杉並からの情報発信です

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■ 小さな公共事業を大型公共事業に作り替えてしまうマジック

2009年10月31日 11時44分54秒 | 政治・社会
米海兵隊の普天間基地移転問題で鳩山政権が揺れています。

ゲーツ国防長官と米軍制服組トップのマレン統合参謀本部議長が相次いで来日して、「キャンプ・シュワブ沿岸部(名護市)への移設計画が唯一実現可能な案だ」「普天間飛行場が移設されなければ日米合意に含まれた在沖縄海兵隊のグアム移転もない」「普天間移設がなければ沖縄の兵員縮小も土地の返還もない」「軍事的観点から日本や地域への十分な安全保障提供が難しくなる」 と鳩山政権に対して露骨な恫喝を繰り返しています。

これらのプレッシャーに対し、早くも北澤防衛相はキャンプ・シュワブ沿岸部への移転に条件付きで賛成するような発言を繰り返し、岡田外相は米空軍嘉手納基地への統合に米軍の拒否にも関わらず固執し、鳩山首相は「最後は私が結論を出す。それに従っていただく」と結論の先送り発言を繰り返しています。

10月21日の【YYNews】「小さな計画や幻の計画がいつの間にか巨大な公共事業に作り替えられてしまう」で、私は天木直人氏のブログ記事を引用して,米軍普天間飛行場の移転問題の隠された事実経過を以下のように書きました。

1.そもそも普天間の閉鎖・返還は95年の沖縄少女暴行事件後、沖縄で高揚した反基地世論を抑えるための米側の提案だった。

2.米軍にとっての普天間飛行場は日本国内での代替基地建設を必要とする程の重要性はなかった。

3.当時日・米・沖縄間の交渉にかかわった元国土庁事務次官下河辺淳氏の証言によると、米国が代替施設として要求したのは長さ45メートルのヘリコプター発着帯だけだった。

4.沖縄側の公共事業発注への思惑も加わり大規模な代替施設案になった。

鳩山首相は、45メートルのヘリコプター発着帯だけの移転計画がどのような過程でこのような二つの滑走路を持つ大型飛行場計画に変更となったのか、その経緯を具体的に検証して国民に知らせる義務があります。

ここにも小さな公共事業を政治家と官僚と自治体首長とゼネコンが寄ってたかって大型公共事業に作り替えてしまうマジックが隠されているのです。

鳩山首相にぜひ読んでいただきたい天木直人氏の最新ブログ記事を以下に転載しますので是非お読みください。

■ 鳩山首相は普天間基地移設決定の経緯を検証せよ

 天木直人のメールマガジン 2009年10月31日発行 第427号

 鳩山首相の言う事が毎日のように変わり、鳩山首相の言う事と岡田外相の言う事がことごとく異なるのでは、私としても書きようがなくなってしまう。

 鳩山首相が思いやり予算を見直すと言えば、岡田外相が翌日にはそれを否定する発言をする。その鳩山首相も、日米同盟を包括的に再検討すると言ったと思えば、翌日にはトーンダウンする(10月31日産経)。

 実際のところこれら発言の不統一やブレのために、私も一旦書いたメルマガを書き変えて配信することもしばしばだった。

 如何に鳩山政権下で日米同盟に対する確たる方針がないかである。

 それでも私は鳩山首相の「最後は私が結論を出す。それに従っていただく」という発言を信じる。そして鳩山首相に歴史に禍根を残さない正しい判断をしてもらいたいと願う。

 たとえば大騒ぎになっている普天間基地移設問題だ。

 百の議論よりも、事実を積み重ねて結論をだすべきだ。そして事実を検証すれば普天間基地を沖縄に残す事の不当さがわかるはずだ。

 それを国民に示し、国民の納得の下に米国にぶつけてみたらどうか。

 それこそが政権交代にともなう方針の転換である。

 この点について、10月17日の毎日新聞は、佐藤学沖縄国際大学教授の貴重な証言を掲載していた。

 その中で佐藤教授は、次のような経緯を指摘していた。

 すなわち、95年の沖縄少女暴行事件から端を発した普天間の閉鎖・返還交渉に関った下河辺淳元国土事務次官の証言を引用し、米軍が当時要求したのは海兵隊のヘリコプター発着帯だけであった、それがいつの間にか公共事業を望む日本側の思惑もあって、軍事的な重要度が低くても大規模な新基地建設となった、と。

 これは私にとって驚きの情報であった。本当にそんな事があったのかと疑義を持ちながらも、これは重要な指摘であり検証さるべきだと、当時のメルマガで書いた。

 それから二週間ほどたった10月30日に、今度は東京新聞が「こちら特報部」でこの問題をさらに詳しく取り上げていた。

 問題の下河辺証言は、2003年に早稲田大学大学院の江上能義教授(政治学)を相手に述べられたものだという。

 琉球大学の「学術リポジトリ」の中の「下河辺淳氏オーラルヒストリー」と題された文献の中にあるという。

 その中で下河辺氏は次のように述べているという。

 普天間移転は少女暴行事件と関係なく、それよりもはるか前の60年代からから米国は普天間基地の近代化を考えていた。しかし米側が当初要求していたのは面積は四分の一。滑走路もヘリコプターの発着に必要な40メートルほどだった、というのだ。

 それがいつの間にか地元側の要望で軍民共用飛行場建設となり、千メートル規模の滑走路を造るという事になった。しかも、さらにそれが離陸用と着陸用の二つのV字滑走路にすると発展していく。

 この経緯を江上教授はこう解説する。

 「要するに、自民党のバラマキ政治・・・土建業者優先で、生活再建を怠ってきたツケが今、出ている・・・利益誘導に伴う圧力で、名護市は一般の人々は物が言えない、意見が吸い上げられない構図になってしまっている・・・生活再建のために基地を建設するやり方には限界がある・・・基地のない生活再建と、県外施設の議論をすべきだ」

 鳩山首相は岡田外相と北澤防衛相に命じて、もう一度最初から普天間基地の移設問題の経緯を検証すべきだ。

 鳩山首相が自ら政治的決断を下すのは、その検証を待ってからで遅くはない。結論はおのずと出てくる。  

 (終わり)                          
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