昨日、京都、大阪、神戸を巡ってきました。神戸から大阪に向かう通勤のJR新快速に乗りました。この列車は座席はボックスになっているため、入り口に近い立ち席から座っている人たちを見渡すことが出来ました。その前日、私は高槻市で中村桂子さんという生物学者さんとお会いしましたが、彼女の言葉がまだ残っていました。それは、「都会と田舎を比べると、都会の人には心から笑う人が少ない」ということでした。「お金はあまり儲けないけれど、田舎には笑顔がいっぱいある」と彼女が指摘していましたが、そのことが頭の片隅に残っていたのでしょうか、私は電車の中の面々を失礼のない程度になにげなく見渡していました。
ほとんどが若いサラリーマンの出で立ちでしたが、なんと3人に一人が寝ていました。残りの方々は、携帯電話を操っている人、ipodで音楽を聴いている人、新聞を読んでいる人たちでした。すべての人が無言で、おとなしく腰掛けていますが、姿勢を正し、目をかっと開いて、意志を持って何かを見ているという人は見かけませんでした。明らかに、一人一人が孤立して、気の満ちていない、楽しさのない風景です。これが、全国の通勤風景で1日に数時間この形が生活になっているんだなと思い、非常に気が重くなりました。
田舎では大都会のような贅沢な消費生活は出来ませんが、会話があって、笑顔が多い・・ということが事実だとすれば、お金を使わないことで、幸せが買えている部分があるのかも知れない、・・そんなことを思いました。
ほとんどが若いサラリーマンの出で立ちでしたが、なんと3人に一人が寝ていました。残りの方々は、携帯電話を操っている人、ipodで音楽を聴いている人、新聞を読んでいる人たちでした。すべての人が無言で、おとなしく腰掛けていますが、姿勢を正し、目をかっと開いて、意志を持って何かを見ているという人は見かけませんでした。明らかに、一人一人が孤立して、気の満ちていない、楽しさのない風景です。これが、全国の通勤風景で1日に数時間この形が生活になっているんだなと思い、非常に気が重くなりました。
田舎では大都会のような贅沢な消費生活は出来ませんが、会話があって、笑顔が多い・・ということが事実だとすれば、お金を使わないことで、幸せが買えている部分があるのかも知れない、・・そんなことを思いました。