今朝の信州は気温が0度~1度南風がなんとなく春の
感じを乗せてきているような気がしました。空はほぼ
快晴です。
1月23日の暦を見ますと、明治時代の遭難事件が二つ
最初に、八甲田山の日とのことです。1902年(明治35年)
に冬の八甲田山へ軽装で雪中行軍に出かけた兵士210名
が遭難した。という事件です。本来は冬の重装備が必要
な時季なんですが、指導部の無謀な判断で決行し八甲田
徘徊し遭難、隊員199名の命が失われたとのこと。
次が、真白き富士の嶺の日1910(明治43)年、神奈川県
の逗子開成中学の生徒12人が学校のボートで乗り出し、
七里ヶ浜で遭難して全員が死亡しました。 この遭難は
社会的事件として新聞で大々的に扱われました。この
悲報に接した鎌倉女学校の教諭・三角錫子が「七里ヶ
浜の哀歌」を作詞し、この歌は全国で愛唱されました。
明治 43年1月 23 日、逗子開 成中学校生徒 11 名と逗子
小学校児童 1 名を乗せたボート「箱根号」が許可なく
葉山を出艇し、七里ヶ浜の行合川沖 で突風に煽られて
転覆した。悪天候の中、 海軍、漁船、潜水器船等によ
る懸命の 捜索が続けられたが、事故発生から 4 日後の
1月27日までに遭難者全員が 遺体で発見される、とい
う最悪の結末と なった。 12 名の若い命が失われた痛
ましい 事故に対し、東京芝の増上寺から導師 が遣わさ
れ2月5日久木妙光寺、翌6日逗子開成中学校庭に於いて
田邊校長 らを中心に大追悼会が催された。その時にこ
の三角錫子作詞「ボート遭難の歌(真白き富 士の根)」
が鎌倉女学校の生徒によっ て歌われた。
先日、みどり湖水芭蕉公園の水道や川の流れなどの
点検に行ってきましたが、まだ今年の新芽は出ていま
せんでしたが、来月の節分以降に期待してます。