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長尾剛著[話し言葉で読める西郷南洲翁遺訓]より[二十九:困難を楽しむ]

2012年02月27日 08時51分19秒 | 政治・社会
西郷隆盛は[自分で自分を世に残す]ことをしたがらなかったために、著書を一
冊も残していません。[西郷南洲翁遺訓]は幕末の戊辰戦争で薩摩軍と戦った
庄内藩(言山形県)の元藩士たちが明治になって西郷隆盛との交流の中で彼が
語った言葉をまとめたものです。

西郷隆盛は決して多弁ではなくむしろ他人の話をよく聞く聞き手上手だと言わ
れていますので、[西郷南洲翁遺訓](岩波文庫)の原文本編四十一、追加分2
項目合計四十三項目は簡潔で短い文書になっています。

[話し言葉で読める西郷南洲翁遺訓]はノンフィクション作家長尾剛氏が西郷隆
盛の言葉に込められた心情を押し量らって、西郷の別の談話や様々なエピソー
ドをベースにして現代風の読み物としてリニューアルしたものです。

今日お届けする[西郷南洲翁遺訓][二十九:困難を楽しむ]には、道を行うも
のには困難がつきものであるが困難から逃げず、真正面からぶつかって こそ道
が開けるのであり困難を乗りきることは[楽しみ]になる、と書かれています。

■長尾剛著[話し言葉で読める西郷南洲翁遺訓]より[二十九:困難を楽しむ]

人の道を行うということは、困難に遭うに決まっているのです。
人々を愛し、正義を貫き、どんな状況でも姑息な手を使わず、何時でも堂々と生
きていく。まさに、人の道を起きなっていく・・・が、そんな正しい生 き方を
するものを、世間が常にたたえ歓迎してくれるなどと思うのは、おおきな見込み
違いです。

世間には常に、誤解がある。妬みがある。ワガママ者のゴリ押しがある。悪人の
口渇な罠がある。

人の道を行うとは、こうした障壁に真っ正面からぶつかることである。だから、
困難の連続に決まっているのです。
[私は一生懸命に人の道を行なっている。なのに、困難に遭ってしまうのは理不
尽だ]ーなとと神仏を怨むのは、大きな誤りである。一生懸命であれば あるほ
ど、困難は多大です。

ですから大切なのは、どんな困難に遭おうとも、心を動じさせない覚悟です。

慌てず、うろたえず、どんなトラブルに出会ったとしても、[マァ仕方がなかろ
う]と思えるくらいに肝を据えておかねばなりません。

何かことが起こっても、そこでいちいち歩みを止めてはいけない。
事の成否、いや、自身の生死にさえも、不安をいだてはいけない。
失敗するかも知れぬ。死ぬかも知れぬーと、先々に”悪い未来”を想像してしまう
ことも、ありましょう。ですが、そこで足踏みしては、人の道はお行 なえぬ。
[そうなったらなったで、仕方なし。道を曲げて卑屈な人生を歩むよりは、人の
道に倒れたほうが幸福である]ーと、思うべきでありましょう。
いや、心底から人の道を行なって行けば、自然とそう思えるようになります。

人の為す仕事というのは、どうしてたって上手下手があります。仕事に要する技
術といったものも、生まれついての才覚の問題である。できる者もいれ ば、で
きない者も入る。
当然である。

下手なこと、出来ぬことを、無念と思う場合もありましょう。だが、それをして
自分を攻めたり卑下したりするのは、誤りです。
その者にとっては、下手なのが当然、出来ぬのが当然。それはそれで、何ら過ち
でも許されぬことでも、ない。
だが、現実問題、何事につけ上手くできないと動揺してしまう者が、多い。自分
で自分を責める者が多い、

それは、[人が生きるのに最も大切なのは、道を行う事だ]という真実を理解し
ておらぬからである。

道を行う、すなわち[正義を貫いて生きる]とは、人の本性なのです。誰にも備
わっている心なのです。
だから道を行うのには、上手も下手もありません。やってできない人間などは、
いません。

道を行おなうことは技術ではない。心掛けである。誰でも、心掛け一つでそれは
可能です。
そして人は、道を行えさえすれば、誇り高く幸福に生きられる。

ひたすら道を行いなさい。それを貫けば、本当の生きる手応えと言うものが生ま
れる。誇りが生まれる。[よしッ、これでいいんだ!]といった充実感 が、生
まれる。
生きる楽しみが、生まれます。

道を行うとは、”苦しみではない”生きる楽しみである。
人にとって”本物の生きる楽しみ”とは、小手先の工夫で得られる一時の快楽のよ
うな、そんな安っぽいものではないのです。

だから困難に遭ったときは、これを切り抜けるためには、ますます道を行うこと
です。自分の正義が踏みにじられたならば、ますます正義を貫くことで す。
正義を貫き通す自分を、楽しむことです。

私は、この話をおのれの体験から申し上げている。だから道を行うなうこと
を、[楽しい]と表すのは、決してウソではない。
私は若い頃から、ずいぶんと困難にぶつかってきました。ですが、それでも道を
貫き通して、そうして乗り切ってきました。

そして、こんにちの私は、皆様の前に生きています。
いまとなっては、どんな困難に出会っても、動揺などはいたしますまい。これま
で培ってきた経験のおかげで、困難に慌てふためくより、それに真っ正 面から
ぶつかっていったほうが楽しいーと、私はすっかり解っておりますから、この確
信を持てたことが、私にとって何よりの幸せであります。

(引用終わり)


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