蟹の身内を食すとは何という罰当たりめ! と
ご先祖が怒っているので
蟹を食べると具合が悪くなるのかも・・・・。

蟹やナマコやあんこうなどなど
海中にはひどくグロテスクなものが生きていて
それらを最初に食べた人間の勇気を思う。

それにしても蟹を食べるときの
あの光景はすさまじい。
 ベキッベキッ  グチュグチュ  ピチャピチャ
食べたあとの卓上の残骸もまたすさまじい!

蟹を前にして人間は言語を失くし
男も女も原始人にもどってしまうのだ。


フェアプレイ

2007-03-30 16:12:41 | 日記・エッセイ・コラム

陽気はまるで五月初夏。
庭の紅梅白梅の花があわてて退散
桜と辛夷が一斉に咲き出した。

統一地方選挙の幕開け。
候補者もその取り巻きもしばらくの間は大変だ。
政治は必要、だが候補者のなんと頼りない顔ぶれよ。
国は地方の集合体。
うつくしい日本の創生へ
ほんとうに実現可能なのかこころもとない。

それらの活動から
ぼくは一切、手を引いているが
夢を諦めたらダメ。
希望を棄てたら一巻のおわり。

「うつくしい日本の創生」のその第一歩としての選挙。
候補者もその取り巻きも
きれいに戦ってほしいと思う。
票を金で買ったり売ったりするようなことは
断じてあってはならない。
金を使って当選した政治家は
必ず元を取り返そうと画策する。
結果、大きなツケが市民の肩にのしかかってくる。

票を買うということは人格への侮辱であり
票を売るということは人格を自ら汚すことになる。
自尊心を大切にして絶対に金などは受け取らないことだ。

見よ、甲子園では球児たちが連日
フェアプレイを見せている。


舶来品

2007-03-24 13:14:23 | 日記・エッセイ・コラム

桜の開花によせてあちこちから
春物のダイレクトメールが届く。
多くはデパートやアパレル関係のものだが
見て愉しむ反面、またゴミを増やしてしまう。

ところでそうしたカタログの中のある表現で
いつも気になっていることがある。
「舶来品」という言語である。
特に洋服のカタログに多く
〈舶来服地スーツ〉・・・と表示されているのをよく見かける。
今時どうでしょうか
舶来という表現にj時代的錯誤はないだろうか。
途上国のコンプレックスを反映したもので
ぼくはどうしてもこの表現には
文明開化から明治・大正時代を連想してしまう。

「舶」とは大きな船のこと。
その大きな船で外国からやって来るのが「舶来」である。
今、ほとんどが飛行機でやって来る。
流行に敏感なファッション関係者が
この表現の違和感に気づいていないとしたら
日本のアパレル界はまだまだ未熟なのだろう。

ハクライとハイカラ・・・ぼくには同じに聞こえてしまう。
 


プロの鼻

2007-03-23 15:15:45 | 日記・エッセイ・コラム

水道料金がやたらに高い。
もう一年以上もそのまま払っている。
メーター器を検査してもらうと
使用していないときにも回っている。
どこか水漏れしているという。

業者に頼んで今回、
やっとその場所をつきとめた。
外から見たのではさっぱり判らないが
プロには感じ取れるようだ。
直感だろうか、それとも水が匂うのだろうか・・・。
ここに違いない、と掘り起こしてみると
まさしくぴったんこ!
これまで誰も見つけられず
最悪、屋敷中掘り返すところだった。

砂地の下に水の在処を発見するインデアンの
話を聞いたことがあるが
やっぱりプロというのは
どこか秀でたものがある。

それにしても一年以上
大切な資源の水とオカネを垂れ流してしまった。

    水ぬるむ河原に犬を呼ぶ声が


ちらし寿司

2007-03-22 13:03:22 | 日記・エッセイ・コラム

ちらし寿司を作る。
いつものごとく作りすぎて
お隣へおすそ分け。
妻はますます母親に似てくるのだ。
お隣も丁度、蕎麦を打ったところで
塀越しの物々交換となる。

「お風呂貸して」 「しょう油貸して」・・・・
かつては隣人同士が助け合って暮らしていた。
みんな貧しく、みんな正直で
くったくなく暮らしていた。
昭和30年・・・「三丁目の夕日」あたりまでが
美しい日本人であったような気がする。

通りで子供と出会っても
何処の家の子供か分らない。
近所に空き巣が入っても
だれも気づかない。
旅行中で留守の日がつづいても
だれも気に留めない。

今まさに、コミニュテイーのルネサンス。
「向う三軒両隣」の復活が渇望される。