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田園調布の山荘

「和を以て貴しとなす」・・ 日本人の気質はこの言葉[平和愛好]に象徴されていると思われる。この観点から現代を透視したい。

蝶の紬歌・・・閉じこめた青春(2)宇治川のほとりに立つ

2009年09月14日 23時31分19秒 | 愛・LOVE・友 

黄檗山の万福寺は17世紀に隠元禅師の建立した禅寺である。この宿坊で100人近いメンバーと過ごした数週間の新入社員の研修は単純な修業の繰り返しであったにも拘わらず心に残るものであった。それはあくまでも場所の歴史的なたたずまいがそうさせたことによる。
数百年、千年をまたいで、この雰囲気を残している場所というのはそうざらにあるものではない。修業はいかに素人むけのものであろうと、この雰囲気の下で季節は同じ4月、そのすべての日を使っての研修宿泊をしたためか、宇治から黄檗山にかけてのたたずまいは心の奥底にいつまでも沈潜し、私の辞書の中に重々しいエリアを陣取っている。そして・・・・。
 
昨夜、新宿発の夜行バスに乗り東京から大阪の桜橋に6時着、そしてJRを乗り継いで宇治駅頭に立った。午前8時半だった。もっとも5年前、私はここ宇治に来たことがある。しかも一月の間につづけさまに二度来たように記憶している。元の会社の常務をやっていたT君が仕事のことで私に聞いてきたことがあり、一年間コンサルタントとして彼とつきあったからである。従って駅前の風景は私の記憶にインプットされていたものの風景として眺める立場はまるで違っていた。

山門に 新郎新婦の歩みくる 背中に散る花 宇治上の社

今日は快晴の日曜日ということもあって宇治川のほとりは桜の花を見に来た人たちで一杯であった。テントとは川岸一帯に張られ、お土産やお弁当の屋台がずらりとならぶ。この風景は明治、大正、昭和とほぼ同じ形で続いてきたのではあるまいか。まだ午前中なのにぞろぞろと歩いている人々の幸せそうな顔、顔、これは45年前もいや100年前もそう変化はなかろうし、風景も同じようであったに相違ない。宇治上神社で結婚式を終えたばかりのカップルに出会った。

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