帰ってきた!パチスロ中心人生

ART純増が2枚なら話は別。

人生を考える。依存症・・・・

2006年06月02日 | Weblog
今回はちょっとショッキング(笑)なお話を。

私は、ちょいとした事情もあり実家で親と暮らしています。
休日は確実にパチ店へむかう私に親が心配してこんなことを言い出します。

「今日さあ、NHKのクローズアップ現代で見たんだけど、パチンコ依存症っていうのがあるんだって」

ああ、私がそれだといいたいのですね。母上・・・

「やめられなくて、10年かかってっていう人もいるんだって」

そういうこともあるでしょうねえ。

「お母さん心配で・・・」

おいおい!!
ちょっとお待ちを!母上!
私は依存症ではありません!・・・・・・とは言いません。
そういう意味では依存症でしょうね。
かれこれ10年以上スロット中心ですが、携わって(?)いますよ。
やめられないというか、別にやめる必要がないんですよ。母上。
「だって、俺の場合そこそこ勝ってるよ」

母「そんなことないでしょ。負けるようになってるんだし。」

いやいや・・・
母上。お気持ちはよ~~~くわかります。
私のことを心配するお気持ちもいたいほど。
しかし、正直、大勝しているとは言いませんが、負けてはいませんよ。
そりゃあ、10万円もさよ~ならすることもありますが、ならせば負けてはいないんですよ。(←ここ大事)

「もし、金銭的にだめな部分があるなら、勝ったときに、調子に乗って買い物することかな」

くらいですね。それはよくありますが。

”依存症は病気です。医師の診断が必要です。”

という話が最近ネットでも見受けられました。
納得できる反面反論もあります。

パチ&スロに人生をついやしている私を含む人々は、人生をだめにすごしているのでしょうか?(ちょっとまじめに)
正直微妙な部分があるのは恐らく負けた経験は誰でもあるでようから、同じくあるでしょう。
何を得たのかと問われれば、実は色々とあるように感じますが、それも言い訳じみているかもしれません。

私は宝くじは好きではありません。主催者まかせで、抽選確率も悪く、努力も工夫もないと思うからです。(ロトは好きですが)
パチ&スロは受身では勝てないギャンブルです。私はそう思います。
工夫し努力し改善することにより、楽しませてもらいながら、達成感を味わうそういうものだと思うんです。

依存症になる人は、出玉にのみそれを求めていませんかねえ?実はそれだけではないですよね。展開を読み、「狙い通り!」が楽しみの最大の要素、もちろんある程度勝ち負けは必要なことですが。

私は、酒もタバコも大好きです。
やめる理由を見つけられればやめる!と思っていますが、体に悪いからといわれればそれでおしまいです。それで得られるものはないのでしょうか。
もし、酒タバコギャンブル、加えて好きなゲームとか全部やめたらほかにも色々あるのでしょうけど、”だからなに?”と。

ちょっとブルーなんですよね。
親に心配かけるのはよくないと思いますが、じゃあ、休日に読書したり、スポーツしてたら文句なしなんですかね。
自問自答を繰り返し、懲りずに飲みながらの戯言となりました。

でも、北斗SE待ち!みたいな私は依存症。
開き直ることはだめでしょうが、そうです、ブログのタイトルは

「パチスロ中心人生」

以上。失礼いたしました。