放浪日記

刮目せよ、我等が愚行を。

祭りのあと(後編)

2005年11月15日 | 半死的世界旅行
ふてくされたM氏は僕たち3人分のバスチケットを購入した。

ポカラ発インドとの国境行きのチケットだ。

沈没気味とはいえ、それなりに観光もするM氏にとって、もうこれ以上同じ町にいることは苦痛だったのだろう。それに油を注ぐように、僕とY氏はサンギータ姉妹と仲良くなって、自分はのけものにされていると思ったのだろう。

とりあえず、M氏の手配によって、翌日、僕たちはポカラを離れることになった。
チャンスは、もう今日しかない。
気合いが入っていた。


昨日撮った写真を現像し、それを届けるという名目でサンギータ家に向かう。
今夜、一緒にご飯を食べようと誘うつもりだった。

午後三時。
姉に好かれているY氏も一緒に家に着く。
日本語学校に通っているというサンギータは、祭りのため休みで、ずっと家にいたためすぐに会えたが、美容院で働く姉は午後六時まで帰ってこないというので、それまで家で待たせてもらう事に。
サンギータの母親がお茶を出してくれる。うまい。
しかし、執拗なまでに僕やY氏の体にタッチしてくるではないか。なんなんだ、これは。
ネパール語なのでなにを言っているのかさっぱりわからないが、僕たちの顔を見ては時折「うんうん」とうなづいている。
「あんたらが娘たちの婿になるんだねえ」なんて雰囲気だ。隣でサンギータが微笑んでいる。母親の言葉に返事はしているものの、それを僕たちに訳してくれない。
でも、めちゃくちゃアットホームは雰囲気が漂っていた。

サンギータに写真を渡した。
三枚。
一枚は昨日のティハールのお礼にと、サンギータの家族全員を集めて撮った写真。
残りは、僕がファインダー越しに愛を込めて撮ったサンギータのブロマイドのような写真と、僕とサンギータが一緒に写っている写真。
もちろん渡したかったのは後者である。
「ありがとう」
たどたどしい日本語で感謝の気持ちを伝えてくれるサンギータ。
「礼にはおよびませんゼ。あっしの気持ちでござんす」
と任侠映画のような台詞を吐いてみるも、やはり日本語習いたてのサンギータには通じなかった。

一方、姉がいなくて時間をもてあそんでいるY氏は、昨日来たばかりの他人の家で、いつのまにか横になってテレビを見ていたり、うたた寝をしている。横に母親がいるというのに、このくつろぎ方が出来る人間はそうそういないだろう。将来大物になりそうな予感がした。

僕はといえば、サンギータと他愛もない会話を楽しむ程度。案外プラトニックなのだ。

日も暮れた午後六時。
姉帰宅。思いがけない来客者(対象はY氏のみ)に感嘆の声をあげる。
ここで4人で飯を食べに行かないかと、誘う。
かなり真剣に誘う。
母親の「私の手作りカレーを食べていけばいいじゃない」という声を無視して、外食希望である事を伝える。
サンギータはちょっと照れていた。
姉は「いいわ」とすんなりOKして、サンギータに「いいじゃないの、行きましょうよ」と言ってくれていた(ような気がする)。
母親はちょっとしぶったあと(おそらく婿候補にどうしても手料理を食べさせたかったのだろう)、条件付きでOKしてくれた。
条件とは、午後九時までに帰宅すること。

早っ!
早いですよ、お母さん。
今6時で、あと3時間ですか?
なんにもできないでしょ、それじゃ。
本当に飯を食うだけになっちゃうじゃないか。

でもここはネパール。
かわいい18と20の女性とデートするには、これくらいの制限があってしかるべきなのかもしれない。
しかたない。
これでいきましょう。とOKをして、出かけた。


ネパールの夜は早い。
午後六時でももうあたりは真っ暗だ。街灯がほとんどなかったり、車や自転車、バイクなどの交通量も極端に少なく、建物から漏れてくる光も少ない。
足元が確認できないほどの暗さなのだ。

どこに牛の糞が落ちていて、どこから道が途切れているかわからない。そんな状況でも、さすがはここの子。サンギータたちはスイスイと道を歩いていく。こわごわ後をついていくジャパニ2人。本来であればここで彼女の手を取りつつ…、というのが理想的な状況なのだろうが、実際は女性二人に大きく差をつけられ、男二人でみじめに夜道を歩いていただった。

「ご飯、なに食べたい?」
とりあえずサンギータに聞いてみる。
「ダルバート」
まじで?
「うそよ」
サンギータは微笑む。
「私、モモつくるの上手いのよ」
そーゆーのは外出する前に言ってね。
「なにか食べたいものある?」
もう一度聞いてみる。
「…なんでもいいわ」
そう言うと思った。たいてい女ってのは、こういうときにそう言うものだと思う。
それでいて、本当になんでもいいかというとそうでもなくて、この男はどんなところに連れて行くつもりなのかをしっかりと見て、判断されてしまうものだ。
これが日本であれば、大阪であれば、ちょっとくらいこじゃれたところに連れていって、男前度を上げておくところなのだが、残念ながらここはネパールのポカラ。たいした店はない。
僕に不利だったのは、この日が祭りだったこと。たいていの店は閉まっていた。
選択肢はほとんどなかった。
「ここでいいかな?」
「ええ、なんでもいいわ」
そこは欧米人向けにつくられたようなツーリストレストランだった。
先客は誰もいなく、閑散としていた。
デートに使う店としてはサイテーな感じだったが、ここしかなんだもの、仕方がない。

テーブルに案内された。
この店は湖に面していて、湖畔の景色を見ながら食事も出来た。
せめて、景色くらいはロマンチックに行こうと、ガーデンテラスに出て、テーブルを四人で囲む。テーブルの上にはキャンドル。ロマンチック…
といいたかったが、夜になり、照明も何もない湖畔の景色はただの真っ暗闇で、景色なんて全く楽しめず、さらに湖の水で冷やされた夜風がもろに僕たちに吹いてきた。キャンドルの炎もチロチロと消えそうだ。
隣では、サンギータが寒さに震えている。
失敗だ。
ことごとく失敗だ。

寒さに震えながら、僕たちは飯を食べた。
なにを食べたかなんて、覚えちゃいない。
ただ寒かった。それだけだ。
サンギータは震えている。
僕も、別の意味で震えている。
注文してから出てくるまでにゆうに一時間はかかった。ネパールでは毎度のことなのだが、寒すぎる僕たちにはこの間の時間が永遠のように長かった。
会話もした。
でもあまり覚えていない。残念だ。
ただひとつしっかりと覚えているのは、僕の顔を見て、サンギータ姉がケラケラ笑っていたことだ。
一応自分ではそんなに変な顔ではないと思っているのだが、人にここまで面と向かって笑われたのは初めてだ。ひょっとしたら鼻毛でも出てたのかもしれない。サンギータは一切笑わなかった。せめてクスッとでも笑ってくれれば、僕は救われたのに…。


店を出た。
もっといたいとは思わなかった。寒さは限界を超えそうだった。
サンギータは家に帰るといった。引き止める気もしなかった。門限まであと10分をきっていた。
せめて家まで送るよ、と歩きだしたら、サンギータの兄弟たちと暗い夜道でばったり会った。どうやら心配して探していたような雰囲気だった。

ここまでだな。

男は去り際が肝心だと思う。

僕はサンギータを無事に兄弟に預け、明日インドに向かうことを告げた。
サンギータはすこし残念そうに、けれど、多少予感していたように、
「またアイマショウ」とカタコトで言った。

僕は返事はしなかった。




一方、Y氏は僕がサンギータと寒い夜道を歩いているとき、ちゃっかり姉と手をつなぎ、お互い僕たちに聞こえないくらいの声で「愛してる?」「愛してる」をささやきあっていたそうだ。

僕は、なにもなかった。


人生なんて、そんなもんだ。


サンギータと別れ、ひとりで部屋に戻り、天井をずっと眺めていた。
ホットシャワーは出なかった。体の芯はまだ冷えていた。
窓のない家で、サンギータはどうやってこの寒さを乗り越えるのだろう。
そればっかり考えていた。

賑やかだった祭りも終わり、町は静まりかえっていた。



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2 コメント

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あれま (やはぎ)
2005-11-19 16:36:55
ぐっじょぶ!さすがにいや氏。以上。
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ダンニャバード (にいや)
2005-11-21 21:11:05
やはぎさん>



喜んでいただけましたでしょうか?



ま、こんなんですわ。結局。
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