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■ 経済音痴の菅首相は財務官僚の大ウソに完全に騙されている(2/3)

2010年06月19日 12時10分39秒 | 政治・社会
経済学者菊池英博氏の今年2月24日衆議院予算委員会公聴会での発言内容(1/3より続く)

(転載)

レジュメに基づきまして、時間の制約もございますので申し上げます。

 まず、二〇一〇年度予算、これは私は賛成でございます。

 二〇〇九年度歳入、これは、自公政権による税収入の大幅な見込み違いで、歳入に占める国債発行額が税収を上回るということになりました。これは、敗戦直後の一九四六年以来、六十三年ぶりの事態。これはまさに経済敗戦です。まさに日本は第二の敗戦を迎えた。完全な敗戦だととらえるべきです。第一回は武力で間違えた。第二回目は経済敗戦。これは壮大なる経済の失政です。実は、二〇〇一年から始まりました小泉構造改革というのは暗黒の十年だったんですよ。どこに原因があったか。これが二番目に書いてあります。

 まずは本年度予算でございますけれども、税収が九兆円も激減する中で、連立三党が選挙のときから三党合意で共通政策を掲げまして、その中で可能な限り実現されたものとして、実は大変高く評価しております。

 特に、コンクリートから人へと具体的に中身もちゃんと整理されておられますし、それから地方交付税の増額、しかも一兆円の予備費を使っておられる。こういうところにまだ含みを持っておられます。それから、埋蔵金を活用された、十・五兆ですね。それから、国債発行は四十四兆に抑えられた。

 いろいろな面で大変御苦労の結果だと思いまして、私はこの予算案に対しては賛成でございます。九月十六日に新政権が発足いたしましてから、短期間に本当によくおやりになられたと思いまして、私は高く評価しております。

 二番目に、税収激減は小泉構造改革とその後の自公政権の当然の帰結だと私は思っております。

 デフレというのは今に始まったことではございません。この後、データで申し上げますけれども、まさに一九九八年以来、GDPデフレーターはずっとマイナスです。長期デフレ。既に恐慌型のデフレに入っております。長期デフレの元凶は、

1.財政デフレ、2.金融デフレ、3.リストラデフレ、この三つに集約できると私は思います。

 まず第一に、基礎的財政収支均衡策というのをとってまいりました。これは二〇〇二年からですね。実は、デフレのもとで緊縮財政をとるということ自身は、これは歴史的に見て絶対失敗しているんです。昭和恐慌もそうです。大恐慌もそうです。これはもう教訓で、こういうことをやるということは、おおよそ経済の歴史のイロハを知っている人では考えられないことです。

 それともう一つは、日本の体質に合わない均衡財政の政策をとった。この後、データで申し上げますけれども、実を言いますと、日本は均衡財政というのは合わないんです。それをとって、そして目標を定めようとした。それで、交付税交付金、こういうものをこの二〇〇一年度から八年間の間に六十兆を削減しています。この数字は二〇〇〇年度をベースにしまして、毎年ずっと削減していますから、全部累計いたしますと、二〇〇八年度まででちょうど六十兆になります。ですから、地方はからからになる。最近では、もうシャッター通りどころではありません。そういう状況になってしまったのは当然です。

 それから二番目には、金融三点セットの強行。これは、ペイオフ、時価会計・減損会計、それから自己資本比率規制ですね。ともにデフレのときにこういうことを強行すれば、金融はどんどん縮小します。特に時価会計。竹中さんがやられたことは、デフレをやっておいて、それで時価会計・減損会計を適用して、資産がどんどん下がりまして、不良債権をどんどんつくり上げる。つくり上げて自己資本を落とさせる、そして銀行をつぶす。UFJ銀行なんかは、あれは意図的につぶしたんです、私ははっきり本に分析してありますけれども。そういうことをしていったから、結局は金融機能がどんどん縮小している。これが二番目のことです。

 三番目には、無謀な規制緩和、特に二〇〇二年の労働法の改定です。これは、説明さえすれば解雇が自由になったんですね。これはまさに戦前ですよ。あるいは十九世紀かもしれません。

 ですから、そういうことで、結果は十年マイナス成長、十年デフレから恐慌型のデフレ。まさに構造改革というのは悪魔の改革です。事態を真剣にきちっと認識すべきだと思います。

 それで、現在はGDPは四百七十兆円程度ですね。これは一九九一年並みです。つまり、二十年前です。それから、税収三十七兆、これは一九八五年、つまり二十六年前。こういう形になってしまった。これは実は極端な投資不足というのがあります。この後、データでお話ししますけれども、経済のエンジンである投資が不足している。それから、まさにガス欠状態で失速ということですね。ですから、まずこれから重要なことは、いかにしてこの基本的な経済を持ち上げるかですよ。

 どうしてこんなことになったかといいますと、この二〇〇一年からの構造改革のベースというのは、アメリカのレーガン・モデル。レーガンが一九八一年以降ずっとやってまいりまして、その後、二〇〇一年からはブッシュですね。そうした共和党のモデルをそのまま、言うならば、まねごとでまねてきた。ですから、法人税、所得税を引き下げる、社会保障をカットする。その反面、消費税を上げよう、上げようと思ってきたわけです。

 そういうことで、結局、新自由主義とか市場原理主義、これをやったおかげで、実を言いますと、アメリカはレーガンの時代、皆さん御存じのとおり、一九八一年からレーガンが大幅な減税をやり、法人税も下げ、所得税も下げました。軍事拡大をやりましたから、歳出の増加もふえました。その結果、双子の赤字、貿易収支それから財政が赤字になりましたね。それで、一九八五年には債務国になったんですよ。だから、この考えをとれば、まさにその典型的な母国であるアメリカが債務国に転落しているわけです、日本だって危なかったんです。今だって国家陥没の危機に達しています。

 ただ、幸いなことに、戦後六十三年ぶりの、税収が国債よりも少ない国なんですけれども、我々は、現在二百五十兆から三百兆の対外債権、海外に金を貸しているんですよ。世界一の金持ち国家なんです。これは全然、敗戦国だけれども、違います。これをいかに活用するかということですね。

 それでその次、三番目は、日本はもはや平成恐慌、それから四番目は、クリントン・モデルが参考になると書きました。

 ここのところはちょっと図表をごらんいただけますか。恐縮ですが、めくっていただきますと、こういうのがございますね。カラーで下が黄色くなっていまして、上に図表がございます。ちょっと小さくて恐縮ですけれども。
 私は、こういう平成恐慌というような意見を持っておりますので、どういう根拠かということをしっかりと申し上げたいと思います。

まず、左の上、上が昭和恐慌、下が平成恐慌です。実は非常に似ております。違いは、昭和恐慌というのは二年間でどかんと来た。しかも、平成恐慌は、実は始まったのは一九九八年からデフレなんですけれども、実際には二〇〇一年、小泉構造改革になってから加速されまして、まだ続いているんですよ。国民は真綿で首を絞められているようになって、ゆでガエルという表現がございますね、まさにゆでガエルで、微温の中でカエルがいい気持ちだと思っているうちにだんだんと干上がっちゃうという例がございますが、そういうような状況です。

 左上を見ていただきます。昭和恐慌は、実はこのときも、一九二五年からGDPデフレーターはマイナスでした。上のグラフの赤線で右下に点線がとんとんと落ちているのがGDPデフレーターの数字でございます。これは一九二四年を一〇〇にして、二五年から前年に比べてマイナスになってきましたから、それをこういうふうに指数化したものです。

 それで、一九三〇年に、当時の浜口雄幸、この方は大蔵省出身の憲政会の首相です。この方と、それから日銀出身の井上準之助大蔵大臣、この二人の方がタイアップして昭和恐慌ということをして、財政を、思い切って、前年に比べて五%、一〇%削減しました。その左上のグラフで黄色になっていますね。一〇、一五と落ちています。これで落ち込んで、それで結局、その下を見てみますとマイナス三〇とありますでしょう。つまり、デフレが始まってからもう三〇%もデフレになった。

 そこで、一九三一年九月に満州事変が起きたんですね。それで、その後、浜口さんも井上さんも二人とも暗殺されていますけれども、その後、政友会が政権をとりました。言うならば、政友会というのは党人派ですから、今回民主党さんが政権をとったのと同じように、官僚政治から党人派政治といいますか、そういう政治的な変換があったことは事実です。そして、今度は高橋是清が財政を中心にどんどんと支出をする。同時に、金本位制を緩めて、金融を緩め、金利も下げるということにしました。上のグラフの黄色が、三一年のところからぐっと上がっていますが、これが二二とか二〇とかありますが、これは財政支出の前年度比です。

 一方、下をごらんいただきますと、平成恐慌というのは、まさにこれと類似して考えますと、これを横にずっと伸ばしたような感じでして、GDPデフレーターと言われるこの赤ですね、これが一九九八年からマイナスで、既に現在はもう二〇%に達しています。非常に怖いのは、昨年十―十二の経済の速報値が出ましたね。そのときのGDPデフレーターはマイナス三%です。これは初めてです。デフレは一挙に進みます。

 それから、その下のところの黄色にありますね、これが投資項目でございまして、公共投資、それから地方交付税交付金をどんどん削減して、三〇%の削減。そうすると、数字の上で昭和恐慌に非常に似てきております。ただ、昭和恐慌のときはどかんと来たから、我々は満州事変なんかが起きて大変だと思ったんですが、今は、ゆでガエルみたいになっているということではないか。真綿で首を絞められているような状態ですね。

 その下をごらんください。日本は政府投資で民間資本を補完する経済体質だ。ここに実は日本経済を見る一つのポイントがあるんです。

 先生方は十分御存じと思いますけれども、グラフ化してみますと、これは、一番左が一九七三年、第一次石油危機のときから始まっています。それで、上のグラフは、赤いのが歳出額、その下が税収です。ですから、第一次石油危機以降ずっと歳出額の方が多いんですよ。つまり、財政はいつでも赤字です。この赤字分は、実はほとんどが建設国債なんですよ。

 どうしてかといいますと、第一次石油危機以降、日本は大変に輸出が伸びましたから、国民の預貯金がふえました。だから、この国民の預貯金を民間企業では使い切れなくなったんですよ。そこで、それを何とか国内で回さないといけないから、そういう面から公共投資というのが大きくクローズアップされて、それが社会資本の充実となってきたわけです。これははっきり言って大変成功でした。成功だったから、その一番下に、名目GDPが下から右に上がっていますね。こういうふうにして安定成長がずっと継続したんですね。

 それで、バブルで確かにこれはつまずきました。だから、その後、税収が減った。税収が減ったから、さあ大変だというので、一九九六年に橋本財政改革を発表して、九七年に増税と公共投資を削減するという財政改革をやった。ここで、がくんと経済が、今までのこういうパターンがとまってしまった。それで金融恐慌も起きました。

(2/3終了)
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