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やんたけバス研究所 別館

本館やんたけバス研究所の別館として、バスに限らず撮影した画像をアップしています。画像の無断転載・転用は御遠慮願います。

富士重工3Eのハイデッカー?

2013-07-19 21:36:00 | バスネタ昔の路線バス
本屋で季刊のバスグラフィックが発売されているのを発見・・・・ありゃ、だいぶ前に出てたみたいじゃ。相変わらず関東の大手中心なんですけど、本の後半にある地方ネタが楽しみ・・・・・ムム、今回は昭和自動車じゃがな!!。

キレイに撮っているし流石・・・・堪能しましたゼ。

あれ?あのバスが出てないわ・・・・・

コレですよコレ!!

昭和自動車 RE121 昭和53年式

ん?なんかとっても馬ヅラに見えませんか?・・・な、なんと!!富士重工の路線系ボディの3Eなのにハイデッカー!!。なんじゃこりゃ!超希少な珍車じゃないですか!!。しかもこの頃の昭和自動車の最大の特徴である、側板ステンレス張りもしっかり施されていますし。

実はもう一枚。


こちらは逆サイドの上、ケツが切れてますわ・・・実はいきなり現れて急いで撮影したのでこうなっちゃいまして、非常に悔しい思いをしたので、別の日にリベンジで撮りに行ったんですよ。それが最初の画像。でもコチラの方がハイデッカーぶりがしっかりとわかりますねぇ。日野REのハイデッカーって・・・あ、沖縄にセミデッカーがいましたなぁ。

まぁ、コレを撮影したのは大学生の頃でして、夏休みに岡山に帰省した時に青春18切符でムーンライト九州に乗って福岡じゃぁ熊本に日帰りで行ってたんですよね。岡山だと1日分で九州往復できるんですからねぇ、貧乏学生には非常にありがたい列車でした。最初は指定席とらずに乗っていたんで、岡山からだと座れんこと多々・・・それから指定席取れたら行くようにしてましたわ。14系客車の簡易リクじゃ熟睡出来ませんけどね・・・それでもたのしかったなぁ。




で、コレ本当にハイデッカー?





答えはコチラ・・・・


車内の様子

何と天井の高いこと・・・・そうなんですわ、床は標準床のままなんですよね。聞く所によると、最初は天井に扇風機がついていて、ラッシュ時にクーラーの冷風が満遍なく行き渡るようにされていたらしいですわ。そのため天井を高くしたわけで必然と車高がハイデッカ-のようになったんですね。

この時は早朝に博多駅に到着しそのまま撮りバス、コレがやってきたので思わず飛び乗って前原営業所まで行ったわけですわ。朝の前原行きなんか平行してJRも走ってますから誰もオキャクが乗らないですわーな。なので確かこの時はずっと一人で貸切状態だったかと記憶しとります。

それにしても、3Eでハイデッカータイプのボディにメトロ窓、なのに低馬力のREでしかもリーフサスと中々クセのある楽しい車両ですなぁ。昔のバスはこういったバリエーションがあるんでほんと楽しかったですわ・・・・・(遠い目)

続・岡山のジャーニーK

2013-06-22 22:45:00 | バスネタ昔の路線バス
前回御紹介した岡山に在籍したジャーニーK、観光タイプだけしか居らんの?

いえ、まだいたんですよねこれが。

コレですわ・・・

平和タクシー KC-LR333J

何コレ?OSK言うたら岡山のスポーツクラブ&スイミングクラブじゃがな・・・しかも営業プレートって?。実はコレ岡山のタクシー会社である平和タクシーが運行していた送迎バスなんですよね。おそらく元はOSKが自家用で走らせていた送迎バスなんでしょうが、運行を平和タクシーが請負い、車両の管理も任されたんじゃないかと推測。前回はP-、U-と紹介しましたが、まさかKCまでいたとはオドロキでしょ?。送迎と言うこともありリーフサスですが。KC-になってからライト周りのリニューアルが図られましたがボディーは基本的に一緒ですわ。ジャーニーKのシフトノブはボンネット時代と然程変わらんレトロな黒くて丸いものが使用されていましたが、KCになってもそれが同じものだったので驚かずにはいられませんでしたわ(残念ながら画像は無)。

じゃぁ、路線は無いの?

もちろん、

最近のホットな話題であったコレはもちろんありますよ。

でもコレ出すのって出尽くした感があり面白くありませんよねぇ?









あるんですよ、これまたねぇ・・・・








ジャーン!

日生運輸 P-LR312J 昭和60年式

何と、岡山にもジャーニーKの路線車が在籍していたんですよ!!オドロキでしょ?。と言うものの、トップドアなんでいかにも路線車とは言いがたいんですけど、しっかりフロントに大型方向幕が装備され、その幕も活躍していたのは見ての通りでございます。

で、「日笠」ってドコ?・・・昭和59年10月の資料によると、和気から平日8往復・休日5往復運行されていたようですわ。

と言う感じで、数が少ないながらも岡山でもジャーニーKが活躍していたと言うお話でした。

宇野自動車のエアロスター。

2013-05-31 20:56:00 | バスネタ昔の路線バス
岡山のエアロスターと言えば、忘れちゃならないのが宇野自動車!。

類稀なる個性がキラリと光るこの一品。かつては7年で代替し中古路線バスの供給源であったのは皆さんご承知のとおりだと思いますわ。

なので、ここで紹介しても別に・・・って感じでしょうから既に消えた車両を御紹介しましょう。

コレじゃ!

宇野自動車 P-MP218M 昭和60年式

この車両は宇野自動車エアロスターM導入一発目の個体ですわ。何かが違うでしょ?・・・そうなんですよ、まずは宇野自動車の命ともいえるフロント頭上のマーカーランプ。このエアロスターに装備されているのは今現在の砲弾型ではなくスタイリッシュなシャークフィンタイプとでも言いましょうか、エアロスターのデザインに上手く馴染んだタイプだったんですネェ。更に中扉から後の側窓を見て頂きたい。普通宇野のエアロスターは5つあるんですけどこの車両は4つ!。中扉の位置も他の個体よりもやや後に設けられていたんですねよねぇ。つまりは窓の大きさが均一になっているんですよ。

その後、

宇野自動車 P-MP218M 昭和62年式

残念ながら、その1年後の昭和61年導入車は捕獲していないんですよね(泣)。よって2年後の昭和62年導入車を見て頂きたい。こちらが宇野自動車のエアロスターMの基本的モデルといいましょうか。最大の特徴であるマーカーランプは旧来の砲弾型に再変更され、側窓の窓割りも大きさ不均等で前4つ後5つとなっていますわ。なぜ窓の大きさが不均等なのか?・・・それは1列に窓1枚となるように区割りされているんですよね。更に言えば二段窓の中間にあるサッシが他のバスに比べると上の方にありますよね?・・・これはオキャクさんが外を眺める時に標準の窓だと丁度視線に窓の桟が入ってしまうんですよねぇ。そこで宇野バスはわざわざ窓を特注にして(上下逆にしているとも)桟を少々上にやる事により良好な視界を確保したんですよねぇ。何と言う配慮!天晴れですわ!!

写真じゃ判りませんけど、リーフサスも特注の柔らかいものなんですよね。これは当時の下電バスのベテランドライバーさんから教えてもらいました。そのころは大量の宇野バスが下電に移籍していたんですよね。ただ、代替時期が早いためか然程手入れがされておらず、年式の割に痛んでるとも仰ってましたわ・・・・。

こういう話はホント趣味冥利に尽きると言うか、中々タメになりますねぇ。

昔は車両に個性があり、趣味的にホント面白かったですわ・・・・(遠い目)

ニオイ苦痛なバス。

2013-05-29 21:44:00 | バスネタ昔の路線バス
先日、両備のエアロスターを紹介しましたところ、Mな乗務員さまよりコメント頂きましたので、今回はそのネタに便乗・・・・

コレじゃ!

両備バス P-MP518M 社番:F8422 昭和59年式

両備バスのB35型路線車、通称ブルドッグですわ。なんでニオイ苦痛なバス?そんな強烈なニオイなのか・・・・いえ、プレート番号が岡22か2092

なるほど・・・。

車内はハイバックシートがずらっと並び、やわらかいエアサスと共に乗車していると気持ちよくてついついウトウトしてしまうような車両でしたわ。言うても室内なんか撮っちゃいないんですよねぇ・・・・。

もう一枚ありましたので、


この頃はフイルム撮影なので同じ車がダブらないように撮影済み車両をメモしていたので、中々同じ車両を何枚も撮っていないんですよねぇ。いつもながらいいますが、今のデジカメがこの頃あれば最強だったんですけどねぇ・・・今は撮影にコストが掛からず便利になったけど、逆にバスのバリエーションが少なくなってしまったと言う・・・・なんか皮肉なもんです。

下電のエアロスター

2013-05-24 22:49:00 | バスネタ昔の路線バス
岡山のエアロスターといえば両備バス、コレはこう言っても過言ではありませんな。岡山ふそうを傘下に持つ両備バスでは昔は日野じゃいすゞじゃいましたが、三菱の御三家と呼ばれることからもわかるように、その後は三菱一筋なのは承知のことと思いますわ。

一方、その好敵手であった下電バスではそれに対向してか、当時のメインは日産ディーゼル及び日野でその車種構成を固めていましたわ。

そんな中、1台だけ存在したこの車両・・・

下津井電鉄 社番:A534 P-MP618M 昭和60年式

そうなんですよ、エアロスターMが1台だけいたんですよ。もちろん新車にて導入ですわ。下電バスといえばそこそこの距離を走る郊外路線ばかりだったので前後ドアがメインでしたが、この年式前後は大型路線車でも前中扉で導入されていたんですよ。そんなこともありこのエアロスターも中扉、車内はハイバックシートが並びマーカーランプの無いシンプルな宇野バスと言った感じですなぁ。

この頃の下電は積極的に車両のリニューアルをしていたので、

後にこんな感じに塗り替えられましたわ。

それにしても、こんな残念な感じの写真しか撮れていなかったんですよ・・・・コレにはショック。それだけ遭遇率が低かったんですよね。それもあるんですけど、まともに撮れてないのは↓が原因か?

コレですわ・・・・

な、なんと!中扉埋めると言う魔改造と呼んでもいいようなボディーリフレッシュを受け、養護学校のスクールバスとして第2のバス生を歩んでいたのでした!。(もちろん、営業所で撮影許可はもらってますゼ)

これまたこんな写真しかなく・・・ホント縁が無かったんですな。

路線車において、純粋な育ちの三菱車はこのエアロスターMのみなんですけど、かつて宇野自動車から大量のブルドックが移籍、更に倉敷市交通局の廃業から譲受した三菱車が流入し、下電バスにおいて三菱路線車の割合が一気に増えていったんですよ・・・・。