杉並からの情報発信です

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【今日のブログ記事No.3180】■追悼星野文昭さん!冤罪で『獄中44年』の中核派活動家・星野文昭さん(享年73歳)が一昨日水曜日(5月30日)で肝臓がんのため亡くなられた!

2019年06月01日 07時43分19秒 | 政治・社会
いつもお世話様です!                         

【杉並からの情報発信です】【YYNews】【YYNewsLive】を主宰する市民革命派ネットジャーナリスト&社会政治運動家の山崎康彦です。    

昨日金曜日(2019.05.31)夜に放送しました【YYNewsLiveNo.2788】の『メインテーマ』を加筆訂正して【今日のブログ記事】にまとめました。

【放送録画】 83分05秒

https://ssl.twitcasting.tv/chateaux1000/movie/547593135

【放送録画】

【今日のブログ記事No.3180】

■追悼星野文昭さん!冤罪で『獄中44年』を強いられた中核派活動家・星野文昭さん(享年73歳)が一昨日水曜日(5月30日)東京都昭島市の『東日本成人矯正医療センター』で肝臓がんのため亡くなられた!

当時25歳で高崎経済大学の中核派活動家だった星野文昭さんは、今から48年前の1971年11日10日に沖縄県で組織された『沖縄返還協定批准阻止』ゼネラル・ストライキに共鳴して東京での『沖縄返還阻止闘争』に参加した。

星野文昭さんは当日東京・渋谷で戦われた中核派による『沖縄返還阻止闘争』のデモ指揮者として隊列の先頭にいたが、彼から約10メートル離れた場所でデモ隊と機動隊が衝突して機動隊員一人が死亡した事件で『警官殺しの犯人』にでっち上げられ後日逮捕され起訴されたのだ。

東京地裁での一審判決は不当にも『懲役20年』だったが、東京高裁長官・草場良八裁判長は二審判決を破棄して更なる重罰の『無期懲役』を彼に課したのである。

1987年に最高裁が上告を棄却して『冤罪』の星野文昭さんの『無期懲役』は確定したのである。

▲星野文昭さんの死亡に関して、沖縄・琉球新報と産経新聞が記事にしているが両社の記事は全く同じである。両社は共同通信の配信記事を自社記事としてそのまま垂れ流しているのだ!

とりわけ犯罪的なのは、沖縄県民の『独立の戦い』に共鳴して決起し自民党政府権力によって『警官殺しの犯人』にでっち上げられ、実に44年間もの長期にわたって牢獄につながれてきた『沖縄の同志』星野文昭さんの『冤罪』を一行も報道してこなかった沖縄の新聞である!
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【関連記事】

▲星野受刑者が収容先で死亡 渋谷暴動事件で無期確定

2019年5月31日 琉球新報

https://ryukyushimpo.jp/kyodo/entry-927747.html?fbclid=IwAR3w84jqg-iZghNrsR3fIMV23-rhcuD1wiG2IJcifR_kpPeefEZm0wxdat4

星野文昭受刑者

1971年、東京・渋谷の沖縄返還協定反対闘争で警察官を殺害したとして、殺人罪などで無期懲役が確定した星野文昭受刑者(73)が30日、収容先の東日本成人矯正医療センター(東京都昭島市)で死亡したことが分かった。関係者によると、5月に肝臓がんの手術を受けていた。

事件は71年11月14日に発生。米軍駐留を認めた沖縄返還協定の調印に反対する学生らのデモ隊が暴徒化し、東京・渋谷で、機動隊や派出所を火炎瓶や鉄パイプで襲撃した。新潟県警の巡査が死亡、同県警の別の警察官3人も重傷を負った。

星野受刑者は無罪を主張したが、87年に最高裁で無期懲役が確定した。
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【画像1】獄中44年【無実の政治犯・星野昭(72歳)】さんの自画像

20190531星野文昭さんSbis

【画像2】星野文昭さんが描いた妻暁子さんの肖像画

20190531星野暁子さんSbis

▲以下に私が昨年(2018年)12月に初めて星野文昭さんに関して書いたブログ記事を再掲します。

(再掲ブログ記事)

■日本には【警官殺し】をでっちあげられ一審判決【懲役20年】が東京高裁二審で【無期懲役】にさせられ獄中生活44年の政治犯・星野文昭さん(72歳)がいることは国民は知らない!

2018.12.17 ブログ【杉並からの情報発信です】

https://blog.goo.ne.jp/yampr7/e/96fb8e017f32f7fc800eefda3162ffa2

日本国民の多くは、南アフリカ反アパルトヘイト闘争リーダーネルソ・ンマンデラ氏が国家反逆罪で27年間の獄中生活を強いられた後釈放され、その後南アフリカ共和国の大統領に選出されたことを知っている。

しかし同じ【無実の政治犯】であり、ネルソ・ンマンデラ氏の獄中生活(27年)の実に1.6倍以上の『44年にわたる世界最悪・最長】の獄中生活を強いられている星野文昭さんが日本にいることはほとんど知られていない!

なぜならば、世界に類のない日本独特の【記者クラブ制度】が支配している日本のマスコミは、星野文昭さんの『官殺しは全くの冤罪であること』を一切報道してこなかったからである。

星野文昭さんは,、1971年11月10日に沖縄県で打たれた沖縄返還協定批准阻止のゼネラル・ストライキに呼応して当時の【新左翼・中核派】が組織したいわゆる【沖縄返還阻止・渋谷暴動】でデモ隊の先頭で指揮を執っていたのであり、警官一名が死亡した現場とは10メートル以上も離れていたのだ。

このことは、デモ現場にいた当時の公安警察は知っていたのだ!

しかし当時の佐藤栄作(安倍晋三の叔父)自民党政権と公安警察・検察・裁判所は、この【警官殺害事件】を最大限利用して【沖縄返還協定批准阻止闘争】の全国的な拡大を阻止するために、中核派活動家7名(注1)を『警官殺しの犯人』として証拠なしででっち上げて逮捕・起訴し、マスコミを使って大々的な『反過激派』キャンペーンを張ったのである。
(注1)そのうち大坂正明以外の6名は1972年から1975年8月までに逮捕・起訴された。大坂正明は40年以上の逃亡生活の後2017年5月に広島で逮捕された。

逮捕された6名の活動家の中で唯一リーダーであった星野文昭さんは、佐藤栄作自民党政権と公安警察・検察・裁判所によって【警官殺しの主犯・凶悪犯】にでっち上げられ、東京地裁一審判決では『懲役20年』の重罪、東京高裁二審では、後に最高裁長官にまで大出世する草場良八裁判長によって一審判決が破棄され【無期懲役】にされたのである。

【画像2】【無実の政治犯】星野文昭さんを一審判決【懲役20年】を破棄して二審で【無期懲役】にしそのご大出世した草場良八最高裁長官。
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【草場良八略歴】by Wikipedia

【画像】

20190531草場良八

1925年 福岡県出身
福岡県立福岡中学校(後の福岡県立福岡高等学校)卒業。
1949年 東京大学法学部政治学科卒業。
1951年 判事補任官。
1963年 最高裁判所人事局任用課長。その後、最高裁判所秘書課長。最高裁判所経理局長、 最高裁判所事務総長、東京高等裁判所長官を経て、
1989年11月27日 最高裁判所判事
1990年2月20日 矢口洪一長官の後を継ぎ、第1次海部首相が最高裁判所長官に指名
1995年11月7日 依願退官。後任は村山首相が指名した三好達最高裁判事。
1998年4月29日 勲一等旭日桐花大綬章受章。
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日本のマスコミの一角(販売公称170万部/日)を占め【日本記者クラブ】に所属しない【日刊ゲンダイ】がようやく12月5日付けのジャーナリスト斎藤貴男氏のコラムの中で、星野文昭さんの件を初めて取り上げてくれた。

【関連記事】

▲44年間獄中…冤罪を訴える星野さんの仮釈放はかなうのか

斎藤貴男ジャーナリスト

2018/12/05 日刊ゲンダイ

https://www.nikkan-gendai.com/articles/view/news/242988

米軍普天間飛行場の辺野古移設に抗議する人たち

「星野さんが真っすぐな目で見ていたものが、日本政府は怖かったのだろう。彼を取り戻すことは沖縄が変わる道でもある。取り戻しましょう!」

沖縄県南城市の宮城康博市議(59)が力を込めた。先月25日、香川県高松市内で開かれた「星野文昭さんの解放を求める全国集会」での発言である。

星野さん(72)というのは1971年、沖縄の米軍基地を固定化する返還協定の批准に反対する渋谷闘争のリーダーで、その際に機動隊員1人(当時21)を殺害したとして無期懲役刑を受けた人物だ。

一貫して無実を主張し、再審請求も重ねているが、まるで顧みられないまま、44年間もの獄中生活を強いられてきた。

現在は徳島刑務所に服役中。ようやく開始された四国地方更生保護委員会(法務省の地方支分部局)による仮釈放審理が大詰めを迎えつつあるタイミングで支援グループが主催した集会には約650人が集まり、市内のパレードも展開された。

亡くなった機動隊員は、デモ隊のガソリンを浴び、火炎瓶を投げつけられて焼死している。犯人が厳罰に処されなければならないのは当然だが、星野さんは実行はおろか、指示もしていないと言う。現場とは10メートルほど離れた場所にいたのだ、と。

〈私の良心と、人間としての全存在にかけて、一点の曇りもなく言い切ることができる〉(東京高裁に提出された陳述書)

実際、目撃証言の数々はあまりに曖昧だし、検察側の証拠も十分に開示されていない。本来なら求刑の以前に、公判の維持さえ難しい事件だったのではないか。極めて濃い冤罪の可能性が黙殺され続けているのは、星野さんが“政治犯”だからに他ならない。

すでに検察庁は20年も前から、無期懲役刑が確定した事件のうち、「動機や結果が死刑事件に準ずるくらい悪質」と見なしたものを「〇特無期事件」として事実上、終身刑化する手続きを設けてしまっている。政府と一体になったマスコミが五輪だ万博だとバカ騒ぎを繰り広げる一方で、沖縄などの反戦運動家が次々に逮捕され、長期勾留されるケースが目立つ昨今、星野さんの今後は、権力に盲従したくない、自由な魂をたたえた人間にとっては決して他人事ではあり得ないのである。

仮釈放はかなうのか、否か。

「どうしようもないヤツらの中で、私たちは確かに風穴をあけた。だが甘い幻想を持つことはできない。悲観に陥ることも禁物だ」

集会の冒頭で、再審弁護団の鈴木達夫弁護士が述べていた。

【関連情報】

▲渋谷暴動事件 (by ウィキペディア)

渋谷暴動事件(しぶやぼうどうじけん)とは、1971年(昭和46年)11月14日に日本の東京都渋谷区において発生した暴動事件である。暴動鎮圧にあたっていた機動隊員1人が死亡した。

(終わり)

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情報発信者 山崎康彦
メール:yampr7@mx3.alpha-web.ne.jp
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