そよかぜ日記

山への思いや毎日のちょっとした出来事を書き記します

伐採が意味するもの

2009年07月18日 | 登山
経ヶ岳の山頂は惨憺たる状況だった。
乱雑に切られた木々に愛情を感じることが出来なった。

躊躇無く切ったと思わせるその切り方。
地面が露出した斜面。

注意してみると、切られた場所は山頂だけではない。
わずかに展望が開けていた場所数箇所も切られている。

切った人の愛情はただただ展望に向けられたのだろうか。
木々への愛情はなかったのだろうか。

山への思いは人それぞれだとは思うけど、
自然の大切さが叫ばれている今日、逆らうように切ったその人の意図は・・・

人のためと言いながら、本当は自分のためなのかな。
日常にだってそういうことは往々にしてあるもの。

一人で切ったの?仲間がいたの?
仲間の誰もとめなかったの?
切ることに迷いはなかったの?

今回の場合、登山道の倒木や枝を払うのとは訳が違う。
生きている木の根元から50cmぐらいの所を切っている。

環境の厳しい場所で、何年もかかって育ってきた木だ。
この後そうそう木が育つとは考えにくい。

枝葉も無いように切られた木から新芽が出て復活してくれるかな。
そう願いたいな。

山に登るようになったおかげで、自然への思いも深くなったように思う。
山に登るようになって、加害者にもなっているのだけれど。