元 黒龍江大学日本語教師   

元黒龍江大学日本語教師としての思い出などを写真を交え、日記風に綴っていくもの。(No.812からは、故郷新潟から発信中)

No.272  「203高地」のお話。

2011年02月03日 | 日記
「203高地」のお話。 何年ぶりに「203高地」を訪れたのだろうか。いつ訪問したか明確な記憶がない。「203高地」の駐車場に降り立つと、早速、地元の観光ガイドさんが日本語で「案内しましょうか?」と尋ねてきた。ここの案内看板や説明書きには中国語、英語、日本語、ロシア語、韓国語が併記されている。観光シーズンの時期には、多くの日本人観光客が訪れる“観光スポット”になっているという。

しかし、今回は地元の大連武術学校の体育の登山訓練の時間に合流し、10数名の女子学生と一緒に頂上付近まで登ったが、一般の観光客にはついに会うことはなかった。“シーズンオフ”の閑散とした観光地の光景であった。頂上の「茶屋」で私たちの後から来た土産物屋の従業員さんが「熱いコーヒーが出ますよ」と言ったくれたが、これからお湯を沸かすには時間がかかるということで下山した。

その足で、これまで日本人観光客がバスから下車することさえできなかった「旅順の軍港」を見学することができた。現在は「軍港公園」となっており、公園の周囲には10数隻の軍艦が中国国旗をなびかせ停泊していた。また、日露戦争中、日本代表の乃木大将とロシア代表のステッセリ中将が停戦条約を締結した「水師営の会見所」も立ち寄ったが、観光客の姿はわずか数人しか見当たらず、ここも閑散としていた。

誰もいない「203高地」


ロシア式大砲


大砲説明


日本式大砲


大砲説明


旅順軍港(背後に軍艦が見える)


日露戦争中の1905年1月15日、旅順軍港攻防戦の停戦条約が締結されたところ。
日本代表・第3軍司令官、乃木希典大将とロシア代表・旅順要塞司令官、アナトーリイ・ステッセリ中将が会見した「水師営の会見所」





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