田圃がそろそろ水を張る準備を始めています。
農家のカレンダーには休日はないのかも知れませんね。
頭が下がります。
今日も、なんか曇り空です。
一昨日から仕事で、マウスを使う事が多いせいか肩だけでなく、手首や肘の方まで痛みがあって、ちょっと辛いです。
昨日、M先生の治療を受けて「るんるん気分」で帰宅したものの、また繰り返す痛みに先が見えないので暗~くなったりしてしまいますね。
これから梅雨の季節になるわけだから、少々覚悟しないといけないかも~・・・
この五十肩 個人差はあるそうで、短い人なら数週間で良くなる人もいるとか・・・
逆に長い人だと、2~3年の間苦しむらしいから、何ともいえない恐怖です。・・・・
ところで、私の五十肩は命に別状があるわけでなく、更年期障害と同じように ほとんどの人が多かれ少なかれ、老いという現実とともに経験することだと思うのですが、・・・・
先日、ニュースキャスターの「筑紫哲也」さんが、ご自分の「肺ガン」を告白されて闘病に打ち勝ってくると、力強く宣言されましたね。
公人的な立場から、大勢の人がその闘病生活に感心があると思うし、同じような病気で苦しむ人達の、光であってもらいたいものです。
これからの闘病生活を思うと、胸が痛みます。・・・・
実は我が夫も、5年前に「胃ガン」宣告をされて、胃、胆嚢、脾臓の全摘出、片方の腎臓、肝臓の一部を摘出するという大手術をしました。
忘れもしません平成14年の3月4日の朝、会社で会議中にいつもはほとんど電話などしない夫から電話が・・・・
何事かと不安がよぎって電話に出ると、朝の通勤電車で貧血を起こして救急車で運ばれたという・・・
私が駆けつけたときは、本人はもうケロッとしていて点滴を受けながら・・・「いや~悪かったな・・・」と、照れくさそうにしていました。
ここのところ、仕事が忙しい・・・疲れる・・・食欲がない・・・と目に見えて痩せてきたので、検査を勧めていた矢先だったのです。
前年秋の、健康診断で「要再検査」とされながらも、私が検査を勧めると「俺を病人にしたいのか!」とまで言う始末
仕事人間で、たくさんのストレス抱えながらも、自分がやらなきゃって・・・・
この世代の人達の共通項みたいです。
下った診断が「胃ガン」・・・・
すでに医師とともに、胃カメラを見ながらある程度の説明は受けていたようでしたが、インフォームドコンセプドで病院から患者に出されたアンケート「あなたは、自分の病気について詳しく知りたいですか?」の質問に対して、夫は知りたくないと答えていました。
その中に、「自分は病気のことについて、ある程度理解していますが今後のことについて、宣言されたことを静かに聞き入れる度胸がありません。今まで大病もしたことがなく、どのように気持ちを落ち着けて病と闘って行けば良いかも見当がつかない状況ですので、すべてを医師に任せます。」と書いてありました。
担当医師から、夫の回答を見せられて、「手術は不可能かも・・・・」と聞かされたときは、本当に膝が崩れるような衝撃でした。
しかし、このままと言うわけには絶対に行きません。
本人が病気を知っていて・・・手術もしないということは・・・そんなことは、私も子供達も受け入れることが出来ませんでした。
「お願いです。手術してください!!」
「外科チームの先生方がどのように判断されるか・・・・?」
親類の中には、体力がないのに手術をして返って命を縮めた人がいる・・・とか、心配はしてくれているのでしょうが家族を惑わす意見の人もいたりして、毎日本当にオロオロとしてしまいました。
が、やはり長男・・・息子が「俺たちの親父なんだから・・・俺たちで決めればいいじゃないか!!」と言ってくれたのです。
ようやく外科チームからOKが出て、4月12日手術
このときも、開腹してみて無理と判断すれば、切除は断念します。・・・と説明を受けて・・・・結局約10時間の手術が終わりました。
「肉眼で見える限りのガンは、切除しました。・・・・が、おそらく3年以内に再発が予想されます。」と・・・
後の細胞検査の結果下った診断は、進行性の悪性腫瘍・・・
夫は未だに、正式病名を知りませんし、家族も言いません。
医師から怖~い宣告をされたことも・・・・
術後の約2年間は、夫にとってそれはもう大変なものだったと思います。
一日の食事を6回に分けて食べたり・・・、食後しばらく起きていないと逆流が起きて苦しんだり・・・・、夜も眠れない状況が続いて、毎日が心配と不安でした。
退院後、約2ヶ月の自宅療養してから職場復帰・・・・
一度にたくさんは食べられないので、お弁当を二つに分けてお昼と3時に食べるようにしたり・・・・
栄養補給の出来るチョコレートと、飲み物を持っての通勤でした。
20キロ近く痩せた身体は、体力が無いためフレックスタイムにしてもらい、駅まで私が送迎して、座れる電車で通勤するという毎日
私の中には、医師の言葉が常に脅迫状のようにあって・・・3年目を迎える前に、私自身が耐えられなくなって仕事を辞めました。
多少責任ある仕事をしていたので、夫のフォローが出来なかったら・・・などと、そのときはマイナス面ばかり考えていました。
その間も、夫は泣き言ひとつ言ったことがありません。
病気を受け止めて、戦いながら働くという強い意思で逆に家族を支えてくれているのです。
夫に仕事があって、本当に良かった・・・・自分が必要とされている実感が強い意志につながって行くのだと私は思いました。
昨年、義母のことでいろいろあった時、「自分はもう大丈夫だから、ばあさんのことを頼む」と言ったのです。
長男の夫は、あまり口には出しませんがいつも、実家のゴタゴタのときは身を乗り出さなくてはならない立場で、そうして来たのです。
いずれ、こちらで老後を過ごそうと考えていた私たちは時期として、この辺りで準備を始めよう・・・スープの冷めない距離から義母の様子を見ながら、自分たちの老後を見据えていたのです。
もちろん、夫の健康面は心配ですが・・・5年という年月が過ぎてあのときの医師の言葉はなんであったろうとも考えます。
幾分、体重は増えたもののまだまだ、体力的には足りません・・・しかし、
毎月、通院、検査も続けていますが、およそ健康です。
私のほうが、成人病の温床です・・・(^_^;)
多少は後ろ髪も引かれつつも、私が宮崎に来た経緯が そこにあるのです。
ところが、先日の話し合いの元、夫は姉弟に愛想をつかしました。
今まで、夫がしてきたことに対して何も理解も感謝も無く、夫の命で帰ってきた私に東京に帰れと言い、それに従わないのは、私に「男がいるから」とまで言われたのです。
まったく馬鹿馬鹿しく・・・情けない話です。
ある程度、健康を取り戻した夫が今、望んでいるのは働ける間は働いて、老後は田舎でくらすこと・・・
義母の様子を見るという、大義名分がなくなった今、正直迷ったりもしていますが、自分たちが老人になってこの町に何も、貢献出来ない立場で定住すると言うのは肩身が狭いと思います。
都会育ちの私には、係わり合いやら風習やらまったく解らずには溶け込めないと思います。
夫が強い意志で、健康を取り戻したように私もこの土地に根を張って、夫と共に暮らす日の準備が、私の使命、生きがいかな・・・?と
平均寿命の年々、長くなる現在ですが一方で、癌による死亡率は上昇しているようです。医科学の進歩によって多くが解明されて来たにもかかわらず、癌という病の恐怖感は誰もが拭えません。
でも、逃れることの出来ない病であれば尚のこと、受け入れて向かって行くしかないのですね。
そういう意味で、私は夫を尊敬しています。自分の弱さを認めながらも、受け入れて負けない姿です。
「筑紫哲也」さんも、きっと強い意志を持って力強いメッセージを送り返してくれることと思います。 頑張ってください!!
そして、もし私のブログに訪れてくださった方の中に、同じ病で戦う方や、身内の方がいらしたら・・・、頑張りましょうね
自分の中で、強い免疫細胞を育てればいいのですから・・・私は、そう信じています。
神のみぞ知る・・・これからの人生に、後悔しないために・・・
目標を持って向かって行きましょう・・・
正直、私は淋しがり屋で弱虫ですが、不器用な生き方でも、泣きながらでも、ときどき弱音を吐きながらでも、前に向かって行こうと・・・自分に言い聞かせています。
農家のカレンダーには休日はないのかも知れませんね。
頭が下がります。
今日も、なんか曇り空です。
一昨日から仕事で、マウスを使う事が多いせいか肩だけでなく、手首や肘の方まで痛みがあって、ちょっと辛いです。
昨日、M先生の治療を受けて「るんるん気分」で帰宅したものの、また繰り返す痛みに先が見えないので暗~くなったりしてしまいますね。
これから梅雨の季節になるわけだから、少々覚悟しないといけないかも~・・・
この五十肩 個人差はあるそうで、短い人なら数週間で良くなる人もいるとか・・・
逆に長い人だと、2~3年の間苦しむらしいから、何ともいえない恐怖です。・・・・
ところで、私の五十肩は命に別状があるわけでなく、更年期障害と同じように ほとんどの人が多かれ少なかれ、老いという現実とともに経験することだと思うのですが、・・・・
先日、ニュースキャスターの「筑紫哲也」さんが、ご自分の「肺ガン」を告白されて闘病に打ち勝ってくると、力強く宣言されましたね。
公人的な立場から、大勢の人がその闘病生活に感心があると思うし、同じような病気で苦しむ人達の、光であってもらいたいものです。
これからの闘病生活を思うと、胸が痛みます。・・・・
実は我が夫も、5年前に「胃ガン」宣告をされて、胃、胆嚢、脾臓の全摘出、片方の腎臓、肝臓の一部を摘出するという大手術をしました。
忘れもしません平成14年の3月4日の朝、会社で会議中にいつもはほとんど電話などしない夫から電話が・・・・
何事かと不安がよぎって電話に出ると、朝の通勤電車で貧血を起こして救急車で運ばれたという・・・
私が駆けつけたときは、本人はもうケロッとしていて点滴を受けながら・・・「いや~悪かったな・・・」と、照れくさそうにしていました。
ここのところ、仕事が忙しい・・・疲れる・・・食欲がない・・・と目に見えて痩せてきたので、検査を勧めていた矢先だったのです。
前年秋の、健康診断で「要再検査」とされながらも、私が検査を勧めると「俺を病人にしたいのか!」とまで言う始末
仕事人間で、たくさんのストレス抱えながらも、自分がやらなきゃって・・・・
この世代の人達の共通項みたいです。
下った診断が「胃ガン」・・・・
すでに医師とともに、胃カメラを見ながらある程度の説明は受けていたようでしたが、インフォームドコンセプドで病院から患者に出されたアンケート「あなたは、自分の病気について詳しく知りたいですか?」の質問に対して、夫は知りたくないと答えていました。
その中に、「自分は病気のことについて、ある程度理解していますが今後のことについて、宣言されたことを静かに聞き入れる度胸がありません。今まで大病もしたことがなく、どのように気持ちを落ち着けて病と闘って行けば良いかも見当がつかない状況ですので、すべてを医師に任せます。」と書いてありました。
担当医師から、夫の回答を見せられて、「手術は不可能かも・・・・」と聞かされたときは、本当に膝が崩れるような衝撃でした。
しかし、このままと言うわけには絶対に行きません。
本人が病気を知っていて・・・手術もしないということは・・・そんなことは、私も子供達も受け入れることが出来ませんでした。
「お願いです。手術してください!!」
「外科チームの先生方がどのように判断されるか・・・・?」
親類の中には、体力がないのに手術をして返って命を縮めた人がいる・・・とか、心配はしてくれているのでしょうが家族を惑わす意見の人もいたりして、毎日本当にオロオロとしてしまいました。
が、やはり長男・・・息子が「俺たちの親父なんだから・・・俺たちで決めればいいじゃないか!!」と言ってくれたのです。
ようやく外科チームからOKが出て、4月12日手術
このときも、開腹してみて無理と判断すれば、切除は断念します。・・・と説明を受けて・・・・結局約10時間の手術が終わりました。
「肉眼で見える限りのガンは、切除しました。・・・・が、おそらく3年以内に再発が予想されます。」と・・・
後の細胞検査の結果下った診断は、進行性の悪性腫瘍・・・
夫は未だに、正式病名を知りませんし、家族も言いません。
医師から怖~い宣告をされたことも・・・・
術後の約2年間は、夫にとってそれはもう大変なものだったと思います。
一日の食事を6回に分けて食べたり・・・、食後しばらく起きていないと逆流が起きて苦しんだり・・・・、夜も眠れない状況が続いて、毎日が心配と不安でした。
退院後、約2ヶ月の自宅療養してから職場復帰・・・・
一度にたくさんは食べられないので、お弁当を二つに分けてお昼と3時に食べるようにしたり・・・・
栄養補給の出来るチョコレートと、飲み物を持っての通勤でした。
20キロ近く痩せた身体は、体力が無いためフレックスタイムにしてもらい、駅まで私が送迎して、座れる電車で通勤するという毎日
私の中には、医師の言葉が常に脅迫状のようにあって・・・3年目を迎える前に、私自身が耐えられなくなって仕事を辞めました。
多少責任ある仕事をしていたので、夫のフォローが出来なかったら・・・などと、そのときはマイナス面ばかり考えていました。
その間も、夫は泣き言ひとつ言ったことがありません。
病気を受け止めて、戦いながら働くという強い意思で逆に家族を支えてくれているのです。
夫に仕事があって、本当に良かった・・・・自分が必要とされている実感が強い意志につながって行くのだと私は思いました。
昨年、義母のことでいろいろあった時、「自分はもう大丈夫だから、ばあさんのことを頼む」と言ったのです。
長男の夫は、あまり口には出しませんがいつも、実家のゴタゴタのときは身を乗り出さなくてはならない立場で、そうして来たのです。
いずれ、こちらで老後を過ごそうと考えていた私たちは時期として、この辺りで準備を始めよう・・・スープの冷めない距離から義母の様子を見ながら、自分たちの老後を見据えていたのです。
もちろん、夫の健康面は心配ですが・・・5年という年月が過ぎてあのときの医師の言葉はなんであったろうとも考えます。
幾分、体重は増えたもののまだまだ、体力的には足りません・・・しかし、
毎月、通院、検査も続けていますが、およそ健康です。
私のほうが、成人病の温床です・・・(^_^;)
多少は後ろ髪も引かれつつも、私が宮崎に来た経緯が そこにあるのです。
ところが、先日の話し合いの元、夫は姉弟に愛想をつかしました。
今まで、夫がしてきたことに対して何も理解も感謝も無く、夫の命で帰ってきた私に東京に帰れと言い、それに従わないのは、私に「男がいるから」とまで言われたのです。
まったく馬鹿馬鹿しく・・・情けない話です。
ある程度、健康を取り戻した夫が今、望んでいるのは働ける間は働いて、老後は田舎でくらすこと・・・
義母の様子を見るという、大義名分がなくなった今、正直迷ったりもしていますが、自分たちが老人になってこの町に何も、貢献出来ない立場で定住すると言うのは肩身が狭いと思います。
都会育ちの私には、係わり合いやら風習やらまったく解らずには溶け込めないと思います。
夫が強い意志で、健康を取り戻したように私もこの土地に根を張って、夫と共に暮らす日の準備が、私の使命、生きがいかな・・・?と
平均寿命の年々、長くなる現在ですが一方で、癌による死亡率は上昇しているようです。医科学の進歩によって多くが解明されて来たにもかかわらず、癌という病の恐怖感は誰もが拭えません。
でも、逃れることの出来ない病であれば尚のこと、受け入れて向かって行くしかないのですね。
そういう意味で、私は夫を尊敬しています。自分の弱さを認めながらも、受け入れて負けない姿です。
「筑紫哲也」さんも、きっと強い意志を持って力強いメッセージを送り返してくれることと思います。 頑張ってください!!
そして、もし私のブログに訪れてくださった方の中に、同じ病で戦う方や、身内の方がいらしたら・・・、頑張りましょうね
自分の中で、強い免疫細胞を育てればいいのですから・・・私は、そう信じています。
神のみぞ知る・・・これからの人生に、後悔しないために・・・
目標を持って向かって行きましょう・・・
正直、私は淋しがり屋で弱虫ですが、不器用な生き方でも、泣きながらでも、ときどき弱音を吐きながらでも、前に向かって行こうと・・・自分に言い聞かせています。