やさしい風

ただ今ブログを更新するので精一杯の毎日です。当分の間コメント欄を閉じさせて頂きますのでご理解下さい。

回想 PRAY FOR JAPAN(日本への祈り) ③

2024年10月11日 | 日記

回想 PRAY FOR JAPAN(日本への祈り) ②から

ずいぶん間を空けてしまいました。

ごめんなさい。💦

やっと今日 完結編の③を書くことができ

ほっとしています。😊

そう。

この日は 映画の上映 監督のトークタイムのあとに

サムアパライブもあったのです。

サムアパの「東松島市あおい地区西集会所」でのライブは

この時で3回目。

  

機会があれば呼んで頂いているためか

KYOくんのMCにもありましたけど

サムアパは

会長さんはじめ地区の皆さんとすっかり顔なじみで

とっても温かい雰囲気の中

ライブは始まりました。

この日は

しもちゃんとkyoくんの「2人体制」という

珍しいシチュエーションでした。

でもケンカなどをしたわけではなく

クライム君はこの日単独で別な仕事が入り

そちらに行っているためにお休み

との事です。

2人は

思いきりステージの両端に位置して

真ん中を大きく空けて演奏していました。

これは観客に

クライム君を意識させる作戦だったのではないか?

と私は思ったほどです。

KYOくんのMCにも

たびたびクライム君の話題が登場し

この日

カバー曲も幾つかあったのですが

それはクライム君がいないと

サムアパのラップ曲を選定できないから

という話もありました。

こんな仲良しな点

サムアパのいいところだなぁと思います。

でも仲良しな部分は残しつつ

ひとりひとりでの活動も増えていってもいいのかな?

とも思っている私です。

(3人でもよし ひとりでもよしが 最強バンドなのかもしれません)

 

さて

オリジナル曲の

「一夜の輝き」や「SUMMER(サマー)」

「君がいる世界には」

「通い慣れた帰り道で思わず溢れ出した涙」

などをはじめとして

カバー曲の

「木蘭の涙」や「愛燦燦(あいさんさん)」なども

聞くことができた

この日のサムアパライブ。

もちろんkyoくんたちとスチュウ・リービー監督との出会いや

東松島や能登半島などへの思いも強く伝わってきて

とても心に沁みるライブでした。

「PRAY FOR JAPAN」の映画上映は

100回を越えてからは

目標を決めずに続けていくそうです。

東松島市あおい地区西集会所の門間さんに

連絡をすれば

上映するためのアドバイスを頂けるのではないでしょうか。

多くの人に見て頂きたい映画だと

私は思っています。

「PRAY FOR JAPAN」の記事については

①から③まで近くになるように配置し直しました。

時間のある方は①から読み直してみて

下さいね。

****************************

「52ヘルツの鯨の呟き」

話題はガラリと変わります。

9月上旬ごろでしたか。

ネット上に「デクラス」という言葉が

頻繁に登場するようになりました。

調べて見ると

難しい言葉では「機密情報開示」

簡単な言葉では「暴露(ばくろ)」という意味だ

という事が分かりました。

おそらく

アメリカの大統領選挙が近づいてきた事もあり

これまで隠されてきたことも

開示されてきたからなのではないでしょうか。

それらの内容自体は

私が詳しくネットを見始めた1月ごろから

ちょこちょこ出ていたのですが

私は半信半疑で見ていたものが多いです。

どうして半信半疑だったかというと

あまりにも信じられない

衝撃的な事柄が多かったからです。

でもここに来て

それらはほとんど

本当だったんだなぁと思っています。

(それらに関する証言や証拠が出てきているので)

皆さんも驚くことが多いと思いますが

私の目的は

ずっと前から書いていたように

日本を救いたい」

「少しでも良い未来を若者たちに手渡したい」

という事ですので

変わらずまじめに

受け止めて頂ければと思います。

(信じるか信じないかはもちろん皆さんの自由ですし)

昨日書いた

明治製菓ファルマの「レプリコンワクチン」についても

デクラスの1つだと思っています。

まさかそんな危険なワクチンを

日本の企業が作り

政府も容認(政府主導の方が正しいかも)しているなんて

普通は信じられませんよね。

でもそういう事が今 何て多いことか。

今日は「デクラスの2つ目」として

「ケムトレイル散布①」について少しだけ

書きたいと思います。

これもまた 初めて見た時には

「ケムトレイルって何?」と思いました。

どうやら「飛行機雲」の事みたいでした。

ユーミンの歌にも「ひこうき雲」という

素敵な曲がありますけど

今は旅客機から飛行機雲が出る事はないようです。

私の家のあたりは

仙台空港の就航路線の1つになっているらしく

時々肉眼で

飛んでいく飛行機を見る事が

できるのですが

旅客機のお尻から飛行機雲が出ているのを見た事は

1度もありません。

でも1月~9月末まで

外に出た時に確かめるようにしていましたが

青空の日は必ず

ケムトレイルが見えました。

上の3枚の写真は全部 私が撮影したものです。

あれは

自衛隊の飛行機だったのでしょうか?

そして出かけた時

東京の空でも名古屋の空でも

ケムトレイルは確認できてしまいました。🥺

10月10日。

昨日は青空でしたが

私が見上げた時間帯にはケムトレイルは

ありませんでした。

何かが変わったのでしょうか?

それとも見えない時間帯だったのでしょうか?

明日はこの事について

詳しく書きたいと思います。


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回想 PRAY FOR JAPAN(日本への祈り) ②

2024年10月11日 | 日記

「PRAY FOR JAPAN」は

この日

記念すべき「100回目の上映会」だったそうです。

 

 

 

「100回」達成まで13年

商業映画ではないドキュメンタリー記録映画が

県内のみならず

東京、三重、島根、沖縄など国内をかけめぐり

 

日本を飛び出し

全米・アジア・中東・欧州などでも

上映されました。

 

 

映画を上映する事に尽力された方の1人に

門間さんがおられます。

 

 

門間さんは

映画の中にも登場されていて

コメントを幾つか残していました。

 

 

石巻市の復興に

一生懸命向き合ったおひとりだったのだと思います。

 

私がこの映画を観るために

予約の電話をして

お話させて頂いたのも門間さんでした。

 

 

まだ高校生だった健人君も

何度か登場しています。

 

 

私は

東松島市の職員になった大人の健人君しか知らなかったので

当時流行していた

前髪がとっても長い華奢な健人君の姿が

少し新鮮に思えました。

 

 

東日本大震災で

おじいちゃん おばあちゃん おかあさん 弟の律君の

4人を津波にのまれてしまった健人君は

倒壊した自宅の前で

カメラに向かって一生懸命説明をしていました。

 

 

律君の小さな青い鯉のぼりも

泥だらけのままで映っていました。

 

 

 

行き場のない喪失感の中

バンドマンでもあり太鼓打ちでもあった健人君が

 

「一緒に太鼓を打ちたい」

という手紙を書いた事をきっかけに出会った

KYO君 こうき君 ようちゃんたちも

 

若い頃の姿のままで

フィルムの中に存在していました。

 

 

幾つもの奇跡的な出会いが重なって

映画「PRAY FOR JAPAN」はできあがったのだなぁ

と改めて感じさせられた

「PRAY FOR JAPAN」の上映会でした。

 

 

 

 

 

 

(続く)

 

****************************

 

「52ヘルツの鯨の呟き」

 

私が

1月1日の能登半島地震で北陸の皆さんの事を心配し

少しでも役に立ちたいと情報収集し

このブログが今のような形に至っているのは

 

この方たちとの出会いや

イベントに参加させて頂いている事に

端を発しているのです。

 

 

 

 

 

 

 

 

「本気で能登を助けようとしていますか?」と

ずっと心の声を上げながら

ニュースやネットの記事をを見続けている毎日です。

 


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回想 PRAY FOR JAPAN(日本への祈り) ①

2024年10月11日 | 日記

やっと少し

まとまった時間を取る事ができました。✨

 

 

もう1週間も前の事になってしまいましたが

9月28日(土)に

東松島市あおい地区西集会所で行われた

「PRAY FOR JAPAN 上映会」

についての回想記を記したいと思います。

 

 

今回このイベントに

大きく心を揺さぶられたのは

 

何と言っても

「PRAY FOR JAPAN」という映画の監督を務められた

「スチュウ・リービー監督にお会いし当時のお話を伺う事ができた」

という点が大きいと思います。

 

 

私は「PRAY FOR JAPAN」を見たのは2回目でしたが

前回は何年か前に蔵王で行われた

「秋の青い鯉のぼりイベント」における上映会で

でした。

 

その時は文化祭的な雰囲気で

「野外ステージでは音楽」

「室内のブースで飲食」「温泉」「映画上映」などと

幾つかに分かれていて

 

私は

音楽ステージを見たあとに

当時サムアパとも一緒に活動されていた

「『つるしびな』や『最後のラーメン』の大和監督の作品かな?」

と思って映画ブースに入ったところ

上映されていたのがこの映画だったのでした。

 

 

そんなわけで

途中から見たのだと思いますが

 

あの東日本大震災の時に

地震がおきてしまってから復興していく様子を

静かに淡々と(と感じました)映し出している記録映画

という印象を受けました。

 

 

大袈裟な演出は何1つなく

でも静かな中に

見ているこちら側に強く訴えてくるものがある映画

とその時私は思いました。

 

 

今回初めからしっかり見る事ができましたし

(それでも短縮版だそうです)

 

初めて

スチュウ・リービー監督がどんな方なのか

どうしてこの映画を撮る事になったのか

少しだけ理解する事ができました。

 

 

彼は実は

映画監督が本職だったわけではなく

「日本のアニメを世界に紹介する仕事」で

有名な方なのだそうです。

 

東日本大震災の時東京に住んでいて

地震の大きさに驚き

2日後には某NPOの車に乗り

仲間と共にボランティアで宮城を訪れています。

(最初は名取に行ったのかな?)

 

行動の理由としては

以前訪れ

親しい気持ちのあった気仙沼の大島が心配で

止むにやまれぬ気持ちで

訪れたという事です。

 

 

一旦帰宅し

次の週にはまたNPOの車に乗り

(その時には長期滞在も覚悟されていたのでしょうか?)

 

行政の指示で

石巻でボランティアをする事になり

 

NPO法人で活動しておられる遠藤学さんという方から

「どうしても記録に残して下さい」

と強くお願いをされ

東京から機材を運んできて撮り始めたのだそうです。

 

こうして

泥をはき 木材をどかし 物を運び 家や町を片づけ

普通のボランティアをしながら

もう1人の仲間と共にカメラを廻して出来上がったのが

「PRAY FOR JAPAN」なのでした。

 

 

スチュウ・リービー監督は

日本語がビックリするくらい上手で

お話し好きで ユーモアがあり 情熱的な熱い思い(⇐人類愛のような)を

胸に秘めた心の優しい人でした。

 

 

日本の事もきっと好きでいてくれているんだろうなぁ

という事が

言葉の随所から感じとれました。

 

 

現在は結婚され

小さなお子さん2人のパパになり

日本でなくドイツに住んでおられるそうです。

 

それでも1年に2回くらいは

来日されているとの事で

今回もそのスケジュールの中で

東松島市にも来てくださったのでしょう。

 

私は

「この人があの映画を残してくれたんだな」

「だから胸に響くものがあったんだな」

と凄く納得したのでした。

(続く)

 

****************************

 

「52ヘルツの鯨の呟き」

 

昨日は

石破新首相の「総理としての所信表明」が

あったようですね。

 

 

ネットに流れてくる記事を見ますと

最初から「短命政権」と言われる波乱づくめの船出

みたいです。

 

いろいろと「問題あり」の所信表明

だったようですね。

 

 

❶まずあまりにも

「総裁選挙」で語っていた内容と変わり過ぎていて

顰蹙(ひんしゅく)をかっています。

 

「手のひら返し内閣」というあだ名まで

ついてしまいました。

 

 

 

私も

「たった1つの良い所さえなくして

一体どうするんだろう?」

と思いますし

周りに従属させられるのが予想より早すぎて

驚きました。

 

 

これで

「自民党は誰がなっても変わる事はない」

という事が

明らかになってしまいましたね。

 

 

 

❷「公約」にもビックリするばかりです。

「ルールを守る党に生まれ変わる」

ですってよ。

 

あれ?

…という事は

私は十分

分かってはいましたけれど

 

これまで「ルールを守らなかった政党でした」と

自ら認めたってことですよね?

 


 

 

この国難の大事な時にこんな公約を掲げるとは

本当にいろんな意味で

レベルが低すぎる…。

 

 

 

驚くし ガッカリだし 日本の危機も感じます。

(政権運営能力に関して)

 

石破氏もだし

自民党議員みんなもだし

国会議員もだし

今まで一体何をやっていたんだろう…(泣)

 

 

 

❸また

野党の野次がうるさくて

「所信表明が聞こえなかった」そうですし

それに負けじと

「石破総理が大声を出した」との事も書いてありました。

 

 

 

野党の皆さん

気持ちは分かります。

あまりにも酷過ぎる内容ですからね。

 

でもメディアは直ぐに

「大事な論点」から外れて「大したことのない話題」で

大騒ぎしたがりますので

 

「もう少し 賢く闘ってくれないでしょうか?」

と思っています。

野党にとっても大事な時なのでは

ありませんか?

 

 

❹こんなにも頼りない石破内閣なので

早くも

高石早苗氏待望論や

 

 

 

岸田総理再登板説まで囁かれていますけれど

 

 

「それも絶対ダメ!」

と私は声を大にして言いたいと思います。

 

 

安倍氏、岸田氏、高市氏の時より

石破氏になって良かった事が

たった1つだけあって

 

それは

「嘘をついている」「国民を騙している」事が

見えやすくなっている点です。

 

「自民党のおかしい政策」は

石破氏になって始まった事ではありません。

 

少なくとも

第2次安倍政権からはずっと続いてきていて

岸田氏はたったの3年間で

驚くほど日本の価値を下げ国民の暮らしを貧しくしました。

 

石破氏は

それを引き継がされているところです。

 

石破氏のおかげで「見える化」してきた

このおかしな政治を

 

1人でも多くの人に気づいてもらいたいと

私は思っています。

 

 

 

 

 

 

 


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